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ワナビにもなれなかった。社会人4年目の夏の話。

これは、大学時代のOB・OGを中心に企画した演劇公演が終わり、1週間の夏休みに入って何もやる気が起こらなくなっている、元演劇人の手記です。

気がつけば社会人4年目→回想

社会人3年目の終わりのとある飲み会だった。
演劇を続けて、着実にその世界で生き抜く為の装備を整えつつある演劇サークル時代の同期生。
仕事をしながら、物語を創って身を立てるべく、創作物を世に出し続けている後輩。

久々に集まって3人で飲んでる途中、
ふとその話があがった。

「演劇やろう」

誰ともなくそう言った。
嘘です。多分、同期のアイツがそう言った。
少なくとも俺は言ってない。

俺は、いやぁ‥と言いながらも、
口元が弛んでいたと思う。
満更でもない、そんな感じだった。

おおよそ5ヶ月後、上演されたのがこちらだ。
(ホワイトノイズが強めなのはご容赦されたし)


今だから言えることだが、俺はこの夜、何も考えていなかった。
まだ、俺のことを“演劇やれる人”だと思ってくれてるんだ、嬉しいな』
考えていたことは、これだ。これだけだった。

演劇をやってた“あの頃”より、やめてからの“この頃”のほうが長いことに気づいた

3人でフツーにカラオケを楽しんで解散した後、
電車で、実際にやれるのかを、ぼんやりと考えた。

不安しかない。

俺は演劇を離れてもう4年くらいになる。
演劇を始めたのが約7年前……マジか。
サークル卒業までが2年間、
そこまでの繋がりに頼って続けた1年間。
就活して、就職して、演劇は観て楽しむもの、
たまの週末の楽しみくらいに思っていたのが4年間。
(中の2年くらいは、世間も“もっと重大な事情があって”演劇をやめていた)

思い返すと、つくづく感じる。
Q1.今さら何ができるんだろう?
ただ、それ以上に、
Q2.あの頃の自分って、どこにいったんだろう?
という、純粋な疑問もあった。

舞台上に取り残した自分を探す旅、あるいは三泊四日の小旅行

演劇をやっていたあの時期。
「オレってすげー天才なんじゃないか!?」って思いながらMacBookのキーを叩いていた夜、舞台上でその世界にいる誰かとして存在できた一幕の後、そんな時々やってくる“最高の瞬間”以外で、自分をクリエイティブだと思ったことはほとんどない。
まったくないとは言わないけど、少なくとも、あの日の僕がそのまま今の自分になっているとはとても思えなかった。

俺は、今回の企画にかこつけて、あの頃、万能感に満たされた幻想みたいな日々の中に、確かにいたはずの“僕”を、探してみることにした。

『六畳人間』という企画案を引っ張り出した時点での、弱気で消極的な本音

ただ、やっぱり正直なところ、仕事をしながらこれまでと同じように舞台作品を成立させる自信はなかった。
できるなら卒業後も続けていたと思う。
‥いや、それは今だから思うことかもしれないけど。

何にしても、俺にはもっと小回りの利くアイデアが必要で、それは現役時代に仕舞い込んだ没ネタの中から見つかった。

『六畳人間』
六畳間分の空間と、そこでの物語を生み出せる小数のチームアップがいくつかあれば、十分に成立するオムニバス公演企画。
これなら可能性がある。

幸い、所属していた演劇サークルはオリジナル脚本での公演を中心とした一団であり、先輩、同期、後輩の中でも複数人、このお題でお芝居をスパン!と生み出せるであろう人達の顔が思い浮かんだ。
(実際にその中から作品を出してくださる方が4名、俺と合わせて5本の演目が現実の上演作品となった)

