「学校では教えてくれない〇〇」というフレーズ
学校では教えてくれない〇〇!というフレーズはよくあります。
ただ先生にその知識がないから、ということではなく、教育行政の構造上「教えられないことになっている」ことが多いのだという話をちょこっとします。
18歳にはもう選挙権が与えられたわけですが、高校ではいまだに教科書に検定が入っています。
文部科学省の行っている検定に合格しなければ、教科書にはならないんですね。
また、学習指導要領というものも存在しますが、かつてこれは文科省が出しているただの告示であって、自由に出版されている本に過ぎないと言われていました。
それでも、裁判所での判決が下される中で、学習指導要領には法的拘束力があるということが認められてしまいました。何をどのように教えるかが詳細に決められてしまったのです。
前述したような教科書検定や学習指導要領は、機会均等の理念からその存在が許されています。すなわち、どの地域に住んでいても、同じような教育が受けれるべきだという立場です。私も同感です。
ただし、私のnoteで散々言ってきたように、学習者の学習内容に他者(国家であれ、教育者であれ)が介入・干渉しすぎることは、あまり望ましいことではないと個人的には思います。
どうしても学習者の関心を無視してしまいますし、何より教える側の誘導が可能になってしまう危険性があるためです。
少なくとも高校生に関しては、18歳であれば「成人」であり、過度な保護から自由になる「主体性」をもっている存在ですから、教科書であったり、学習指導要領によって国家に教育内容を特定されない権利を有していると言っていいでしょう。
こうした批判や学習指導要領撤廃の主張は案外よくあるものです。
学校で教えてくれないのではなく、教えられない
だから、学校で「教えてくれない」のではなく、「教えられない」のだということを是非多くの方に知っていただきたいと願うばかりです。
なぜ〇〇について学校で教えないのか!という批判があったとして、その批判はきっと教師や学校に向くでしょう。
でもちょっと待ってほしい!!
本当に批判すべきは、先生方ではなく、文部科学省や教育行政一般、国会議員ですよおおおお!