見出し画像

九州南朝の征西府が置かれた都🍃菊池一族の本拠地 菊池市歴史さんぽ② 【菊池神社】

こんにちは。今回は菊池散策レポートの2回目です。熊本県菊池市は鎌倉時代後期から室町時代にかけて栄えた菊池一族の本拠地で、南北朝時代には征西将軍宮・懐良親王を迎え、九州南朝の征西府が置かれた都市です。菊池散策前半では、菊池観光協会さんで端末とイヤホンをお借りして、ボイシネウォークというサウンドアトラクションを体験しました。散策レポート1〜3回目は、アトラクション用に指定された散策ルート上の史跡をご紹介します。(ネタバレになるため、アトラクションの音声内容は記事には記載しませんが、よくできていてとっても面白かったですよ♪)

菊池一族の最盛期を築いた15代菊池武光公とその時代を説明した【予告編】及び散策記事1回目を事前にご覧いただけますと、今回の散策記事をより一層楽しんでいただけると思います↓

散策ルート紹介

本記事中の散策ルートをオレンジ線で表しています。散策マップは、菊池神社で頂いたものを拝借

画像1
印字の赤線のルートがサウンドアトラクションのルート。本記事でご紹介するのは手書きのオレンジ線のルート。
画像2
本記事散策ルート拡大図

今回の第2回目は、御所通りと県道133の交差点から続く長い参道を通って旧守山城跡に建つ菊池神社に向かい、菊池神社並びに摂社・城山神社、別宮・雲上宮をご紹介したいと思います❣️それでは早速行ってみましょう👟※雲上宮はサウンドアトラクションのコースには含まれていませんが、便宜上、一緒にご紹介します。

交差点を渡って鳥居から桜並木の参道に入ります

画像3

桜の花が咲く時期はさぞかし綺麗でしょうね🌸

画像4

境内に続く登り階段の鳥居前に着きました。頑張って登りましょう🏃‍♀️

画像5
登り中間地点に古井戸発見。山城として使用時はここから水を調達したんでしょうね。
画像6
画像7
画像8

立派なしめ縄に風格のある門ですね〜✨
早速中に入りましょう❣️

菊池神社

画像9

広くて手入れの行き届いた境内に、立派な拝殿✨
菊池神社の説明は、現地案内板から引用します↓

画像10

 菊池神社は、明治3(1870)年、菊池一族が本拠地とした守山城(菊池本城)のあった場所に建てられた神社で、12代武時、13代武重、15代武光が主祭神として祀られ、16代武政以下一族26名が配祀されています。
 敷地内にある歴史館には、菊池一族や松囃子能(国指定重要無形民族文化財)に関するものなど、数多くの貴重な資料が展示、収蔵されています。

さてここで15代武光に加えて、12代武時、13代武重の名前が出てきたので、パンフレットの家系図抜粋の画像を引用させて頂き説明します。(10代武房さんと17代武朝さんも後ほどご紹介しますので覚えておいて下さいね💡)

菊池市「菊池一族のススメ」パンフレットより

まず、画像中央の15代武光さんは、前回からご紹介している通り、南北朝時代に征西将軍宮・懐良親王を擁して九州を制し、菊池一族の最盛期を築いた菊池一族で最も有名な英雄です。

12代武時さんは武光さんの父です。1333年後醍醐天皇の討幕の呼びかけにいち早く応えて、幕府(鎌倉幕府)の九州の出先機関である鎮西探題を襲撃しましたが、少弐・大友両氏の幕府への寝返りにより討死(博多合戦)。討幕が成った後、楠木正成の武時忠厚第一との進言によって、後醍醐天皇より、武時の長子・武重が肥後守に任命されたそうです。

