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趣味を趣味として楽しみたい(語学と双極性障害)

今回は推敲せず、思ったことをざーっと書いていこうと思う。お見苦しい点があれば申し訳ない。

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さまざまな方のnoteを拝見するのが日々の楽しみだ。同病の方のnoteを読む機会も多い。

その中で、複数の方が軽躁のとき(つまりエネルギーをやや持て余しているとき)語学の勉強がしたくなるという内容の記事を書かれていた。
それを読んで私は、そう思うのは私だけではなかったのか!と驚くとともに安堵した。

軽躁のときは、気分が良いかは別として「何か活動しよう(活動しなくては)」という意識が強く働く。
元来、新しいことを知るのが好きなので、私の場合は語学の勉強に手を出しがちだ。
ある程度のレベルにまで早く上達したいものだから、レッスンや自習を可能な限り、ぎっちりと詰め込む。そのときは疲れを感じず、充実感に満ちている。

そして状態がフラットかやや鬱になったときに、前借りしていたエネルギーが尽きる。
どっと疲れが出て、勉強する意欲が沸かなくなる。

語学のレッスンは対人ということもあり、疲れているときは辛い。キャンセルするのも気が引けるので予約を入れるのが怖くなってくる。よってレッスンが進まず、語学力の向上もストップだ。
数年間、途切れ途切れの学習なので大して身にはなっておらず悲しい。

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語学は生活や仕事をするために勉強しているわけではなく、あくまで趣味なのだ。
私が勉強しなくても誰も困らないし、自分も困らない。

話せたらいいな、読めたらいいな、そんな素朴な願望のはずなのに。

実際は自分にノルマを課し、それを終えなくては休めない、という意識から気づけば勉強が苦行のようになっている。
一度決めたから!という自分のわがままなので、単なる自業自得でしかない。

勉強は目標やノルマとの相性がよいので、ついついそれを追求してしまう。
一日分の目標を達成するまでそわそわするし、結局何もしないで一日を終えると、サボってしまった…!と深く落ち込む。

本を読んだり映画を観たりするのも趣味だけれど、そちらは冊数、本数などは意識したことがない。読まなくても観なくても自分を責めることはない。不思議なものだ。

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語学学習の何がこんなに難しいのだろう。

語学は続けなくては忘れてしまう。そういった継続の必要性がネックなのか、スケジュールを前もって決めるハードルが高いのか、ぼーっと麻痺した頭をフル回転させることがきついのか、ゴールを設定して達成感を得るという性質のせいなのか、あるいはその全部?

外国語を学ぶ趣味を、趣味のままに楽しみたい。

なにか方法はないものかと現在模索中だ。

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