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熊本藩川尻米蔵に行ってきました🌾
こんにちは。今回は熊本市南区川尻の国指定史跡「熊本藩川尻米蔵」に行って参りましたのでそのレポートになります。川尻地区は2年前にnoteで川尻散策シリーズとして記事にしているのですが、米蔵はその時はまだ保存修復工事中で内部は見学できませんでした。その修復工事が完了し昨年10月から一般公開されていると知り、遅ればせながら見学に行ってきた次第です。今回レポートする米蔵は江戸時代、各地から集められた熊本藩の年貢米を一時保管した巨大な倉庫なのですが、このような米蔵が現存しているのは全国でも数件しかなく貴重なんだそうです。なので史跡としては地味な部類かもしれませんが(?)、江戸時代の藩の米蔵の内部がどんな構造になっていたかはなかなか知る機会がないと思いますので、是非、社会科見学に行った気分でご覧頂けたら幸いです❣️(結局4000字)
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まず簡単に散策地川尻の歴史的背景を説明しますね💡川尻の町は有明海に注ぐ緑川水系の河口に位置しておりまして、鎌倉時代から貿易港・水軍の拠点地として栄え、江戸時代には細川藩の軍港並びに年貢米の集積/積出港として栄えた河港町でした。そして米蔵のある通りは江戸時代の川尻のメイン通りで、現在も江戸時代〜近代の古い建造物が残る風情のある通りなのですが、昨年の公募によって「川尻蔵前通り」と愛称が決定したそうです。早速、通りの中間地点にある地域の拠点「川尻公会堂」前に、以前は無かった通り名が書かれた真新しい木製看板を見つけましたよ♪↓
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そしてうれしかったのが、その看板の横の、こちらは以前からあった案内板なのですが↓
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新しくなってる〜✨以前は文字の金ばりが全部剥がれていてかなり読みにくかったので、記事中に直して欲しいって書いたんですよね😅多分、米蔵の一般公開に合わせて新しくされたんでしょうけど、大変いいことですね💫(この案内板記載の名奉行•上田休さんについては川尻散策シリーズ 西南戦争ゆかりの跡地を巡る編で取り上げていますので宜しければ是非。記事の最後にリンクあります。)
そしてこちらが「熊本藩川尻米蔵」になります!↓
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蔵の周辺も綺麗に整備されてる〜✨(当たり前ですが、前回からの変貌ぶりに感動したので)そして新たに案内板も設置されているようなので、例によって引用させていただき、説明と致します。↓
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国指定史跡 熊本藩川尻米蔵跡
熊本藩川尻米蔵跡は、江戸時代に熊本藩の年貢米の集積・搬出の拠点となった場所です。
川尻は中世の頃から物資の流通や貿易の拠点として機能していました。近世に入って加藤家が肥後国に入国すると河港整備が行われ、細川家の時代には藩の奉行所や御茶屋、御蔵などが設置されました。毎年約20万俵の年貢米が川尻の御蔵に集められ、大阪蔵屋敷や熊本城下へ搬送されていきました。また、御用船の停泊地として御船手方が置かれ、軍港としても重要な役割を担っていました。
川尻には元々外城蔵•東蔵•中蔵に計9棟の御蔵があったとされ、そのうち外城蔵の2棟が現存しています。また加勢川に面した船着場跡も現存し、土留めのための基礎工事が行われていたことが判明しています。
このように、我が国の近世の物流と水運施設の様相を知る上で重要であることから、外城蔵跡と船着場跡が平成22年(2010年)に国史跡に指定され、平成24年(2012年)には御船手渡し場跡が追加指定されました。
更に分かりやすいように、江戸時代(天保時代)の古地図で蔵の位置を確認しましょう💡↓
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赤色が川尻にあった米蔵群ですが、今回見学する米蔵は画像左手、現存する「外城蔵」の2棟のうちの東側の蔵になります。米蔵群の前には加勢川が流れていて、「御船着場」があるのが分かりますが、この船着場から各地から船で運ばれてきた年貢米を降ろして米蔵に運び込んだ訳です。(この船着場跡と近くの御船手渡場し跡は川尻散策シリーズ川尻米蔵跡編で取り上げていますので宜しければ是非。)
因みに本記事の趣旨からは脱線しますが、古地図上で「川尻奉行所•御茶屋」と書かれた木立に囲まれたエリアは、中世の川尻城跡なんですよね💡中世に川尻荘の地頭だった川尻氏は南北朝時代、足利直冬の九州入りを助けたので、直冬さんも川尻城に滞在したはず✨南北朝時代を含む中世の史跡群はいずれ南北朝シリーズ川尻編の記事でまとめたいと思っているんですが、まだ先になりそうです。。
前置きが長くなりましたが、いよいよ米蔵見学と行きましょう🏃♀️まずは外観から↓
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修復によって外側はだいぶ綺麗になっていますが、この外城東蔵は江戸末期の1847年築で、新築当時は桁行30間(約60m)でしたが、その後利用される中で両端の室が失われ、現在は桁行20間(約40m)になっているそうです。最初はもっと大きかったんですね〜、そして昔はこのような蔵が9棟あったとのことですから、本当にたくさんの米俵がここに集められていたんですねぇ、警備も大変そうですね。では中にお邪魔しましょう♪
