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ゲーム屋人生へのレクイエム 48話
入社面接に合格してゲーム業界に復帰したころのおはなし
「ゲーム会社に勤務するぞ----!」
「気合入ってますね」
「おう。久しぶりの正規雇用だからな。晴れてゲーム業界に戻ったしね。就労ビザを待つ間、本社のサービスセンターで研修を受けてね。職場には20人くらいいたかな。新人です、よろしくお願いしますって挨拶してね。ゲームの事は何にもしらないフリして仕事を始めたのよ。そうしたほうがなんでも見せて教えてくれるだろうって思ってね。親切な先輩たちで、本当になんでも丁寧に教えてくれたよ。ゲーム機械はメーカーが違っても仕組みは基本同じだけど、細かいところで違いがあってね。そういうところを教えてもらえるのは面白かったしこれからの自分の仕事に役立つだろうなって思って真剣に覚えたよ。社内での修理や整備もあったけどほとんどはゲーセンやショッピングモールでの修理だったね」
「どんな機械の修理が多かったですか」
「忍者キャラのポップコーン製造機が多かったよ。それと亜流プリクラだね。どっちもビデオゲームじゃない、どちらかといえば自動販売機みたいなもので、これも時代の流れなのかって思ってさ。そんなこんなしてたら就労ビザが取れて2か月の研修も終わって渡米することになったのよ。日本でお世話になった先輩や上司のみなさんにお礼を伝えてアメリカに向かって出発したのさ」
「なんだかあっという間の研修のはなしですね」
「ここでは平和な時間を過ごしたからドラマチックな話はないのよ。さ、話を続けるぞ。アメリカに戻って社員として初出社したぞ。仕事はまたまた基板修理だ。毎日毎日基板の修理で大忙し」
「修理ばかりしていますが、ゲーム機械の生産はなかったんですか?」
「無かったね。計画はあったけど販売見込みが少なくて生産は中止していたよ。ジリジリと業務用ゲーム市場が減っていくのを見るばかりだったね。対照的だったのが家庭用ゲームの市場だね。どんどん拡大してた。Rでもファミコン黎明期から家庭用に参入してたから業績に占める家庭用のシェアは大きかったよ。このRの子会社でも家庭用ゲームはなかなかの業績だったよ」
「当時はどんなハードがあったんですか?」
「任天堂は64、ソニーは初代PS、セガはサターンだったね。一番売れていたのはPSだったんじゃないかな。カセットからディスクになってゲーム容量が爆発的に増えたおかげで中身の濃いゲームをつくることができるようになったのが売れた理由じゃないかな。
それでRアメリカ子会社では本社開発のタイトルを年に1~2本販売していたんだけど、それだけじゃ会社経営できないっていうんで日本のメーカーから海外向けにライセンスして販売しててね。これが年に数本あったのよ。
俺が入社した頃は業務用は撤退ムードが漂ってて家庭用を経営の軸に置き換えようとしててライセンス用タイトル確保に躍起だったのよ」
「ライセンス用タイトル確保ってなんですか?」
「商品の確保のことだよ。本社で開発するタイトルもあるけど、日本でしか売れない内容のゲームが多くてこれを当てにしていたら商売にならないから他社開発で海外ライセンス向けタイトルを探さなきゃならんのよ」
「日本でしか売れないタイトルって例えばどういうものですか?」
「そうね。例えばキャラもの。日本国内でしか名が知られていないキャラを使ったゲームはアメリカでは売れない。あと日本でしか通用しない文化や慣習がゲーム進行の中心にあるものだね。例えるならじゃんけん。日本人ならだれでも知ってるじゃんけんはアメリカ人はわからない。だからじゃんけんゲームは売れないのよ。文化慣習の違いといえば、PSコントローラーの〇と×のボタンあるでしょ。日本は〇が決定だけどアメリカは×が決定なんだよ。日本の常識は世界の非常識ってこともある。細かいけどその国ならではの違いは大事。海外展開を考えないで日本だけで売れればいいやって開発されたタイトルはアメリカで売ることはとても難しいのよ」
「へえー。知らなかったです。今回は久しぶりにゲームの話でしたね」
「うむ。たまにはこんな話もするぞ」
「たまにはじゃなくていつもお願いしますよ。タイトルだってゲーム屋人生ってついてるじゃないですか」
「そうだった。忘れてた」
続く
この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体とは一切関係ありません。