New Yorkで遭遇したトイレの神様
みなさんは自分の仕事にプライドを持っていますか?
どんな仕事だろうと。
たとえ底辺と言われるような仕事だとしても。
そんなことを考えさせられる体験を、
僕の価値観を根底から覆す体験を、
アメリカ・ニューヨーク(NY)で しました。
1. London ~ New York
イギリスでの学生時代のある日。冬休みの間にNYへ行こうという案が友達3人の間で出ました。NYはロンドンから西に位置するので、飛行機で大西洋を渡る旅になります。日本に住んでいると太平洋は渡りますが、大西洋を渡ることはなかなか経験できません。パイロットになることを夢見ていた僕はTransatlantic Flight(大西洋 横断飛行)か!なんて少し嬉しくなりました。
イギリスの大学は世界各国からの留学生であふれています。休みの度に皆それぞれの国へ帰省します。特にヨーロッパ内の移動はとても気楽です。キャンパス内に旅行会社もあり、学割も効くので飛行機代もそんなに高くありません。帰省に飛行機を使うのは日常のことなのです。
ロンドンからNYは大西洋を渡るだけの7時間ほどの飛行時間。日本からハワイに行くような距離感で気軽です。日本に住んでいるのとはちょっと移動の感覚が異なります。しかも我々の場合は、久々に「ヨーロッパから出る」旅行になるというだけで刺激的に感じました。毎日いろんな人種、文化に触れてきたけど、アメリカ、しかもNYってどんな所なんだろう、って。
2. 冬の厳しさ
ロンドンは北海道の札幌より緯度の高い(北の方)所に位置します。ですが大西洋が暖かいので、イギリスは極寒の国という訳ではないのです。そんなに雪が降り積もるという冬もありません。薄っすらと積もるなぁという程度。さすがに気温は低く、耳は痛いくらい冷たくなりますが。朝は車が霜で真っ白。霜取りをする作業から始まります。
NYの緯度はロンドンより低い(南の方)のですが、冬のこの州はかなりの寒さになります。よくブリザードや豪雪などでニュースになり耳にしたことのある方も多いと思います。冬のJFKを含む周辺の空港は雪が降ると時刻表なんてあってないようなもの。しかし何よりも、マンハッタンのビル街の風はなめてました。ただでさえ寒いのに、それに拍車をかけるように強烈なビル風が街を吹き抜けるのです。歩行することさえ難しくなるほどの強さです。氷点下の中この風により体感温度はとてつもない低さになります。フードの周りにふわふわついてるファーすら凍るんです。耳は冷たいを通り過ぎて痛みしかありません。耳が取り外せるものなら取り外したいほどです。
とてもホームレスは外で生きていけません。市や非営利団体がシェルター(避難所)を設けて助けようとはしていますが、毎冬多くの方が命を落とします。地下鉄の駅に逃げこむ人々もいますが、これと言った解決策はありません。低所得者だけでなく、移民や不法滞在者の多い街、差別の問題とともに簡単に解決できない問題です。
3. YMCA
さて貧乏学生の旅です。もちろん高級ホテルに泊まれるようなお金なんてありません。なるべく安い宿を、とにかく犯罪の少ない地域でと探しました。海外に住んでいると、危険な匂いを察知できる能力も否応なしに身につきます。
そこで我々が選んだのは、マンハッタンにあるYMCAの宿泊施設でした。
YMCA(Young Men's Christian Association)とは、キリスト教の精神に基づいて事業を行っている団体です。分野は、教育や福祉、スポーツなど多岐にわたります。Christianという名前が入ってはいるものの、コミュニティのつながりを重視している団体なので宗教色はありません。金儲けではなく奉仕組織なので、低所得者にも優しいですし、お金を憤怒られることもないだろうと。そういった理由でここに決めました。
ですので我々が泊まった部屋もとても質素で、二段ベッドが4つあるだけの空間でした。屋根があって暖が取れればいいと思っていたので、特に気になることはありませんでした。むしろ思っていた以上に快適に過ごせた記憶があります。
4. トイレ
海外のトイレは日本に比べてかなり汚いです。日本のトイレが綺麗すぎると言えるかもしれませんが。イギリスの学生寮のトイレにも、基本フタがついていない便器が並んでいました。ですのでアメリカでも期待はしていませんでした。ご存知の方も多いと思いますが、ウォシュレットなんて快適なものは存在しません。
日本への一時帰国の度に「あ、そうか、便座って冷たくないんだった」と思い出すものです。一時帰国している日本人がよく口にする言葉です。むこうへ戻ると日本のトイレの快適さが愛おしくなるものです。ま、数日もすればそんなことどうでもよくなるのですが。
この短い動画はまさに日米のトイレの違いを面白おかしく話しているものです。今はアメリカに住んでいるコメディアンの渡辺直美が、カルチャーショックの一つとしてトイレのことをネタとして取り上げていますが、それほど文化の違いが大きいということです。
ということで我々は、この安い宿泊施設にあるトイレも相当汚いんだろうなという感じで全く期待していませんでした。
ところが、トイレに入ってみてびっくりしました。
え?なんだこのきらびやかさは!
