オランダ在住フリーランスのグラフィックデザイナーの語り。
どうも。
今回は自分の本職である、グラフィックデザインについて書いてみようと思います。
ちょっと真面目な内容です。
別に大きな賞を持ってるわけじゃないけど、そんな自分でもフリーランスになれたし、今はオランダにいて食べていけてるということが誰かの救いになるかと思ったので、書こうと思います。
①フリーランスになった経緯
僕のデザイン歴は、高校の時に地元の県立のデザイン学科に通って、大阪で美大に行きました。
卒業後はデザイン事務所や、大きめの制作会社、メーカーなどでグラフィックデザイナーやアートディレクターとして働いてきました。転職は4回くらい。
関西圏で働き、たまに東京出張に行く感じ。
1社目がブラックで早く転職したくて頑張って、一人で東京で提案行けるようになったら辞めようと思っていました。
それが2年くらいで達成できたので転職しました。
ちょうどその東京出張の日に3.11東日本大震災が起きたんですよね。
地下鉄に乗ってる瞬間に地震が起きたんですが、その様子を鮮明に覚えています。
『このまましんどい仕事を続けて死にたくはない』と思い、退職を決断しました。
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途中デザインが嫌になって違う仕事もしましたが、通算10年以上はグラフィックデザインで食ってきました。
高校生の時から「いつか独立したい」とは思っていましたが、こんな早くするとは思ってはいませんでした。なりゆきです
これまでの会社は、パワハラ、給与未払いなど色々トラブルがあったり、転職活動もコロナで大手広告代理店の採用も見送られ、もはや「会社勤めが自分の人生に合っていないのかも」と思うようになったのが、独立のきっかけです。
たまたまフリーで仕事をくれる、いいクライアントに巡り会えたのもきっかけのひとつです。
②個性とは
フリーランスになって特に意識しているのが「個性」です。
会社員としてグラフィックデザインをしていると、会社の看板を背負っているのでクライアントの要望や、会社の色、トップの意見に合わせたデザインを求められます。
なので「個性」が出せなかった分、友人と柄制作ユニットをやったり、自主制作で作品づくりをしていました。
会社員としてやるデザインはある程度、自分の手から離れてる存在だし、そうあるべきかなと思っています。
責任もあるし、案件にはそれぞれミッションがあるからです。客観的な視点でジャッジするし、されます。
「君の個性は求めてない」と言われつつ、アイデアが上司にパクられることもよくある話。
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高校、大学でデザインを勉強している中で、デザイナーは裏方で「情報を整理整頓すること」だと教わってきました。
なので、デザインする時は自分がやりたいことは置いといて「ここは水彩にしよう」「派手な配色にしよう」と、目的に対しての訴求力が高くなる手法を選んでいました。
自己表現的な作品を作っている認識はなく、自分がアーティストデザイナーだと思ったこともありません。
それが、フリーランスになった今、その裏方的な考えややり方はダメなのかなと思ってきました。
人とは違う自分の個性をいかに出すか、それが次の仕事につながるのかもしれないと思うようになったからです。
例えば飲食店だと「個人経営のお店」になるので、チェーン店にはない個性を出すイメージ。
数多あるデザイン会社の中から選んでもらうためには、多少「その人でないとだめ」という要素が必要。
アウトプットのデザイン性や、総合力(アイデア力、料金、速さ、質の高さ、コミュニケーション能力など)どちらでも、結果的にそう思ってもらえるようになるのが大事かなと思います。
あと、デザインの仕事って最終のアウトプットには映らない部分の仕事も込みだったりするので、仕事の取り方やアプローチ方法は千差万別だと思います。
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「デザインは情報整理」だと教わった自分は自分が表にでるようなデザインをするというのは、かなり大きな方向転換なんですよね。(もちろんフリーランスも色々いるので、全員がそうしてるわけじゃない)
個性売りしてるデザイナーって、ちょうどいい「個性」というか、第三者の受けを得れる範囲の「個性」って感じで、計画してマッチさせてるのか、自然とそうなってるのかわかりませんが、後者だったら1番ベスト。
昔、宇多田ヒカル先生が「プロなら自分のやりたいことも、売れるものづくりもどっちもやれないと」的な事をおっしゃっていました。
自分のやりたいことが市場とマッチしない問題は、ほんと悩ましい問題だと思います。
僕もよくクライアントにデザインを提案して「なぜこの良さがわからないんやろう」って思うことが多々あります。
で、捨て案で適当に作ったデザイン案が採用されそうになったり笑
と言いつつ、自分の場合、個性バリバリみたいなグラフィックデザインにはアレルギーがあるんですよね。
佐藤可士和さんが「アートディレクター/デザイナーは医者のような仕事」って言ってましたが、僕はその考えに近くて、