13代武重さんは武光さんの兄です。この方実績たくさんあって凄いです。武重さんは後醍醐天皇の側近として京都に残っていて、反旗を翻した足利尊氏討伐軍に加わり、箱根・竹下の戦いにて新田義貞のしんがりを務め、日本初の集団槍戦法「槍ぶすま」を編み出したそうです。(菊池千本槍)
 また、禅宗を厚く信仰し、高僧・大智禅師を菊池に招いて聖護寺を建立し、一族の団結に繋がる精神的なよりどころとしました。
 それから、動乱の世にあって一族の結束を強固にするために、日本で最初の血判書の形で3ヵ条からなる掟をつくりました。(通称 菊池家憲)この内容がカッコいいので菊池市のHPから引用します。(一部構成編集)

       寄合衆内談の事

一、天下の御大事は、内談の議定ありと言うとも落去の段は武重が所存に落とし付くべし。
(天下を左右するような大事については、内談衆の議決があったとしても、最後の決断は武重が行う。)

一、国務の政道は内談の儀を尚すべし。武重すぐれたる議を出すと言うとも、管領以下の内談衆一統せずば、武重が議を捨てらるべし。
(国の内政についてはたとえ当主が優れた意見を出したとしても内談衆の意見が一致しなければその案は採用しなくてもよい。)

一、内談衆一統して菊池の郡に於いて訴え事を禁制し、山を尚して五常の義を磨し、家門正法と共に竜華の暁に及ばん事を念願すべし。
(一族内部での係争ごとを禁じ、聖護寺の教えの下、家門の繁栄が仏教の正当な教えとともに永久に続くことを願う。)

謹んで八幡大菩薩の明照を仰ぎ奉る。
                       藤原武重
延元三年七月二十五日

菊池市公式ウェブサイト「菊池一族」『菊池家憲』より

主祭神お三方の説明が終わったところで、拝殿に参拝します✨菊池一族の皆様、今日はお邪魔しております🙏

画像12

ところで、案内板にもあった菊池神社歴史館ですが、サウンドアトラクション体験日とは別の日に参観しましたので軽くご紹介します。広い館内には前述の「菊池家憲」(血判が押された原本ではなかったかも)や、鎧や刀剣、古文書や軍配など興味深い展示物がたくさんありましたが、ひときわ目を引いたのは、蒙古襲来(元寇)の際の元軍のものと伝わる甲冑です。

兜は木製、鎧は光沢のある布製で裏(内側)に鉄板や鉄鋲が縫い付けてあったような。色は兜も鎧も真っ赤でした。ちょっと「えっ?」て思ったのが、表地と裏地の縫い目が仮縫いか?と思ったほど荒かったんです笑 まぁ、見えないところだし、剥がれなければ問題無いですよね😅逆に、展示してあった日本の室町時代の鎧は、美術工芸品並みに細部まで美しく作り込まれていて対照的でした。どっちがいいとか言うつもりはなくて、合戦でボロボロになる訳だし、個人的には美術工芸品を着て戦うの勿体ない気がします😅歴史館内は写真撮影禁止だったので、元軍甲冑の写真を菊池市のパンフレットから画像引用させて頂きます↓

「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子 p.4

さて、何故、菊池神社歴史館に元軍の甲冑があるのかは、次にご紹介する、菊池神社拝殿の横にある摂社・城山神社で明らかになります。

摂社・城山神社

画像14
画像15

城山神社の御祭神は、10代武房さんと21代重朝さんです。10代武房さんは鎌倉時代後期、2度にわたる蒙古襲来(元寇)で奮闘し名を馳せました。その様子は、歴史の教科書にも載っている(今も載ってるかな?)「蒙古襲来絵詞」に描かれています。下記にパンフレット画像引用させて頂きます↓

「菊池一族歴史さんほ」パンフレット冊子 p.5

武房さんは元寇で活躍したものの、幕府からの恩賞は甲冑一式とわずかな領地のみだったそうです。この出来事を境に、菊池一族は幕府への反感を強めていったそうです。それから武房さんは、刀工・延寿太郎国村を京都から菊池に招いたそうです。以来、延寿一族は菊池一族のお抱え鍛冶として刀剣を豊富に供給しました。延寿一族の屋敷跡にも後日行ってきましたので、今後の記事でご紹介しますね。