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蔵の中は、もちろん当時の蔵の構造や使用時の様子が再現されていてそれだけでも見応えがありますが、川尻の歴史や史跡群を説明する展示スペースにもなっています。何種類かのビデオ上映や、体験スペースもあってお子様でも楽しめる工夫がされていました。写真撮影OK、SNS投稿OKとのことだったので、以下、内部構造の写真と、興味深かった展示物を数点載せたいと思います。まずは蔵全体を北西の角から撮った写真↓
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蔵内部の巨大な空間が柱で格子状に区切られているのがわかります。江戸時代の熊本藩における行政区域(村)ごとに年貢米の納入場所が決められていたそうですよ💡(熊本に土地勘のある人しかわからないかも知れませんが、具体的には飽田・託麻・益城・宇土の四郡の村々の米が川尻の米蔵に集められていたそうです。)たくさんの柱で村ごとの区画を作るアイデアは視覚的に分かりやすいし、大きな蔵の強度アップにもなって機能的だと感じました。また、毎年村々からここに集められた米俵を見たら、今年はどこどこ村が不作だな〜、とか、全体的に凶作だな〜とか、一目でわかったんじゃないですかね🤔
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たくさんの米俵ってピラミッド状に積み上げたんですね〜💡そしてこの米俵の当時の数え方についての面白い解説パネルがありました。↓
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パネルではピラミッド状に積み上げられた米俵を素早く数えるために用いられた江戸時代の「俵杉算」という計算方法が紹介されています。詳細は画像でご確認頂きたいのですが、一辺が米俵7つの正三角形のピラミッドの場合、全部の米俵の数は、7×(7+1)÷2=28と計算していたそう。これより小さなピラミッドなら一個ずつ数えるでもいけそうですが、大きなピラミッドだったら便利な公式ですね🧐ていうか、マックスで何段まで積み上げ可能だったのか気になります。米俵って強度強そうだし、豊作の時は山みたいな巨大なピラミッドが蔵のあちこちで積み上がっていたのでしょうか?いや、2桁になったら計算面倒くさいし高くなって危ないし一辺10俵位がMAXだったのか。はたまた一辺は7俵で積む決まりだったのか。。いろいろ想像はつきません。
この俵杉算は実際に米俵の模型を並べて確認できるような体験型展示になっていたのですが、その他にも以下の様な体験が出来るブースがありましたよ💡↓
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小さい方で30kg!米俵の揚げ下ろししてた人力持ち💪
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館長さんが撮りましょうか?と声をかけて下さいましたが、中年女が米俵を肩に抱えている写真をUPしても皆さん感想に困ると思ったのでパスしました笑
最後にご紹介したいのは、部材に残された墨書きです。修復工事の中で、部材の接合部などの表から見えない場所に多くの墨書きが見つかったそうです。ほとんどの部材は再利用されているので現在見ることはできませんが、再利用できなかった部材のうちの一つが展示されていました。↓
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上下のブロックにはそれさぞれ下記の記載があります。(ブロックごとに読むのか、続けて下に向かって読むのが正しいのかは分かりませんが)
上:「棟梁 竹内正治□ 弘化三 年上旬
丙八月 子弟 弥熊」
下:「町小屋頭 新町銀□ 正□□□□ 外城□
嘉八 伍八 同幾助 同□槌」
上の画像の墨書きは蔵の建築に携わった当時の職人さん達が記念に書いたものだと思われますが、藩の大事業に携わったんだという職人さん達の秘めた誇りのようなものを感じました✨
さいごに
今回修復が完了した川尻米蔵を記事に取り上げたのにはもう一つ理由があります。2年前の記事で、川尻散策の感想として「案内板を直して欲しい•観光駐車場がない・観光案内所的なところがない・全ての見どころスポットを網羅した散策マップがない」など要望的なことを呟いていたのですが、それが米蔵リニューアル公開を機にほとんど改善されているので、情報をアップデートするためです。熊本市のご担当者が私のnoteをご覧になったかどうかは分かりませんが、この場を借りて御礼を申し上げたいと思います🙇♀️川尻米蔵には散策マップや各種パンフレットも置いてありますし、近くには観光客が利用できる駐車場も整備されたようですので、米蔵が散策の拠点になってたくさんの人が川尻の散策に訪れたらいいなと思います。因みに車でなくても史跡や歴史的建造物が集まる散策エリアは川尻駅から徒歩圏内なので、県外から熊本観光に訪れる方も川尻まで足をのばして、江戸時代の雰囲気が残る風情ある街並みを楽しんで頂ければいいなと思います❣️
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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊
下記リンクも宜しくお願いします❣️
町並み散策編↓
川尻米蔵跡編↓
西南戦争ゆかりの跡地を巡る編↓
【参考資料】
•熊本市 熊本川尻散策町図map
•熊本市 熊本藩川尻米蔵 リーフレット
•熊本藩川尻米蔵展示パネル
•熊本市ホームページ
アクセス情報はこちらから↓