問題を抱えた患者(クライアント)に、ベストだと思う処方箋(デザイン)を提出するのがデザイナーって感じなんですよね。
なので、デザインの見た目の面白さ、手法はあくまで「手段」であって、そこが目的になるのって一過性の劇薬を処方してるだけような気がしてしまうんです。
それでいいっていう案件はあると思うので、ケースバイケースですね。
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「個性」って、客観的に見てわかりやすい個性と、そうではない2者あって、自分は前者の「わかりやすい個性」があまり好きじゃなくて。
それが自分の首を絞めているんでしょうけど、わかりやすい「個性ドヤ」みたいなデザインをみると、自己陶酔やナルシズムが漏れてダサいというか、逆に素人っぽい感じがします。
はいはいおしゃれおしゃれーみたいな笑
同業者だから、デザインを見ると「デザイナーはこれがやりたかったんやろうな」っていう部分が余計目につきやすいんだと思います。
でもたまに僕のデザインもそういう「アーティスト風デザイン」みたいに見られることがあって、「どこが?」って思うんですけど、そうなると何が何だかわからないですね。
人間でも、わかりやすいデザイナーブランドのイッセイミヤケやコムデギャルソンを好んで着てたり、キャッチーなキャラ作りをしてる人はあまり仲良くなれません。(ビジネスとしてやってる人もいるやろけど)
グラフィックデザイン業界はそういう人が多いんですが、僕は元々プロダクトを専攻してたのもあって、プロダクトや建築業界だとそういう人は少ない印象なんですよね。
もっと堅実というか洗練されてるというか、普遍的な印象。仕事が割とスパンが長いからそういう傾向になるのかな。
一方、グラフィック業界は広告媒体が多くて、広告って一過性が多い。
自分が広告をあまり好きになれないのも、普遍的なデザインをしたいという思いからだと思います。ファッションも普遍的だけど、ちょい癖ぐらいが好き。
グラフィックデザイナーなら前者に憧れるべきだし、そういう作品の方が華やかで吸引力もあるので、そうなれない自分が時々嫌になったりします。
自分もフリーランスしていくならそういう風に(ポップさや映える作品づくりとか)しないといけないのかっていう葛藤があります。
ビジネスと割り切ってそっちに舵をきらないといけないのかと。
フリーランスになってこの件を考えてきて、これまでは会社の仕事=デザインで、自主制作=アーティスト活動と、きれいに割り切れてたものが割り切れなくなってしまいました。
わかりやすくいうと、ライスワークとライフワークが分けれなくなってきたというか。
試験的に今はチャレンジングで、クライアント案件に「個性」を入れた案を加えますし、提案も粘るようにしています。(的外れじゃない程度に)
ほぼそういう案が通らないのが悲しいんですけど、自分のクライアントの場合は規模が大きめで、「個性」がでてるデザインは万人受けしないので嫌煙されちゃうんですよね。案件の業界的にも。
でもそういうクライアント様はありがたい側面もあって、広告以外で貴重な単価が高めのお仕事をいただけます。
僕は立体やインテリアも好きなので、それらが一貫してできるブランディング案件が好きなんですけど、広告嫌いな自分は一生儲けられないと思ってたので意外な展開でした。
(余談:多数がおしゃれや個性って思うものって、結局「万人受けする個性」だから没個性では?迷路)
③楽しい案件は儲からない?
これは昔からデザイン業界で感じてたし、言われることです。
東京で有名なデザイン会社に勤めてる友人から聞くと、やっぱりこのようなジレンマがあるみたいです。
自分の個性を出せる自由度が高い案件は、単価が安い。
逆に自由度は低くて制限が多い案件は、単価が高い。
会社として「個性」や色を出すための安い案件を受けるために、資金調達部門がしっかりあったり、有名なデザイン事務所も表に出さないだけで、売上のために個性がだせない仕事をやったりしています。
おそらく②で話したように、万人受けしない案件はあまり儲からないので予算が少ないんでしょうね。
面白くない案件の中にも、どうにか面白さを見出したり、デザインの挑戦し甲斐はあります。
デザイナー的に面白くない万人受け案件→自分の色が出しにくい→看板が目立っていかない
その悪循環から抜け出さないといけないので、どうするべきか常々考えています。
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余談:友人に聞いた話で驚いたんですが、あまりにも意図せぬ修正依頼が重なって会社の色が出せない場合は、他の会社にパスすることがあるそう。
友人の勤めている会社は業界の人なら誰もが知ってるし、東京五輪の仕事もしてたので、「そもそもクライアントはその会社のネームバリュー目当てで依頼してるんじゃないの?そんな修正入るもの?」って疑問だったんですよ。
ネームバリューで依頼が来ても、クライアント側も売上がかかってるし、わりかし修正はたくさんあって、途中で失注というケースはあるそうです。意外でした。
④日本のグラフィック業界へのモヤモヤ
僕はインプットのためにオランダに来ました。
単純にヨーロッパが好きだし、住んでみたかったという理由もありますが、ずっと悩んでいた日本のグラフィックデザイン業界のモヤモヤもあって、それをブレイクスルーしたかったのもあります。
