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安心と信頼。そして心理的安全性という空気感。

心理的安全性

これは、組織行動学を研究するエイミー・C・エドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義しています。

つまりは組織内において、メンバーの誰とでも自分の意見や考え等を安心して率直に言い合える状態。

エドモンドソンは組織の心理的安全性というテーマで「恐れのない組織」という本を書いていますが、ここに書かれている内容は、会社組織に限らず家庭内にも応用できると思いました。

心理的安全性という空気感を感じるためには、相互信頼が重要なポイントとなると思うのですが、そもそも信頼とは?安心との違いは?

「安心」とは相手が裏切らないと確信が持てる状態。(自分の延長)
それに対して「信頼」は相手が裏切る可能性がある、もしくは対立する可能性があるにも関わらず、裏切らない、という関係が作れていること。

「裏切り」という言葉は少し強い印象を受けると思いますが、つまりは自分と他者を「同じである」というところから繋がるのか、「違うけど繋がれるよね」という、お互いが違うということに開かれているかどうか。

赤ちゃんのうちは安心の子育て。そして子供が成長するにつれて、安心から徐々に信頼へ移行していく。これがヘルシーな親子関係なのだと思います。

我が家の娘たち、只今7歳と10歳。
ふたりとも親の私がお世話することがだいぶ減ってきたように感じます。
それと比例するように、それぞれがこれしたい!(もしくはしたくない!)これ食べたい!(もしくは食べたくない!)これ好き!(もしくは嫌い!)という意志が強くなってきていて、ついつい先回りして伝えてしまうアドバイスにも全くではないけど、かなり耳を貸さなくなり、わが道を突き進んでいる。
このことに初めは結構強い抵抗と恐れを感じたのですが、それは自身をみつめることでだいぶ柔らいできたと感じています。

わが子と安心で繋がるか。信頼で繋がるか。

先程「ヘルシーな親子関係」という表現をしましたが、私自身(私と母親)は決してヘルシーな親子関係ではなかったと思うし、この「ヘルシー」という言葉さえ、自分で使っておきながら、なんだか違和感を覚えます。

だって、そこには完璧な母からの愛が注がれていたと思うから。「思う」というのは、まだ
母からの愛情をフィルターなしに曇りなく感じれるようになる道の途中。誰のペースでもなく私のペースで、ゆっくりと着実に進んでいる癒しの旅。

家庭内に心理的安全性を感じることができなかった方も、信頼ではなく安心の子育てをされた、もしくはしている、と感じる方も、どんな方もそこにあなた自身が違和感や生きづらさを感じているなら、ご自身の心の声と対話していくことで癒され、深いホールド感で自分が自分を支えることができるようになっていく…。
これは癒しが進むと起こる、自然現象なんだと確信しています。

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