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『実存アンプラグド』/『キェルケゴール』

哲学者キルケゴールが現代日本に転生!バンドマンになる!
「ここでは楽器を持って歌えば どんなに面白みのない思想であっても 人々は大真面目に聞いてくれる」(44頁)
そんな感じで始まったマンガ『実存アンプラグド』第1巻が発売されました。

現代によみがえった哲学者が、人々の悩みに答えやきっかけを与える、みたいな上から目線の(説教くさい)内容がメインというわけではありません。
ジョン・ロックやパスカルといった他の思想家も現代に転生してきていて 、ちょっと変わった人達が一緒にわちゃわちゃする感じのマンガになっています。

哲学者がモチーフとなっているので、中二病心をくすぐるような気の利いたフレーズを哲学書から抜き出して、ちょこちょこセリフとして使ってたりもしています。
それでも、生き方とか幸福とか真面目な重い話題について真正面から取り上げているわけではないので、気楽に読める内容です。

キルケゴール入門

キルケゴールの言葉は心に響くところが結構あって、学生時代に少しかじっていました。
太宰治と似たような麻疹的な魅力があるのです。

もし『実存アンプラグド』で哲学者キルケゴールに興味を持った人がいたら、
試しに下の記事から若きキルケゴールが書いた「ギレライエの手記」の引用をぜひ読んでみてください

そしてもし、この言葉が心に響いたのなら、キルケゴールの入門書も手に取ってみてほしい。

個人的に薦められるのは、今年の頭に出版された鈴木祐丞『キェルケゴールーー生の苦悩に向き合う哲学』(ちくま新書)小福川幸孝『永遠の単独者 S.キルケゴールの生涯と思想』(Kindle Unlimited)。
(関東の研究者はキルケゴール、関西はキェルケゴールと表記する傾向があるらしい)

両者とも、キルケゴールの起伏に富んだ人生や、主な著作について手際よくまとめられています。
前者は人生と著作の解説を年代順に織り交ぜて記述しているのに対して、後者はまず生涯を概説しその後で著作解説をして分けた書き方になっています。 

そして彼がその思考のすえに八月一日に日記に書き付けたのが、有名な「ギレライエの手記」である。それは若きキェルケゴールによる自己をめぐるひたむきな思考の記録であり、これをきっかけにして彼がのちに、神に仕えるスパイとしてのアイデンティティを自覚するに至る、きわめて重要なものである。彼は次のように書いている。

自分はいずれ世に出て自分の能力を発揮すべきなのだが、はたして自分の個性はいったいどの方向を向いているのだろう。自然科学や神学など。どれも自分が本当に携わるべきものとは思えない。 いったいどのように考えればいいのだろうー

そもそも私に欠けていること、それは、(…) 私は何をするべきかについて、自分自身についての明晰さに至ることだ。そのためには、私の規定を理解せねばならず、私が何をするべきであると神が本当にお望みなのかを知らねばならない。重要なのは、私にとって真理であるような真理を見出すこと、そのために私が生きそして死ぬことを望むような理念を見出すことだ。 (SKS17, 24/AA:12)

手記はこう続く。哲学の理論体系に通暁したり、国家についての理論を作り上げたり、神学の理論形成に寄与したりして、客観的真理に関与したところで、それが自分自身に、自分の生に何のかかわりも持たないのなら、いったいそんなことをする意味はどこにあるというのだろうかー。

悩める学生キェルケゴールは、ギレライエの地で、自分がこれから世界のなかで何をして生きていくべきかを問うた。そしてあれこれ思い悩んだすえに、まずはそもそも、自分の規定を探し求めるべきことを知った。「規定」 (Bestemmelse)とは「使命」とも訳しうる語である。キェルケゴールがここで言う「私の規定」とは、神の規定するこの私のことであり、その意味でこの私固有の真理のことである。

鈴木祐丞『キェルケゴール』72-73頁

「ギレライエの手記」にキルケゴールがつづったこういう悩みや感覚は、社会に出る前のモラトリアム期の経験として、痛いほど共感できるものです。
しかし、キルケゴールは私達でも共有できるこの感覚から出発するのですが、キルケゴールが切り開こうとした思想は私達には疎遠なものになっていなす。
彼は、キリスト教や神との関係からこの悩みについて考え抜いて行こうとしたからです。
それ以外にも、一族(父)の罪を我が身のこととして引き受けて悩んでしまったり、婚約者との婚約解消騒動を起こしたり、キルケゴールの思考や行動には正直ちょっとついていけないところは結構あります。
(もちろん『実存アンプラグド』では、これらの側面はカットされていますが)

でも、そんな部分を割り引いても、キルケゴールの悩む言葉は心に響いてしまうのです。

上にあげた入門書は、私達には理解しがたいキルケゴールの部分を飲み込みやすくしてくれると思います。
そして、1人でも多くの人がキルケゴールにアクセスできるようになればいいなとも思っています。
(こういう宗教性以外の部分を切り捨てた読み方は、キルケゴールの全体像の解釈としては不適切なんでしょうが)

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