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利己でも自己犠牲でもない道:自利も利他も共に実る、日本的“利他”

​ 10月のキーワードは「利他」です。


「利他」というと、ちょっとザワッとする方もいらっしゃるかもしれません。

それはもしかしたら「利他」にこんな解釈をされているかもしれません。

  • 利己的ではないことが利他

  • 自分本位ではなく他者本位の生き方

  • 他者を思いやり、相手の立場に立って行動する…それがどちらかというと、自己犠牲の上に成り立つという印象がある

  • 偽善的なかんじがする

実は「利己的ではないことが利他」という解釈は、「西洋的な“利他”」の考えなのです。

日本で「利他」という言葉を初めて使ったのは、平安時代における真言宗の開祖、空海だといわれています。

『はじめての利他学』

しかし、このコント(筆者注:フランスの哲学者)の「発明」が起こったのは、日本で「利他」という言葉が生まれてから、およそ1000年後のことです。まず、この時間差に留意したいと思います。  1000年以上のあいだ、西洋では端的に「利他」を示す言葉がなかった。(中略)言葉が存在しないということは、そのことをめぐる思想的な探究がなかったということです。つまり、「利他」の哲学において、東洋は西洋に1000年、先んじていたといえそうです。

『はじめての利他学』

西洋に「利他」という考えが生まれたのは19〜20世紀、 一方、日本では平安時代にまで遡る…

それを日本が優れているということに使いたいわけではありません。

改めて疑問に思うことは 「そうであるのになぜ、 私たちは西洋的な解釈の“利他”を 一般的に考えているのだろう?」 ということです。

ですから今一度 「日本的“利他”」を考えてみたいのです。

空海は「自利」と「利他」を分けるのではなく「自利利他」と書いています。

この二つは決して反対のものでも相容れないものでもないのです。

日本的「利他」とは

  • 決して自己犠牲の上に成り立つものではない

  • 実は「自利」こそが「利他」の土壌である

  • 自分と他者が深くつながることであり、自分も他者も両方を活かす道

西洋的利他に慣れているとあり得ないことが並んでいるかもしれませんが、
そこをともに探求していきたいのです。

「『利他』について知るだけでなく、 『利他』を生きてみる」
「そんな『生ける利他』を実践していきたい」

『はじめての利他学』にはこんなフレーズもありました。

「日本的“利他”」を考え、それを生きてみる。 「生ける利他」の実践に一緒に取り組んでみませんか?



参考図書:
『NHK出版 学びのきほん はじめての利他学 (教養・文化シリーズ) 』


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