※全然関係ないですが、蒙古襲来絵詞の主人公である肥後の御家人・竹崎季長さんもかなりユニークで面白い方のようなので、いずれこの方の史跡にも行ってみたいです💡

さてさて、次は是非とも訪れたかった場所、征西将軍・懐良親王と、後征西将軍・良成親王の御在所跡に建つ、別宮・雲上宮(くものへぐう)に参りたいと思います❣️

雲上宮は菊池神社のある丘陵の背後にある丘陵に建っていますので、神社に登ってきたルートとは反対側から山を降りて、雲上宮のある丘陵に登ります。

神社を北側に降りてきたところ↓

うわ〜、北側の斜面見てください❗️
これ空堀と土塁の跡ですよね?

ここが雲上宮の参道入り口です💡早速行ってみましょう🏃‍♀️

一旦下ります。
参道横には大堤
祠へと続く階段の前の鳥居まできました。
なにやら案内板が見えますね。
周辺を探しましたが、湧水は見つけられませんでした。
枯れちゃったのかな。

これから祠のある山の上に登ります。鳥居を過ぎた頃から急に風が吹いてきて、木々がざわめき出してちょっとビビりました。「となりのトトロ」でさつきちゃんが初めてトトロの森(トトロの木の祠?)に行って、おっかなびっくりしながらも何か神聖なものを感じるあの感覚です。(そんなシーンありましたよね?)

鬱蒼としていてちょっと怖い

生い茂る樹々で周りが見渡せないので、どこまで行けば着くのか分からず不安だったのですが、先の見えない急な階段を登ると、祠前の踊場?に着いてホッ😮‍💨

      守山城跡及び内裏尾

 守山城は雲上城ともいわれ、中世の築城で自然の要塞を巧みに利用した山城でした。
 本丸は菊池神社社殿付近、二の丸は月見殿跡、三の丸は金毘羅宮周辺でした。
 これから太宰府に征西府を進めるまでの17年間、菊池一族の根拠地となり、守山城が本城となったのは、第15代菊池武光公のころといわれます。
 また、この地は南北朝時代、後醍醐天皇の皇子懐良親王と、御村上天皇の皇子 良成天皇の御在所跡で、前面に本城・背面に外城をひかえた要害の地で、いままで字名を「内裏尾」と名づけられているように、内裏とは天皇の住居を示し、尾とは守山城の裾野の場所を示すもので古来神聖な場所とされてきました。戦さの時には守山城と共に、山城として利用したものと思われます。
 昭和45年両親王を祭る雲上宮が創建され「征西将軍宮跡」と刻した碑が建っています。

現地案内板より

そしていよいよ祠の前の鳥居前に進みます😆

別宮・雲上宮(くものへぐう)

きゃ〜✨斜角に入ってくる木漏れ日がめちゃくちゃ神聖な雰囲気を醸し出していますよね🍃✨🍃

狛犬さん、目が赤くてかなり怖い笑↓ 目が充血するほど、両親王をしっかりお守りしてるんでしょうね。お疲れ様です、祠の前までお邪魔します。

確実睨まれてます。
境内の征西将軍宮跡の碑。逆光💦

祠の前で両親王にご挨拶します↓
 宮さま方、こんにちは。
今日は素敵な時間をありがとうございます🙏

お参りをしている間、一羽の黒蝶がゆったりと祠の周辺を舞っていました。宮さま方の御使いかな?歓迎されてるようでなんだか嬉しかったです☺️因みに、木々が鬱蒼としていて、雲上宮から麓の眺めは拝めませんでした。元御所からの眺め、見てみたかったな〜。下記にパンフレット冊子の雲上宮の想像画を引用します↓

菊池市「幻の都 城下町菊池」冊子 p.11

それでは元来た道を戻って、菊池神社境内横の展望所で本記事はフィニッシュです。もう暫くお付き合いくださいね🙇‍♀️雲上宮からの戻り道は、風も吹かずに穏やかでした。「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」の逆バージョンですね笑

