【読書】江戸城の土木工事
先日、徳川家康のもと江戸時代の政治体制が構築される経緯の本を読んだ。
1603年から始まる江戸時代は、安定した政治体制に支えられて、江戸という田舎町が日本を代表する都市へと発展した時代でもある。
先日、その江戸という都市が発展した経緯を追った書籍、「江戸城の土木工事」(後藤宏樹 著: 吉川弘文館)を読んだ。
江戸時代以前の江戸の町は、広大な干潟が広がる湿地帯だったとされる。海は今よりも内陸側にあり、日比谷(江戸城の東側)あたりまで海だったとのことだ。人口も少なく、非常に閑散としていた。
そんな江戸という田舎町に、江戸城の原型が築かれたのは、室町時代とされる。太田道灌という扇谷上杉氏に属する武士がこの地に、最初の江戸城を築いた。
そんな田舎町だった江戸は、徳川家康が1590年に三河から移って以降、大きな発展を遂げる。
関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に征夷大将軍に任じられた徳川家康は、翌年に江戸城築城の号令を発する。以降、諸国の大名を動員しながら、およそ30年に及ぶ工事を行い、初期の江戸城が完成した。
この江戸城の築城では、当時、神田付近にあった駿河台から土砂を採取し、周辺の湿地帯の埋め立てに使用した。(この埋め立ての過程で、前述の日比谷入江は埋め立てられた。)
また、大規模に使用された石材は、全国各地から運び込んで石垣の構築に使用されている。特に、伊豆半島は全域に採石場(石丁場)が開かれて、多くの石材を江戸に運んだらしい。
江戸城の築城は、2代目の徳川秀忠や3代目の徳川家光の時代でも行われ、その度に江戸城の規模が拡大し続けた。
1657年(明暦3年)の明暦の大火や、1855年(安政2年)の安政の大地震において江戸城は大きく損傷する度に修復がなされ、明治維新以降も皇居として使用された結果、江戸時代に構築された姿を今に伝えている。
本書を読むと、とても多くの人が江戸城の築城に関わり、長い年月に及ぶ工事を経て、今の東京の姿の原型ができたのだと、強く感じられた。
これら歴史を強く噛み締めながら、江戸城の周囲を散歩してみたくなるような本だったね。