ブルーノ・ムナーリ、「プロジェッタツィオーネ」を語る
イタリアの芸術家・デザイナー・教育者ブルーノ・ムナーリは子どもの創造性に共感を寄せ、その可能性を尊重することの意義を強く訴えると共に子どものための芸術教育を独自の手法で実践しました。彼の実践はレッジョ・エミリアの幼児教育にも影響を与えていると考えられます。
レッジョ・エミリアの幼児教育が革命的なシステム(アトリエとアトリエリスタの導入など)によって大きく動き出した頃、ミラノのムナーリは建築雑誌「ドムス」に興味深い提案を寄稿しています。以下のその一部を訳文にて紹介します。
「幼稚園から始めるデザインの学校の提案」ブルーノ・ムナーリ
Domus 538 sept 1974
デザインはまだ一部の人たちの活動であり、その仕事はまだ芸術的なやり方でのみ考えられています。しかしデザイン行為(progettare)とは誰にも共通する人間的な行為です。
農夫が自分の家や道具をデザインするとき、彼はデザイナーであり、既成概念や規制なしに自分の問題を実際的な方法で解決することを考える設計者です。一方、別荘を作る貴族は、実際の機能が隠れたり消えてしまった既成概念だらけの別荘を設計し、まるでディズニーのようなサブカルチャーと漫画か笑い話のようなものを実現します。
必要なのは意匠を語ることではなく、プロジェッタツィオーネ、つまり既成概念のないグローバルなプロジェッタツィオーネ、明確でシンプルなプロジェッタツィオーネをすることについて語るべきで、理想的には、男も女も、子どもも若者も、誰もが文化的な障害なく余計な心配をせず必要なものをプロジェッタツィオーネできることなのです:男の子たちや女の子たちは自分でおもちゃやあそびをデザインし作るべきですし、大人たちは自分の家をデザインする方法を知るべきなのです。
…しかし、このプロジェッタツィオーネの教育プロジェクトはどのようにすれば実現されるでしょう? おそらくその方法は、たくさんのやり方で情報発信するあらゆるチャンネルと、学校での異なる活動の両方があるでしょう。
例えば、通常は絵画や彫刻のみが教育の対象分野となっている美術の教育をプロジェッタツィオーネについても拡大し、幼稚園からすべての学校で行うことができるでしょう。
プロジェッタツィオーネの重点を調べてみると様々な方法で、個人の学習の程度に関わらず教えるためのいくつものポイントがあります。主な重点は
1) どのように作るかについて。それはどこから、どうやってプロジェッタツィオーネを始め,プロジェクトを前に進めるのかということ。いかにして障害を乗り越えるかなど。- つまり、方法論です。
2) 柔軟な精神、あらゆる問題や可能なプロジェクトの方向性に対してオープンであり、最初から固定観念を持たないこと。
3) 分析と合成の能力
4) 創造性。想像力をもって実現可能なことを想像すること。
5) 社会的な感覚。人々の問題を知っていること。
6) 美的な感覚:きれい、でもどうんなふうに?それは応用美術的な意味でなく。
7) 経済的な感覚:コストをかけない方法でデザインが実現できるか?
8) 一つの答えで満足しないこと。自己批判力。
9) プロジェクトを実行者に伝える方法を知っていること。
…デザインの学校は方法論の学校でなければなりません、つまりいわゆる芸術的ではなく、特定のメンタリティを持った個人を形成することができるデザインの定数の学校でなければならないのです。またデザインの高等学校といっても、すでに(既成概念に)条件づけされてしまった若者たちが入学してきたら、それはデザインの学校とは言えないでしょう。プロジェッタツィオーネの学校は、幼稚園から始めるべきなのです。
ブルーノ・ムナーリ
「プロジェッタツィオーネ」という用語は、レッジョ・エミリアの幼児教育でもおなじみの概念ですが、同時にデザインや建築の世界でもイタリアで日常的につかわれています。イタリアではデザイナーを「デザイナー」とは呼ばず、「プロジェッティスタ」と呼びますが、これは「図を描く人」でなく「考えを具現化する、企てる人」というデザインの本質的な意味を表しています。
レッジョにおける「プロジェッタツィオーネ」も、ある意味で同じように「形をつくる」というレベルではなく、子どもたちが「探求し、経験し、考え、議論し、共有しながらアイディアを具現化する」活動をこのように呼んでいるのでしょう。
ムナーリはレッジョ・エミリアと直接的には交流していなかったようですが、異なる立ち位置から子どもの創造性を深く尊重する教育の提案が同時代のイタリアで生まれていたのです。