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【読書】ペリー視点からみた幕末の日本開国

想像以上に細かな記録が残ってて驚いた。
軽い気持ちで読み始めたけど、終わりが見えなくて大変だったわら

江戸時代後期、海外との交易を制限する「鎖国状態」にあった日本を開国させたアメリカ人のマシュー・ペリーは、その旅路について詳細な記録を残している。

アメリカ側からみた、日本の開国ってどんな風に見えてたのかな〜

そんな事を考えながら、ペリーの記録、「ペリー艦隊日本遠征記」を読んでみた。

1. 事前の準備で日本に勝っていたペリー艦隊

アメリカが日本を開国させた理由は、海外貿易の補給港を確保するためだ。アメリカ西海岸から太平洋を渡って補給を確保するためには、日本は非常に良い立地だった。

日本の開国という任務を遂行するために、ペリーは徹底した日本研究を行なっている。

例えば、
 マルコ・ポーロの「東方見聞録
 ケッペルの「日本誌
 シーボルトの「日本
などの資料をしっかりと読み込んでいたことが記録されている。

決して充分な資料とは言えないものの、ペリー艦隊は考えうる限りの準備を整えて、遠征に挑んだ。

そりゃあ、何も知らなかった日本人は振り回されるだけだよね〜
(幕府の上層部はペリー来航を知ってたけど、公開しなかった。)

2.ペリーが賞賛した日本人の好奇心の高さ

周到な事前準備の上で、日本に来航したペリーは、文献や他民族と比較しながら、客観的な日本人の評価を記録している。

その記録を読むと、ペリーは日本人の「好奇心の強さ」に非常に強い関心を示し、賞賛していたことが読み取れる。

日本人は会談するたびに、技術面から政治面まで多様な質問を繰り返し、ペリーたちを驚かせている。

また、長州藩士の吉田松陰金子重之輔が、船に忍び込み、アメリカ渡航を願い出るなどの出来事も記録されていた。

ペリーは「日本人の高い好奇心を持ってすれば、すぐに欧米の水準に追いつく」といった記録を残しており、いち日本人として、非常に誇らしく思う記録だ。

3. 強い覚悟で日本遠征に挑んだペリー艦隊

最後に、日本の開国を目的にしたペリー艦隊の旅は、ペリーたち船員にとっても大きな覚悟の必要な旅だったようだ。

遠征記の中では、異なる文化に苦戦する様子や疲労に伴って体調を崩した船員の様子も記録されている。

実際に、この遠征では、船員の数名が命を落としていることが書かれている。また、ペリー本人も遠征に伴う疲労で、体調を崩していたことが記録されていた。

ペリー艦隊の日本遠征は、アメリカ側にとっても非常に勇気と覚悟が必要な旅だったらしい。


日本視点で見たときのペリー来航と、アメリカ視点で見たときのペリー来航。それぞれの視点からみると、新しい視点が生まれて、非常に楽しい記録だった。

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