マキァヴェッリといえば『君主論』、『君主論』といえばマキァヴェッリ。
どちらか一方しか知らない人など想像できないほどの、マキァヴェッリの代表作です。
邦訳について
各種邦訳の特徴
〈1〉角川ソフィア文庫版は、多賀善彦の名義で戦時中に出版された『マキアヴェルリ選集』収録の邦訳を改訂したもの。
筑摩書房『マキァヴェッリ全集』月報によれば、フランス語訳からの重訳とのこと。
訳文および参照した原典の校訂本も古いのが難点。
ただし、マキァヴェッリの『ディスコルシ』以外の著述にも触れた訳注があること、大澤真幸さんの解説文がついていること、よくKindle Unlimitedの対象となっていることがメリット。
〈2〉は、永年『君主論』の定番邦訳書として読まれてきたもの。
筑摩書房『マキァヴェッリ全集』に収録されたのも、この池田訳。
少し意訳されている節があるところが気にはなりますが、読みやすいです。
〈2a〉には、マキァヴェッリの主著『ディスコルシ』が(『政略論』というタイトルで)『君主論』と一緒に全文収録されているので、コストパフォーマンスにすぐれています。
〈2b〉中公文庫版が最終改訂版。
2018年に佐藤優さんの解説が追加され、新版として刊行されたものです。
〈3〉講談社学術文庫版は、マキァヴェッリ研究の単著もある著名な政治思想史研究者による邦訳。
良くも悪くも、訳者のコメントが各章の末尾についているのが特徴。
タイトルからは分かりづらいですが、後半に『君主論』の全訳が収録されています。
前半はマキァヴェッリの生涯や時代背景についての記述で、「人類の知的遺産」シリーズの解説の再録。
(ちなみに「人類の知的遺産」所収の『君主論』邦訳は、分量約7割の抄訳。)
マイナー著述や書簡への言及も含まれていて、コンパクトなマキァヴェッリの生涯の解説としてはもっとも充実していると思われます。
〈4〉岩波文庫版は、原文に忠実であることをもっとも意識して翻訳されたもの。
原文写本間の異同やコンマの位置にまで言及した訳注は圧巻。
訳注の分量も、本文とほぼ同じページ数となっています。
決して読みやすいと言える訳文ではないのですが、マキァヴェッリ本人の文章の流れや癖のようなものを感じることができるような感覚を与えてくれます。
学部生などが講義などで読むなら、〈6〉と一緒にぜひこの岩波文庫版にチャレンジすることをおすすめしたいところです。
〈5〉光文社古典新訳文庫版は、刊行本のなかではもっとも新しい翻訳。
同シリーズの印刷本では、訳注が対象箇所と同じ見開き内に入っています。(電子書籍版ではリンクが貼付してある)
このおかげで、本文で言及されたマキァヴェッリの同時代の歴史的事件や人物について、すぐに注釈を参照できるようになっています。
これらの歴史的な事柄についてまったく知らない方にとっては、ありがたい仕様です。
また、時折Kindle Unlimited対象本になっている模様。
〈6〉は、マキァヴェッリ『戦争の技術』(ちくま学芸文庫)の翻訳者による試訳。
大学紀要に掲載されているものですが、インターネット上に公開されているため、容易にアクセスできます。
1文ごとにイタリア語原文を区切って、原文と邦訳を交互に掲載。
特に、最後尾にまとめて付された脚注がとても興味深いものになっています。
構文や語法など文法上の問題から、代名詞や関係詞の対象まで、訳者の戸惑い、悩み、試行錯誤が赤裸々に記載されているのです。
〈4〉の訳注と合わせて読みごたえ満載。
「読みにくい、わかりにくい」というレビューはどの本にも付いて回るレビューです。
しかし、この試訳を読むと、マキァヴェッリの原文にもわかりにくさの原因があることが見えてきます。
おすすめの邦訳
〈A〉とりあえずマキァヴェッリの『君主論』が有名だから読んでみようと思った方、リーダー論や対人関係のビジネス書に興味がある方の場合。
ーーー長く読み継がれている中公文庫〈2b〉や、注釈が参照しやすい光文社古典新訳文庫〈5〉がいいかと思います。
〈B〉『君主論』以外のマキァヴェッリの著作にも興味がある方
ーーーマキァヴェッリの大小さまざまな著述や書簡にも解説で触れている講談社学術文庫〈3〉が有用だと思います。
〈C〉『君主論』をガッツリ丁寧に読んでみたい方、イタリア語を勉強している方の場合。
ーーー意訳の成分が薄い岩波文庫〈4〉や試訳〈6〉を味わってみてはいかがでしょうか。
『君主論』の内容構成
