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名君?暗君?犬公方、徳川綱吉の大きな誤解(パート3)
めちゃくちゃ天才だと思うけど、そんなに世間の評価が高くないんだよな〜
過去2回は江戸幕府5代将軍の徳川綱吉について、特徴的な政策と政治パートナーを紹介した。
今回は綱吉の財政部門を担当し、江戸幕府の財政を立て直した人物を紹介する。
名前を荻原重秀(おぎわらしげひで)という。
荻原重秀は、江戸幕府の財政を司どる勘定奉行として、幕府の財政を担当した。
綱吉が将軍に就任した頃の幕府は、深刻な財政危機に陥っており、財政再建が急務となっていた。そのような状況の中で、荻原重秀は天才的な経済センスで江戸幕府の財政を立て直しに奔走している。
財政の立て直しに尽力した荻原重秀の政策は、現在の経済学でも通用するような理論に基づいていたが、当時の人々には理解されず、当時の知識層から激しい非難を受けた。
今回は、天才的な経済センスで綱吉の政策を財政面から支えた、荻原重秀を紹介する。
1. 財政が"火の車"だった江戸幕府
250年間続いた江戸幕府。
しかし、綱吉が将軍に就任した頃の江戸幕府は、財政破綻の危機に瀕していた。
金山・銀山は江戸時代初期で全て掘り尽くし、江戸幕府が開かれた当初に大量にあった資金は、日本各地の開発や明暦の大火などの災害の復興にほとんどが費やされた。
そのため、綱吉が将軍に就任する頃には、江戸幕府自体に資金の余裕はなく、綱吉の理念を実現するための政策も実施できないような状況だった。
まさに、この頃の幕府財政は"火の車"である。
2. 荻原重秀の実施した貨幣改鋳
江戸幕府が財政危機に陥る状況で、綱吉は幕府財政の立て直しを模索する。
そんな中で、今回の主人公である荻原重秀は、既存の貨幣を集めて鋳造し直して貨幣の数を増やす、貨幣改鋳を提案し採用された。
貨幣改鋳は、市場に出回る小判を金の含有量を減らして、より多くの小判を鋳造することだ。
この貨幣改鋳によって、江戸幕府の保持する資金は倍増。
財政に余裕が出ることで、綱吉の政策も実施しやすくなった。
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荻原重秀が実施した貨幣改鋳に伴って製造された。
3. 貨幣改鋳に関する悪評の数々
小判に含まれる金の含有量を減らして貨幣量を増やす、貨幣改鋳。
この行為は当時の学者からはタブーな行為とみなされ、激しい非難の対象となっている。
儒学者で6代将軍の家宣に仕えた新井白石は、自伝の折たく柴の記で「天下開闢以来、荻原のような奸邪の小人は聞いたことがない。」と綴り、荻原重秀の死後は、「墓を暴いて、死体を晒してやろう」と記したほどだ。
この評価は現代の歴史家にも多大な影響を与えている。
高校の日本史の教科書を開くと、荻原重秀の貨幣改鋳は「幕府は改鋳による差益で莫大な収入を得たが、物価高騰を招き、経済を混乱させた。」と説明され、評価は決して高くない。
貨幣改鋳への激しい非難から、荻原重秀は悪代官の代表とも見做されるようになった。
4. 貨幣改鋳の大きな誤解
当時の人々からも、現代の日本史教科書からも酷評される荻原重秀の貨幣改鋳。
しかし、本当に酷評されるほど、酷い政策だったのだろうか??
荻原重秀の貨幣改鋳について、金沢大学の教授であった村井純志氏が詳細な研究を行っている。
村井氏は当時の記録から、貨幣改鋳の江戸社会のインフレ率を算出し、物価高騰の程度を調査し、貨幣改鋳以後の江戸社会は年3%程度のインフレが起こっていたことを明らかにした。
インフレ率が年3%……..
現代の経済の感覚からすると、年3%のインフレは決して高くはない。
この程度のインフレはマイルドなインフレに区分され、良好な経済成長を促すために必要なインフレ率だ。
貨幣改鋳は物価高騰を引き起こしたとして激しい非難の対象となるが、年3%程度のインフレは逆に江戸社会にとって良い影響を与えるものだったと推察される。
5. マイルドなインフレの裏で花開いた元禄文化
村井氏の研究により、荻原重秀の貨幣改鋳がマイルドなインフレを達成して、良好な経済成長を促す状況であったことが明らかになった。
貨幣改鋳による経済成長が江戸社会に良い影響を与えた証拠として、日本史の授業でも取り上げられる元禄文化がある。
元禄文化は徳川綱吉や荻原重秀が活躍していた時期に、江戸社会で発展した文化だ。
代表的な人物に、俳諧を完成させた松尾芭蕉や人形浄瑠璃の人気作家だった近松門左衛門、画家の尾形光琳などがいる。
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一般的に文化は経済に余裕がある時に生まれるものとされる。荻原重秀の貨幣改鋳によってもたらされた好景気は、文化を育む土壌を生み、現在の江戸時代のイメージの原点である元禄文化を作り出した。
江戸時代のイメージを形作る文化の裏には、大きな非難を受けながらも幕府財政を立て直した天才の存在があった。
個人的に、荻原重秀はもっと評価されていいと思っている。