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教師・学校・地域・政治(教育社会学)

大学院で学ぶ「学習のデザイン」。今回は現代の教育を社会学的な視点でミクロからマクロへと考察しています。


教師(ミクロ)

学校の先生の仕事範囲はどこまででしょうか?

最近は、教師のブラック環境が明るみになっています。例えば部活指導の実態はサービス残業化になっていて、多忙さのために本来の授業の準備時間が取れないといった問題が出ています。

しかし一方で、現場の先生(この授業の生徒の一人は小学校の校長先生)がいうには、部活の指導によって、勉強ではパッとしない生徒を育てることができる大切な機会だと考える先生もいる、ということです。どちらが良いとは0-1で割り切れない面もあります。

実はメディアと実態は異なり、文科省の教員勤務実態調査によると、教員の環境は少しずつ改善に向かってはいます。でも印象から、教員になりたい人が減っていたり、教員の学力低下などが影響しています。

そんな中、教師に求められるスキルも多様化しています。デジタルを活用するスキル、教育指導要綱には載っていないテクノロジーやビジネススキルの知識などが求められます。

求められる教師像が変わってきていることは明らかです。

学校(ミクロ〜メゾ)

昔も今も「こんな勉強して何の役に立つの?」という質問は、学校の中でよく耳にします。長い目で取り組むか、すぐに使える知識や技能の獲得を求めるか、インストルメンタルとコンサマトリーという言葉で説明されます。

  • インストルメンタルな機能:長期的・目的重視の未来志向型

  • コンサマトリーな機能:短期的・即時的な充足

最近は文系は専門技能が身につかないから就職に不利、プログラミングなど社会ニーズの高い学びに関心が集まる傾向があります。

でも、学習の目的とは仕事だけでなく、生涯にわたる教養やものごとの見方を身につける、といった側面もあります。

コンサマトリー性が強まると、学校が職業訓練校化してしまいます。そこで身につけた知識や技能は1-3年のうちは高い効果を発揮するかもしれません。でも10年後を見据えると、おそらく強い競争力を持つ効果にはつながりにくいはずです。

教育の効果はすぐにはあらわれにくいけど、社会情勢を意識しすぎてコンサマトリー思考になると近代以前に逆戻りになるので、教育はある程度の独立性を持った方がよいと思います。

地域(メゾ〜マクロ)

地域社会と教育の関係性を4象限で整理した考え方があります。

この図からは、学校環境は一部の偏った集団であることが読み取れます。子どもが他者との関わりで学んでいくためには4つの領域に関わることが必要だといえます。

2000年以降、地域に開かれた学校づくりの促進として、保護者や地域住民が権限を持って参画するコミュニティ・スクールが広まっています。2007年の教育基本法の改正、2015年の中教審答申などで、大人の関与の必要性が強調されてきました。

普及度は地域によってバラバラです。山口県は教育が進んでいるらしく普及率が高く、福井県はあまり理解が得られず浸透していないそうです。

次に地域間格差について。これは自由や平等と表裏一体の課題です。

学区という規制をなくすと、本人や家族が希望する学校を自由に選べるようになります。良いことのようにも思えますが、結果として学力の高い子どもが都市部に集中して、地域との結びつきも弱まっています。

地域の教育格差にも影響します。大学進学率は2016年で東京都は72.7%に対して、鹿児島県は35.8%と半数以下となっています。1980年代まで格差は縮小傾向でしたが、それ以降は拡大しています。

地方創生には、若者がその土地に定着するために、地方の大学を充実させることが重要です。1990年以降は地方にも大学が増えて、2016年時点で大学生の78%は私立大学に在籍しています。

政治(マクロ)

政治における教育の扱いは、国の成長やリーダーの思想などに強く左右されています。

政治主導による教育改革は官邸からの選任で、教育の専門家は少ないか、まったくいない場合もあり、政治家の思惑や都合で動いていました。2000年以降は説明責任(アカウンタビリティ)が求められるようになります。

近年の傾向は世界的に、新自由主義(ネオリベラリズム)が政策のイデオロギーに強く反映されています。この新自由主義は、個人を尊重するスタンスを持ちながら国家の介入を正当化するスタンスを合わせもっていて、能力主義と自己責任が強く求められる思想です。

資本主義社会では上の4つが教育と互いに絡み合います。国家の思惑と個人の自由が一致する場合もあれば相反する場合もあります。教育がどうあるべきかは社会的にとって公平な視点で考えて、政治に対しては厳しく目を光らせる必要があります。

学んだこと

自分ひとりの視点なら、いい学校に行って先生に教えてもらいたいし、そのために都市部に出たり給与の高い職につける学習をしたいと考えます。

反対に社会の視点だと、国の経済発展のためや地方・地域のための分配として、教育を取り扱うことを考えます。

教育社会学はこのミクロとマクロの視点を行ったり来たりするなかで、最適な方法を見出すことなのだと思います。明確な結論があるものではないのでモヤモヤは残りますが、この状態の中に居続けることが大事なのだろうと思います。

今日はここまでです。

デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。