企画が決まってからは、色んな人にお世話になり、時にはかなり確信犯的にご迷惑をおかけしたりしながら、駆け抜けるようにして3ヶ月を過ごした。

公演が終わった今。
目的通り、自分の中に、そして舞台上に“僕”を見つけ出せたかと言うと、あまりはっきりとは答えられない。

友人達が創るものに救われ続けた3ヶ月間

それでも、企画前より確実にスッキリとした気分になれているのは、この企画中に“僕”とやら以外が創り出した貴いものに触れた、数多の経験のおかげだ。

例を挙げると。

一番最初にあがった本が『テキサスに竜巻起こせ』だった。一読して、自分の本も書き始める前から、これを最終演目に据えようと思った。

今思えば“最初と最後に自分の本を入れて公演に軸を通す”という、かなりこの作品において重要であるはずの路線を密かに捨てたことは、演劇人として相当にナンセンスな決断だったろうし、脚本家としての僕にとっては、静かな敗北宣言だったとも言える。
ただ……僕がプロット段階で書こうと思っていた“六畳間と世間様”というテーマについて、これ以上の決着は描けないな、と直感したし、何より、僕はこの本に救われていた。
僕は“アンサー”ではなく“問いかけ”の方を、つまり、俺が諦めたもの、見失ったものの話をするだけでいいや……という風に、折り合いがついた。

ここで“僕”の輪郭が見え始めた。

その後、先輩の、自分の職能を六畳に落とし込むような作品を観た。自身の特長を活かして畳みかけるような芝居も観た。
後輩の、途轍もない真摯さでもって世界と向き合う物語を観た。

やがて、僕自身が書いた本もまた、演劇になった。
その頃には、理解の遅い僕にも分かっていた。

真っ黒で得体の知れない顔になっていたけど、青い鳥はここにいた

俺が思うほどクリエイティブで期間限定な“僕”、
僕が思うほど分別を弁えて社会に適応した“俺”、
どっちもいねーわ

思ったよりフィクションだったわ。
少なくとも、この企画やってフィクションになったわ。

4年も経ってるとは思えないほど「変わってないね」と言われたし、周囲の皆も、一度稽古場や劇場に入ってしまえば、当時とまるで同じ存在に感じられた。
最初から俺の中に僕はいた。
ただ、社会性と収益性を向上させるために
トンマナや立ち居振る舞いを多少いじって、
それが失敗して冴えない感じになってる
だけで。
そこらへんも含めて、らしさと言えばらしさだし。

俺は演劇という非日常に現実的な重みを与えるのが怖くて、鼻で笑うふりをして舞台上に閉じ込めた
はちゃめちゃに美化して、青春として割り切った。でも、境界線を引くまでは繋がっていたんだ

何が“幻想みたいな日々”だよ、アホか。

思ったほど人は変わらない。
ただ、暮らす場所が多少なり変わっただけだ。

僕にとっての演劇は夢みたいなモノじゃなかった。
六畳一間と同じくらいちっぽけで、
確かに存在した日常だった。

そのことを、思い出した。

この後、何をしようか

一夏の夢、もとい、一幕の現実が終結した。
改めてやってみて、演劇は面白かった。
ただ、ずっと皆を巻き込み続けているわけにもいかない。半端な覚悟で劇場に留まり続けることはできないということは、前から分かっている。

だからこそ俺は、今度こそ『演劇』というものを劇場の外に連れ出してやろうと思っている。
どんな形の表現になるかはまだ分からないけど、俺が俺のまま続けられる表現を探していかないと、今日の自分が、また思い出になってしまう。

俺は演劇が好きだ。
皆さんのおかげで好きになったし、
今でも好きでいられている。

自分の手元のノートにだけ書くのでは、
あまり意味がないような気もするけど、
本当に、心から感謝しています。

六畳より広くて狭い世界より、改めて

僕は演劇をやめた。4年ちょっと前に。

涙の卒業はとうに過ぎた。引き返せるところで引き返した自分を否定するつもりもない。
来週からまた始まる、凡人に相応しい幸せを追い求める日々だって、まだまだ前途多難だろう。

それでも、僕の中で、
あの頃から変わらない何かが、今日も続いている。

これを読む、貴方の中にも続いていたら嬉しい。










‥コンビニ行くけど、なんかいる?

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あくび侍@日常のこじつけと、非日常の筋立て。
常に前よりダサい語りを心がけます。

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