日本にはとあるグラフィックデザインの大きめの組織があり、そこが毎年選考する新人賞などは昔から見てきました。
もちろんデザイナーも多種多様なので、その組織のアンチみたいな人たちもいて、所属してないグラフィックデザイナーの方々もいます。
僕が長年いた大阪は特にそうで、そもそもその組織を視野に入れてない人もいるし、存在自体を知らない人もいました。
東京はグラフィックデザイン=広告で、広告の数も桁違いだし、花形なんでしょうね。
以前、某有名広告代理店に勤めてたデザイナーが、大きい作品展示イベントで、その代理店で出展枠があるから「嫌々出展した」と言ってました。
広告代理店の恩恵や力ってでかいんですね。
オリンピックロゴ問題もあったし、今の時代、若い人はその組織の権威や賞への憧れは薄れてきてそうですけど、こないだ読んだ審査員の対談にもそれらしいことが書いてました。
『これまでは賞をとれば営業になったし、広告が花形だったけど、今はSNSも普及してるしどうのこうの・・・』と。
オリンピックロゴ問題の対応でその組織の裏話を聞いた僕としては、「それだけが原因じゃないんちゃう?」とは思います。
組織の中でうまく逃げた人もいるし、良くも悪くも日本は広告代理店に大きな力がありますしね。
「デザイナーが憧れるデザイン」にも価値はあるんだろうし、これからの日本のグラフィックデザインをリードする役割があるんだと思いますが、なーんか偏ってる気がしてて。
僕の知り合いに「デザイナーが好みそうなデザイン」をして、「有名になりたい」というモチベーションでデザインしてる人がいますが、その組織はそういう人たちのものなんだと思います。
まぁそういうのが嫌なら関わらず自分の道をいけばいいだけなのに、フリーランスになった途端、割り切れなくなったんですよね。
オランダで日本から離れたのに、自分と向き合う時間が多いから自主制作やフリーの仕事をしていると、これらのモヤモヤを結局考えるんですよね。
そこで最近気づいたんですけど、このモヤモヤの正体は
「ああいう人たちと自分は違う」と一線引くことが、『デザイナーとして何かを諦めるみたいで怖い』という漠然とした気持ちだったと気付きました。
オランダのデザイナーの話を聞いたり、コンセプチュアルなダッチデザインの背景を知る中で、そういう自分の気持ちを言語化できただけでも前進したとは思います。
余談ですが、ヨーロッパは日本みたいに消費国家じゃないので、街中の広告がすごく少ないです。それもよかったかも。(コペンハーゲンは電車内に広告が全くありませんでした。)
日本はそこらじゅうに広告が溢れているじゃないですか。
あとオランダは国民のデザインリテラシーが高いらしいです。
国の仕事をデザイン事務所がやってたり、クライアントからデザイナーへの信頼度が高かったりするそうです。
なので個人的見解ですが、日本みたいにいち組織が「グラフィックデザインは崇高なもの、特権階級」に仕立てなくても、別にデザイナーになりたい人は一定数いるし、デザイナーの報酬が安すぎるとか、地位が低くなるようなことがないのかなと思いました。
あと、こっちは大きい代理店が少なく、大手代理店が何個もある日本の島国と地続きヨーロッパ文化の違いかもしれませんね。
⑤誰のためのデザインか
今フリーランスになって、自己ブランディングをしないといけない中、「自分が信じたものを貫く難しさ」をますます感じています。
「名前を売るために」とか、「ビジネスとしてより人目を惹くデザインを」みたいに縛られて。
自主制作作品はストックばかり増えていき、「発表するならどれが相応しいか」とか「他のデザイナーっぽいもの」は没にしてすごく時間がかかっています。
極論、この世にオリジナルなんかなく、自分の作品だって誰かの何かに多少影響を受けているんだと思います。
それなのに「自分らしい」ものを選ぶって・・とは思いますが、そこまでシビアじゃなくても「他でやってなさそう」っていう基準を心がけています。
自分のためというよりかは、クライアントのために、その先にある消費者のためにやっぱりデザインをしたいので、引き続きやりますが
ある意味、個性100%だろうが、0%案件だろうが、「自分のためになる」ということでは同じなんだと思います。
「自分のためが誰かのためになる」のが理想で、道のりは遠いですが、自分は欲張りなので、諦めずにデザインしたいと思っています。
⑥終わりに
この記事は今まで1番、何回も見直して書き直しました。
それだけ自分にとって大きな割合を占める話でした。
この記事が同じように悩んでいるデザイナーの人に共感してもらえたら、救われた気持ちです。
大学の教授が『この業界は辞めていく人が多いから、自分は残っただけ。』と言っていましたが年々、その意味がわかってきました。
自分にとってデザイン以外で自己実現や社会とつながる手段がないし、そのためだけに生きてきたので、視野が狭くなってたかもしれません。
なんだかんだ自分はデザインが好きだし、『案ずるより産むが易し』精神でこれからももがこうと思います。
長い文章を読んでくださった方はありがとうございました。
それでは。
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