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月面サナトリウム
2019年12月7日 00:59
現実を生きているというのに、現実的なことがあまりにも苦手。健康的な生活とか、建設的なコミュニケーションとか、存在を確かめ合うだけの会話、中身のない気遣い。社会において当たり前に誰もができている(ように見える)ことや求められることが、物凄く億劫で、いちいち他人に疲れてしまう。それが必要な側面は理解しているつもりだけど、どうしてこんなに疲れるんだろう。自分が強い言葉を極端に人に
2019年10月28日 00:31
数日前、帰宅時の電車の中でのこと。いつもほとんど座らない電車移動だけど、その日はたまたま車内が空いていたので扉のすぐ横の席に座った。基本的にいつもイヤフォンで音楽を聴いている。その日はたまたま何か考え事をしていたのか、イヤフォンをつけたまま再生ボタンを押していなかった。ぼんやりしている間に次の駅に着く。なんとなく向かいの乗降者に目を向けていた。降りる人は少ないけど、乗っ
2019年10月15日 01:12
どうしてそこまで興味・関心がもてるのか、私にはよくわからない。そう感じることがよくある。いろんな人間いろんな考えいろんな受け取り方個の数だけ違うのは当たり前。なんでもかんでも噛み付いては、主観一択の話し方しかできない人。…当たり前?それで済まされるの?そんな風に感じることが多くなった。なんだかずっと疲れている。仕事も変えて、環境は格段に良くなったのに。ぼん
2019年8月4日 00:58
生まれた町が好き。後天的に育まれた感性の源泉。だけどそれ以上に、先天的な自分という存在に合ってたような気がする。今日はまたその町に会いに行った。晴れた青と、休日の空気が似合うジオラマの町。私の心象、原風景には人がいない。対人的なそれらはほとんど私に残っていない。失恋の激しい痛みも完全に過ぎ去るまでに時間はかかるけど、過ぎ去ってしまえば思い出はそこに残らない。美化されるこ
2019年7月19日 01:09
歳を重ねることを楽しみのひとつと思えるような生き方をしていきたい。この先誰かと長く一緒にいるのなら、お互いの命が育って、熟して、終わりへ向かっていくのを愛せるような人がいい。ぼんやりしていたら、あっという間に過ぎていってしまうだろうな。1日が長いと感じていたのは、一体いつまでだっただろう。東京事変の閃光少女の歌詞で、〝昨日の予想が 感度を奪うわ 先回りしないで〟という一節がある