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アートマンの愛だけを望むとき、それ以外に何も見ることはない


まずはじめに

前回の「寂静たる心の内にアートマン(真我)を知る」より、一歩先に進んで、もしも、アートマンを垣間見ることができたあとのことについて、ご一緒に考えてみましょう。

つまり、今回の題名のように、「アートマンの愛だけを望むとき、それ以外に何も見ることはない」という世界を知覚するのですが

完全にアートマンを知るまでの間に、そのことを世界に反映されて知覚するまでの間に、どのような心の状態を見て取ることができるのかについて、現代の心理学を用いて考えてみましょう。

愛以外の世界を知覚するとき

逆に、愛を表現したような世界を知覚するなんてマレじゃないか、と言われそうですが…

この“note”を読むような奇特な方々は、求めるものが違うのだと信じて、先に話を進めます。

ここで、少し時間をとって考えてみて下さい。

自らの真の自己が愛そのものの光そのもののアートマン(真我)であるのならば

なぜ、愛以外の世界を知覚しているのか?





あなたの知覚する証人たちの証言に耳を傾けるとき

結論から先に述べますと

あなたは、自らの心を見て、そこに対立(自らをアートマンと認めない決断)を受け入れました。その結果、そこに、つまり、自分の心の中に対立を探し求めたことが原因になっています。

心の中に対立を受け入れ、そして、対立を求めるとき、その対立を証明する証人たちがそのことを証言することになります。

つまり、あなたの知覚する世界において、愛以外の世界を知覚しているとき、あなたの知覚する証人(両親・子供・配偶者・上司・部下・同僚・先輩・後輩・友人・知人・恋人など)たちがもつ、あなたにとっての相矛盾する性質とは、互いに相容れないものを、あなた自らが招いていることの反映に過ぎないと言えます。

言っていることがわからないならば、何度も繰り返して読んでください!

ここからもとても重要です。

あなたの知覚する証人たちの証言に耳を傾けることはとても大切ですが

しかし

このときに、対立を証明する証人たちの証言が真実であると信じないことです。

なぜならば

彼らは、あなたがあなたの心の中で彼らに与えたメッセージをあなたに返しているのであって、あなたの真の自己に対する誤った決断を証言(虚言)しているだけであるからです。

あなたが愛を顕現させるとき

したがって

あなたがあなたの心の中で、対立を無効化させる、自らをアートマンだと決断するとき、その決断は、あなたが愛を顕現させることになり、あなたはそのことを証明する愛の使者を招いたことになるのだから、彼らはあなたのもとに来ることになります。

ネイティ・ネイティ・ブラフマンの意味

ネイティ・ネイティ・ブラフマン、つまり、「これではない、これではない」とヴェーダーンダ哲学で教える意味がお分かりになったでしょうか?

愛以外の世界を知覚しているとき、あなたの知覚する証人たちの証言に耳を傾け、その証言は、真実ではない、と「これではない、これではない」と解放して、なおかつ、自らをアートマンだと再決断し、愛を顕現させることにて愛の使者を招く、ということです。

はじめのうちは、忘れた頃に、その愛の使者は訪れますが、つまり、はじめのうちは、レスポンスが遅いかもしれませんが、必ず、この招待は実現されますのでお試しあれ!

最後に

いままで、ヴェーダーンダ哲学の核心の教えとも言える「これではない、これではない」について、“note”を書きながらも伝わってないだろうなという感じがぬぐいきれなかったけれど

今回は、少しは伝わるような内容になったのではないかという手応えがあるのですが、どうでしょうか?

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