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天才たちの華麗な破滅の系譜 誰もが幼年期の状態のまま死んだ

人に本物の趣味があるかどうかは---こうした系譜学を一気に記述できるかどうかにもよるが、それ以上に、どれほど孤立した状況にあっても、人が自分自身の趣味を守りぬけるかという、実に単純な事実による。ある意味では、それが人の歴史のすべてだといえる。


以下系譜(年表)


『……[旧暦、以下同様]1846:ソロー投獄
1849:ソロー、『市民の抵抗』発表
1862:ソロー没
1866:ドストエフスキー、『賭博者』を27日間で書き上げる
1873:ランボー、『地獄の季節』脱稿
1880:サラ・ベルナール、コメディ・フランセーズを去る
1883:ニーチェ、『ツァラトゥストラはこう言った』執筆開始
1886:ランボーの『イリュミナシオン』発表される
1887:第一回シオニスト会議開催[あのなつかしのYMCAドミトリー前のささやかなウォール・ペインティングの都バーゼルにて]
1888:ニーチェ発狂 ゴッホ、発作により耳切断
1890:ゴッホ、自殺
1891:ランボー、右足切断 その後全身癌により死亡
1900:ニーチェ没 シュレーバー、『ある神経病者の回想録』執筆開始
1906:ボルツマン自殺
1908:ニーチェの『この人を見よ』出版
1909:アングロ・ペルシアン(イラニアン)石油会社設立
1909-1910:マティス、『ダンス』制作
1911:テルフビブ市建設 シュレーバー、ライプチヒ=ドェーゼン精神病院で死亡
1913:デュシャン、『チョコレート粉砕器 No.1』制作 デ・キリコ、『予言者の報酬』制作
1914:第一次世界大戦勃発 デ・キリコ、『街路の神秘と憂愁』発表
1916:サイクス・ピコ協定成立
1917:バルフォア宣言 エリオット、『プルーフロックとその他の観察』発表
1917-1919:マックス・ウェーバー 『古代ユダヤ教』を発表
1919:田中一村(本名田中孝、この頃最初の画号の米邨を用いる)、『ハマグリ』制作(11歳)
1921:田中一村(米邨)、『アジサイ』制作(13歳)
1922:エリオット、『荒地』発表
1923:リルケ、『ドィノの悲歌』発表 大杉栄、伊藤野枝甘粕大尉により虐殺同時に朝鮮人大量虐殺
1924:カフカ
1925:『訴訟』出版
1926:『城』出版
1927:『アメリカ』出版
1934:ミラー、『北回帰線』発表 アルトー、『ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト』発表
1939:第二次世界大戦勃発 ミラー、『南回帰線』発表
1947:デユシャン、『触ってください(《1947年のシユルレアリスム展》カタログのために)』制作
1948:イスラエル建国 アルトー、イブリー療養所内で死亡
1949:ジュネ、『泥棒日記』発表
1951:ベケット、『モロイ』発表
1954:ケージ、キノコを初めとする菌類学研究を開始
1958:田中一村、奄美大島に移住
1959:バロウズ、『裸のランチ』発表 
1968:デュシャン、ケージと一緒に仕事 デュシャン没
1972:ケージ、ソローの為の作品『ミューロー(Mureau)』を歌う
1975(頃):田中一村、『アダンの木』制作
1976:ベケット、バロウズと会う スティーブ・ライヒ、『18人の音楽家のための音楽』発表 
1977:田中一村、奄美にて没
1986:チェルノブイリ原子力発電所事故
1987:イスラエル占領地でパレスチナ人によるインティファーダ(石による抵抗運動)開始
1992:8月、ケージ没』


*ただし、安部公房の様に、この系譜学において最高の地位、あるいはそれ以上の地位を占めていても、ここには登場しない場合があるので注意が必要である。なお、ここに登場する人物たちの共通点を一つだけ挙げるなら、誰もがみな言わば幼年期の状態のまま死んだということである。そう言えば、人類史上最も優れた知性の一人であったニュートンも、私は神(大海原)が気紛れに打ち上げる貝殻(真理のひとかけら)を拾って、波と戯れ遊ぶ幼児に過ぎないと死ぬ間際に言っていた。

*なお、上記を簡略にして村田正夫氏主宰の詩誌「潮流詩派」に発表したのが、以下の詩である。(2000年頃創作)

200号・作品 [詩篇]
イスラエル建国史と天才達の破滅 

ヨーロッパと旧ソビエトを横断する旅路の終わりに私はただ事実を確認したかった
1880年サラ・ベルナールがコメディ・フランセーズを去る
1887年第1回シオニスト会議開催翌1888年ニーチェ発狂ゴッホ発作により耳切断1890年自殺 
1891年ランボー右足切断その後全身癌により死亡
1900年ニーチェ没同年シュレーバー『ある神経病者の回想録』の執筆開始
1909年アングロ・ペルシアン石油会社設立1911年テルアビブ市建設同年シュレーバーライプチヒ=ドェーゼン精神病院にて死亡 1916年サイクス・ピコ協定成立翌1917年バルフォア宣言 
1923年大杉栄・伊藤野枝甘粕大尉により虐殺 同時に朝鮮人大量虐殺翌1924年カフカ没
1946年イスラエル建国同年アルトー「イブリー療養所」(精神病院)内で死亡
1981年イスラエル南レバノン侵攻=大虐殺開始 1987年イスラエル占領地でパレスチナ人によるインティファーダ(石による抵抗運動)開始 
一つの旅路の終わりは
終わりなき詩の開始となる




(私のブログ記事として2005年02月04日にアップロードしたもの。画像を除く)


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