【歴史さんぽ#2】東京大学に残る大名屋敷の痕跡
日本の最高学府である東京大学。
東京都文京区にある東大の本郷キャンパスは、実は江戸時代の大名屋敷の跡地に建てられている。
本郷キャンパスが建てられる前、そこには、今の石川県が位置する加賀藩の上屋敷があった。加賀藩は名家前田家を藩主とし、「加賀百万石」と呼ばれるほど規模の大きい藩だった。
そんな本郷キャンパスには、当時の大名屋敷の遺構がいくつか残されている。
今回は、東大本郷キャンパスをうろうろしながら、江戸時代の大名屋敷の痕跡を探した。
1. 藩主の結婚祝いで建てられた赤門
東大本郷キャンパスといえば、最も有名な建物の一つに赤門がある。
この赤門、加賀藩の上屋敷の頃から存在する門だ。漆で綺麗な朱色に塗られた立派な門だが、正式名称は「御守殿門」という。
江戸時代も後期に差し掛かる、1827年(文政10年)に赤門は建設された。建設の目的は、加賀藩藩主であった前田斉泰(なりやす)と将軍徳川家斉の娘であった溶姫との結婚を祝うためだ。
当時、江戸幕府将軍の娘を迎い入れるのは、非常に名誉なことだった。
世間の注目度も高く、江戸時代屈指の名藩である加賀藩が中途半端な振る舞いができない。
よって、建設されたのがこの赤門だった。赤門は溶姫が屋敷を出入りする専用の門として加賀藩上屋敷の表玄関に設置されている。
2. 赤門建設に奔走する加賀藩藩士
江戸時代屈指の名藩である加賀藩、しかし、その内実はかなりボロボロであったようだ。
歴史学者である磯田道史先生のベストセラー「武士の家計簿」には、結婚費用と赤門建設に伴う資金調達に奔走する加賀藩士の姿が描かれている。
これは磯田先生が発見した、ある加賀藩士のメモ書きだ。
資金繰りが厳しい中にあっても、この結婚は成功させなければならないと、苦悩する加賀藩士の気持ちが透けて見えるようだ。
3. 赤門以外にも残る遺構
東大の本郷キャンパスには、赤門以外にも江戸時代の遺構が残っている。
本郷キャンパス内にある三四郎池。夏目漱石の小説「三四郎」にちなんで名付けられた池だ。
この池も大名屋敷内にあった庭園の名残だ。江戸時代は「育徳園心学池」と呼ばれており、藩主専用の庭園となっていた。
江戸時代でも屈指の大藩として知られる、加賀藩。その遺構は東京大学が建てられて今も、少なからず残っていた。
実際に回ってみて、また新たな発見がある。そんな本郷キャンパスの散歩だった。