君主、とりわけ政権を獲得したばかりの新しく君主となった者への献策。
同時代の政治的事例に言及しながら、君主自身の地位や安全を確保するための方策を示す。
献辞と26章から構成され、内容は大きく四つに分けられる。
[A]君主政体の類型や種差について(第1章〜第11章)
[B]軍備について(第12章〜第14章)
[C]臣民や味方に対する君主の態度や政策について(第15章〜第23章)
[D]総括とメディチ家への勧告(第24章〜第26章)
要約と引用
[A]君主国はいくつかの特質に注目して分類することができる。
このうち、私人が君主となった場合、世襲の君主国に比べると、新しい君主となった者は困難に直面しやすい。
政権維持のための基盤が不安定なうえに、政権獲得の際に生じた暴力や破壊によってはじめから反感を抱かれているからである。
[B]君主にとって、傭兵ではなく自前の軍備を整えることが最重要である。
ついで、[C]民衆を味方とすること、有力者を懐柔するか抑えることが大事である。
[C]君主たるもの、自身の地位や安全を確保するためには、美徳に固執することなく、悪徳すら場合によっては行使する必要も生じる。
とりわけ、困難に直面しやすい新しい君主はその可能性が高い。
[D]逆境を想定した抵抗の準備を整えていない時、運命は猛威をふるう。
運命は時勢を変転させて、時勢に合う合わないで個人の順境逆境を翻弄する。
しかし、それでも果敢に状況を好転させるべく挑むべきである。
[D]栄光とは、苦難を克服してこそ得ることができる。つまり、偉業にはあらかじめ苦境が用意されていなければならない。
メディチ家が栄光を獲得するためには、外国の横暴のもとイタリアが惨めな状況になることが必要だったのだ。運命が用意したこの好機にこそ、メディチ家が偉業を成し遂げるべきである。
そして、この『君主論』に著した私マキァヴェッリの献策を(私個人もろとも)メディチ家が採用すれば、イタリアを他国から解放できるほど強力な新しい君主国を立ち上げることもできるだろう。
執筆の経緯
後に『君主論』となる著作について言及される最初の文献は、1513年12月10日付フランチェスコ・ヴェットーリ宛のマキァヴェッリの書簡です。
フィレンツェの政変により失脚、職を失っていたマキァヴェッリ。
友人のフランチェスコ・ヴェットーリを介して、政敵であったメディチ家に奉職しようと画策します。
その標的としたのは、「ジュリアーノ殿」=教皇レオ10世の弟ジュリアーノ・デ・メディチ。
彼は教皇の縁戚という幸運を背景に、まさに「新しい君主」として君主国を獲得しようとしていました。
『君主論』(マキァヴェッリ本人は書名をラテン語でDe principatibus『君主国について』と呼称)は、当初ジュリアーノにアピールするための就職論文として書き始められたのでした。
しかし、当初『君主論』を献呈する予定であったジュリアーノは1516年に死去。
ジュリアーノに代えて、教皇レオ10世の兄ピエロの嫡男ロレンツォ・デ・メディチ(小ロレンツォ)に献辞を宛てることとなりました。
こうして1510年代半ばに執筆された『君主論』は、その後、複数の写本が作成されて流通します。
たとえば、マキァヴェッリ生前中の1525年にトマス・クロムウェル(イギリス宗教改革の立役者)宛の書簡内で話題にされているとのこと。
活字で出版されたのはマキァヴェッリ死後の1532年。
マキァヴェッリの自筆原稿は未発見のため、写本の原文を比較・取捨選択した校訂版ごとに、微妙に原文が異なっているようです。
(校訂版の異同への言及は、邦訳のなかでは岩波文庫版の訳注がもっとも詳しい)
メディチ家の事情と『君主論』
マキァヴェッリが『君主論』を献呈されたメディチ家の置かれた政治状況については、鹿子生浩輝『マキァヴェッリー『君主論』を読む』(岩波新書)が簡潔に整理しています。
『君主論』に興味を持った方は、あわせて読むことをおすすめできます。
マキァヴェッリは君主制支持か共和制支持か〜『君主論』第9章について
『君主論』でマキァヴェッリは、いかにして君主制を運営すればいいかについて書いた。
一方、『君主論』と並ぶマキァヴェッリの主著『ディスコルシ』では、共和制について書いた。
では、『君主論』と『ディスコルシ』というマキァヴェッリの2つの主著の間の関係、フィレンツェ共和国で政治活動を行なったマキァヴェッリとメディチ家へ自らを売り込んだマキァヴェッリとの一貫性をどう考えればいいか?