それでは、菊池神社境内までワープ🌈

神官さんの藤色の薄衣がなんとも涼やかです。写真奥の柵の向こうに、展望所があります👟

展望所前広場の菊池武時公の騎馬像と、菊池十八外城の石碑↓

菊池十八外城は、ここ守山城(本城)を防衛するための拠点として設けられました。この内、本城が守山城に移る前の一族の拠点「菊之城」と、武光さんの次世代、17代武朝さんが今川了俊さんと戦った舞台、「台城」と「亀尾城」には後日行ってきたので、今後の記事でレポートしますね。

そしてこちらが広くて綺麗な展望所✨

何時間でも景色を眺めてまったりできそう
菊池一族歴代当主のイラストが描かれた自販機

そしてこちらが、展望所から菊池の街を見下ろした眺めです〜✨↓

さすが本城、菊池の街を一望できます。若干木が邪魔ですが、右下に一回目でご紹介した武光公の騎馬像が見えますね。また、写真中央の赤いテレビ塔?は、外城から本城の方向を探す際、目印になるので宜しければ覚えおいてくださいね💡

それでは菊池散策2回目の記事はここで終わります。次回は、本丸跡に建つ菊池神社から先に進み、二の丸のあった場所に建つ「観月楼」、菊池五山の一つだった「東福寺」、菊池武光公墓所などをご紹介します。
次回もよろしくお願いします!

あとがき


ここでは第2回目のあとがきとして、華麗なる菊池一族についてまとめたいと思います。南北朝時代がやはり菊池一族が輝いた時代ですが、まず12代武時さんが、後醍醐天皇の呼びかけに応じて鎮西探題を攻め、敗れはしますがその忠厚によって息子である13代武重さんの肥後守就任を後押しします。次に13代武重さんが菊池千本槍を開発したり、一族の結束を強めるために、禅寺聖護寺を建立したり、菊池家憲を制定したりして、菊池一族繁栄の基礎を築きます。そして武重さんの死後、弟である15代武光さんの時代に征西将軍宮・懐良親王をお迎えし、九州制覇を成し遂げ、一族の最盛期を築きました。

もちろん、他の一族の方々も団結して南朝方として頑張られました。12代武時さんは子沢山で、武重・武光含め優秀な息子さんがいらっしゃいます。一例を挙げると、13代武重さんの弟の武敏さんは、後醍醐天皇に付き従っていた武重さんの代わりに留守を守っていて、足利尊氏が九州に落ち延びてきた際の「多々良浜の戦い」で尊氏と戦っています。そして、同じく武重さんの弟の武吉さんは、「湊川の戦い」に参戦し、楠木正成と共に自害されたそうです。

今回は長文になってしまいました🙇‍♀️最後に、「菊池一族」HPに、菊池一族の魅力をまとめてあるので、その文章を引用して終わります。

        一途な信念
菊池一族の大きな魅力は、なんと言ってもその誠実さが挙げられます。代々朝廷の忠臣として奮闘し、たとえ不利な立場になったとしてもその信念を覆すことはなく、一途に志を貫き通したのでした。最盛期の南北朝時代には、全国的な北朝有利の状況にあっても南朝の雄として最後まで戦い抜き、その愚直なまでに信義をつらぬく姿勢は、後の世にまで語り継がれることになりました。

菊池市公式ウェブサイト「菊池一族」 『菊池一族とは』
菊池市「幻の都 城下町菊池」冊子 p.9

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【引用HP】
菊池市公式ウェブサイト「菊池一族」

【参考文献】

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族ことはじめ」パンフレット冊子

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子

・菊池神社 パンフレット

・『皇子たちの南北朝』森茂暁著 1988年 中央公論社

・マンガ日本の古典「太平記」上中下巻 さいとう・たかを著 中央公論新社

【画像引用文献】

・菊池地域振興局総務振興課 菊池一族 歴史を巡る散策マップ

・菊池市経済部商工観光課 「絵で見る 幻の都 城下町菊池」

・菊池市「菊池一族のススメ」パンフレット

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?