建築家になりたい君へ
それまでの人生は、親や先生に「何かしろ」と言われるままに生きてきたとも言えます。決まった日に試験があり、決まった日までに図面や論文の提出をせねばならず、大学生になってもまだ、すべては人から決められたルールのままに生きていたわけです。
原研にはいって初めて、自分から動かなければ、人は何もやってくれないんだという一番重要なことを教わりました。それが人生の本質であると、僕は思います。しかしほとんどの人は、学校に、先生に、上司に、会社に言われるままに、命じられるままに、人生を終えてしまいます。 文句を言い続けながらも、言われたままに生きています。命じられることがなくなった時にはもう定年になっていて、今から何かを始めるわけにもいかないという手遅れ状態になっています。
建築学科というのは、そのような意味で、極めて特殊な場所であると、僕は感じています。
学校というものは、普通、正解を教えてくれる場所です。その教えられた正解通りに答えれば、高評価がもらえます。 しかし、 建築設計の授業では、過去の正解と同じものを提出した人間は、人マネしかできない、能力のない人間として、最低の評価をもらうことになります。 人と同じことをやっていたら駄目で、過去の正解を否定する勇気が評価されるのです。
普通の優等生は、このやり方にまず面食らってしまいます。 今までのやり方がまったく通用しないからです。真面目な人ほど、面食らって、学校に来られなくなってしまったり、精神の変調をきたしたりします。 そんな友人を、僕は何人も見てきました。
『建築家になりたい君へ』隈研吾 著 より抜粋
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