これは、マキァヴェッリの政治思想について語る際のベーシックな話題です。
『君主論』では、共和国で他の市民の支持を受けた君主について扱う第9章、これをどう解釈するかが、この話題に関わる箇所となっています。
極言すれば、「共和制から離脱して君主制を強化することは危険である」という趣旨の文章をどう捉えるか、という問題です。
たとえば、参考書として上にあげた本の著者である鹿子生氏は、共和政からの離脱を危険な行為として制止する内容として第9章を読んでいます。
一方、マキァヴェッリの『戦争の技術』の翻訳もしている石黒盛久氏は、危険さを克服して君主制を強化する内容として第9章を読んでいます。
君主制や共和制に対するマキァヴェッリ個人の政治的スタンスは、マキァヴェッリの著作全体や当時の政治情勢まで視野に入れないと、たしかなことは言えません。
これは、浅学の私には、はじめから無理な話です。
ただ、この『君主論』第9章の読み方については、上の研究者2人とは違う感想を持ちました。
つまり、マキァヴェッリはあえてどちらにも意味がとれるよう玉虫色な書き方をしているのではないかと思ったのです。
共和制の維持と放棄というデリケートな話題については、メディチ家が共和制離脱を求めてもいいように、またメディチ家が失敗したとしても共和制支持者に言い訳できるように、あえて保身のために玉虫色な書き方をしたんじゃないかなと思った次第です。
だからこそ、この第9章の解釈が現代でも分かれてしまうのも仕方がない、と思うわけです。
『君主論』の政治思想
『君主論』の記述は、他のマキァヴェッリの著作とも共通する話題や主張を扱っています。
傭兵批判と自国軍の必要性の主張や、貴族と平民の性格と両者への対処法、城砦の有用性への疑義など。
著作ごとに強調点や細かい差異はあっても、大枠は同じことを述べているように思われます。
一方、いくつかの点では、他の著作には見られないと思われる記述があります。
ここでは、目に留まった3点について書き留めておきます。
ローマの領土拡大政策
『ディスコルシ』第2巻第1章で、ローマの領土拡大政策については「君主国についての論考」(『君主論』)で詳しく扱ったと書いている。
フランスのイタリア政策について論評した『君主論』第3章が、この参照指示にあたる箇所。
トルコ型君主国とフランス型君主国
君主国は、大きく2つに分類される。
マキァヴェッリは、両者をトルコとフランスとで代表させている。
モンテスキューによる君主制と専制との区分、近代の絶対主義国家と中間権力論などの先祖にあたる内容です。
このマキァヴェッリの見解に先駆者がいるかどうか、個人的に興味があるところです。
フランス高等法院
フランスの高等法院というと、パリ高等法院が王権に対抗したブルボン朝の印象が強くあります。
つまり、王権に抵抗する貴族の牙城というイメージ。
マキァヴェッリの描く高等法院はこのイメージとは異なります。
ここでのマキァヴェッリの記述が、当時のフランスの実情にあったものなのか、それともマキァヴェッリの誤解によるものなのか、少し気になるところです。