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世界の観方を広げる

4月の対話会は2部構成です。

〈第1部:対話「正義や悪について」〉
〈第2部:「世界の観方を広げる」講義〉

前回のメールで、私たちは、いろんな情報を知る、いろんな観方を知ることが大事なんだと思う、と書きました。

今回の、ウクライナの現状についても、私は自分から、積極的に様々な学説を学んで…あらゆる角度の情報を集めて…といったことをやっていません。ネットニュースで、ロシア兵の行動を報じているタイトルを見て、タイトルが偏っているな、と思う程度です。

なので、第2部では、自分の世界の見方から一歩外に出てみる、という実践として、鬼丸さんに少し、世界情勢の解説というか、鬼丸さんはどんなふうに世界情勢を見ているのか、ということを話してもらいます。

ご存じの方もいらっしゃると思うのですが、テラ・ルネッサンスでは、職員が実際にウクライナとハンガリーの国境に入り、調査し、ウクライナの支援活動を広げています。

そういった現地の情報も知っていたり、そこに入るまでの知識があるNGOだからこその視点で鬼丸さんから話が聴けたら、私が正義を考えるきっかけになったひとつめ「世界情勢」が少しは情報の厚みが出て、道筋が見えるのではないかと考えています。

▼ 世界を二分する考えから脱却するには

そして、世界を二分する考え方、の話もしました。

そもそも、私がテーマに挙げた「悪と正義の境界線」という言葉だって、きっちりと境界線があるはず、という前提が少なからずあり、それは世界を二分しているということになります。

そもそも、境界線なんてないんじゃないか・・曖昧なもので、だからこそ、行き来が可能であり、恐ろしくもあり・・・と私はなんとなく思っているのですが。

先日、小学6年生になる甥が遊びに来ました。自我がどんどん発達していて、口答えして自己主張してくるなぁという感じですが、特に気になったのは「正解不正解を断定したがる」という行為です。

私が母に「赤ちゃんが手を振っていたよ」というと、それをそばで聞きつけた甥は「違う、振っていなかった!」とすごい勢いで主張してきます。彼は彼で見た瞬間を真実としているから、彼にとってはそうなのでしょうが、私は私で、手を振るかどうかが気になることだったので、行為の間、注視しており、結果手を振っていたことを目撃しました。

でも、手を振っていたかどうか、というのは、どちらが正解でも、正直、どうでもいい話です。自分にまったく関係のないことでも、自分が不正解になることが許せない、というかんじでしょうか。(しかも、彼はもともと会話の中に入っていたわけでもないのに)

もしかしたら、学校などで、そういった、彼の意見が蔑ろにされたり、自分は正解だと思っているのに周りに不正解にされることがあり、過敏に反応してしまっているのかもしれないな、なんてことを思ったのです。(聞いていないので、彼の性格などからの勝手な想像ですが)

で、ここでのポイントは「正解・不正解」があるということと「断定」ということです。

大人でも、曖昧さが許せないときがあります。私も、白黒はっきりさせたがるタイプだったので、グレーがあるということを自分の中に浸透させるのに非常に苦労しましたし、今でも苦労しているように思います。鋭意努力中です。

じゃあどうすれば、断定したり、正解不正解がある世界から脱却できるのか。

それには、例外をたくさん集めることが助けになるのではないでしょうか。

自分が知っている以上の情報を集める、ということかもしれません。自分の視点以外の視点に気づくということかもしれません。

甥と私の会話も、赤ちゃんを撮影したビデオカメラという3つ目の視点があれば、甥も「別の観方があるのか」と思えるかもしれませんし、単純に不正解を突きつけられて辛い思いをするだけに留まるかもしれません。

そう思うと、受け取る心というのも、準備が必要ですね。

今回、鬼丸さんの講義を聞きたいと思ってお願いしましたが、もちろん鬼丸さんの意見だけを鵜呑みにする気は、私はありません。

でも、鬼丸さんの話を聞くことで、じゃあ、これを調べてみようかな、こういうことを知ってみようかな、この視点で世界を見てみようかな、と広がることが常にあるので、そういう、視点を増やす意味で、ぜひ、話を伺いたいと思っています。

少人数の場だからこそ、語ることが可能な情報もあるかもしれません^^

(文責:森本)

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