『チ。-地球の運動について-』(第4話)【アニメ感想】
永遠や完璧が見出せない地上で、不完全な自分たちはどう生きていくのか。
どこに希望を見出せば、何に期待すれば、自分の人生は満たされるのか。
来世か、今世か、それとも後世か…
地上や天上に広がる自然は、我々とは異なる理にしたがって動いている。
自然は、ただそこにある。我々とは無関係に。
突き詰めてしまえば、それらは我々にとって意味を持たない。
それにもかかわらず、大自然を見て美しいと感じてしまう。
そして、そこに“何か”が見えてしまう。
自分にとって役に立つ立たないとは違った、特別な意味を見出してしまう。
自然のあり方と、自分の人生の意味が交錯し始める。
自分が満たされていないことから目をそらせなくなった時、
天上の来世、地上の今世をめぐり、人々がつながりわかれていく物語の幕が開ける。
そんな感じで、急転直下のアニメ第3話(第2回放送)から心機一転、新章突入の第4話が放送されました。
コミックス内の話をカットしたり順序を少し入れ替えるなど、細かい調整がされていました。
少しもっさりした感じの原作の展開が、だいぶテンポよくなっていて好印象を持ちました。
ただ、一点だけ残念だったことが。
決闘で負けた相手が命乞いするシーン、「期待されても困ります」というオクジーのセリフがカットされていたこと。
『チ。』では、さりげなく使われていた言葉が、後々の展開の中でジワッと効いてくる、後の言葉と対になっていることが割とあります。
たとえば、フベルトの「だから天文をやれ!私の為に!これは命令だ!」(脅迫シーン)と「天文をやれ。自分の為に。まぁこれは提案だ。」(観測スポットでの別れのシーン)とか。
ラファウだと、“合理的に生きる”という自身の信条独白シーンの「”愛“とかに代表される無為な感情や無駄な欲望に惑わされず 合理的な選択をすれば この世は快適に過ごせる」という予兆とか。
オクジーにとって「期待すること」と「期待されること」は、後の印象的なシーンで効いてくるので(原作第3集とか第5集とか)カットして欲しくなかったかなと。
それと、たぶんどうでもいい、トリビアな話。
グラスが語る惑星の数が、原作の「6つ程ある」からアニメでは「5つ程」になってる。
天動説では、惑星7個が正解です。(地動説では6個)
なんでもっと間違える方に改変した…
史実だけではなく、『チ。』の世界でも同じ。
第1章のラファウが書いた地動説の図だと、地球以外では5個、太陽の周囲を回る惑星が記入されている。
天動説の場合は、太陽と、衛星から惑星に格上げされる月を加えて、7個。
(史実の天動説でも「7惑星」であり、太陽は7個の4番目=「真ん中」(中心ではない)であることがプラトン主義では重要視された)
原作のままなら、地動説をそのまま流用したケアレスミスかなと思って、突っ込むのは野暮なんでスルーします。
でも、わざわざ変えたならどうして!?
何か調べたり考えがあったりしたはずですよね…
でも、もし、本当はこれに意味があったというなら、聞いてみたいですね。(皮肉ではなくそのままの意味で)