高級ホテルの控室のような空間なんです。
しかも入ると同時に、とてもフレンドリーな
"Hi How are you doing? You alright?"
なんとも温かい Warm Welcome を受けたのです。
その声のする方を向くと、きちんとしたスーツに身を包んだ、
上品そうな50代くらいの黒人の男性がにこやかにこちらに顔を向けていました。本当に愛想の良い表情で、洗面台の周りをふきながら僕に話しかけています。その目の前にある大きな鏡はピッカピカ。照明もキラキラ。
本当に気持ちの良い挨拶で、うわぁ ずっとこの人と話していたいなぁ
という気持ちにさせる雰囲気が体全体からにじみ出ていました。
あまりにも想像と真逆の空間に入り込んだ僕は絶句しました。
洗面台の近くにチップを入れる空き瓶が目に入りました。
あ、なるほど。このトイレはチップ制なのか。
ロンドンでもそうですが、ヨーロッパの国々では公衆トイレはお金を払って使用するところがほとんどです。お金を払わないとトイレに入ることすらできないのがほとんどです。「ここもそうなんだ。」
その空き瓶には、小銭だけでなく多くのお札が入っていました。お札と言っても1ドル札中心だったのかもしれませんが、とにかくチップの瓶にしてはたくさん入ってるなぁと思ったのを記憶しています。もちろん僕もチップを入れました。正直いくら入れたのかまでは覚えていませんが、とにかく小銭では失礼だと思ったことは覚えています。
そんなレベルの仕事ではないことは理解できましたから。
この人がJanitor(清掃員)なのか・・・。なぜスーツなんだろう。
具体的には思い出せませんが、他にも 二言三言会話をしました。
トイレから出る時もとても爽やかに
"Have a nice day!"
僕のチップへのお礼も忘れずに丁寧に、ずっと笑顔で、ちゃんと目を見て、まっすぐ立ってきちんとした挨拶なんです。こんな若造のアジア人の僕に対してです。
とても変な話しですが、このトイレに来て良かったなぁという、晴れ晴れとした気持ちで出ていく自分がいたのを覚えています。
瞬時に感じとったのは、教会に通っている人なのかなぁという雰囲気です。
同じクリスチャンでも育った家庭環境によって大きく違いますが、きちんと
毎週日曜日に教会へ通っているreligious(敬けんな)な家庭出身の人物のような印象を受けました。
人種や年齢、性別に関係なく、誰にでも公平に丁寧に愛情をもって接するという、見せかけではない姿勢が確かにありました。
その後 友達とはもちろん
「何あの人?すごくない?」
「見た?なんだあのトイレ!」
です。
後にも先にもあんなピッカピカなトイレを海外で見たことがありません。
5. アメリカ
それにしてもなぜあんなコンシェルジュのようないでたちでトイレを清掃していたんだろう。これを理解できるようになるまで時間を要しました。あの頃はまだ20歳やそこらのガキです。社会のことなんか完全に理解できてない僕らのような者がとてもわかるような話しではなかったのです。
ここから話しを4年ほど飛ばします。
僕はイギリスの大学を卒業後、アメリカのフロリダ州にある航空大学へ進みました。大学の近所にある小規模な Flight School にも友達が多く、僕はよくそこへ顔を出していました。当時そこの Janitor(清掃員)として20代半ばくらいの黒人の青年が働いていました。
(ここでも年齢と人種をあえて書いています)
いつも青い作業用のつなぎを着ていて、どこからどう見ても清掃員という恰好。トイレ掃除はもちろん、学校中の清掃からゴミ出しなど、全て一人で日々忙しそうに働いていました。真面目で気さく、性格も良く、みんなに愛されているキャラでした。その彼は車を持っておらずいつも誰かに送り迎えをしてもらっていました。小耳に挟んだ話しによると、彼が住んでいる家は低所得者が多く住んでいる通りにあるということ。
ある日その彼に、知り合いの電話番号を教えてくれないかと頼まれました。よく立ち話をする共通の友人だったので、快くその人の名前と電話番号を紙に書いて渡しました。すると・・・ちょっと困った感じで間がありました。
"What does it say here?"
「これなんて書いてあるの?」
いつもより声が小さく、少し恥ずかしそうだったトーンが忘れられません。
ハッとしました。字が読めないのです。番号しかわからないよう。
いつも普通に話しをしていたのですが、まさか読み書きができないとは思いもしませんでした。かたや僕は日本語も英語も読み書きができる。なんと立場が違うのだろうと愕然としました。
現代の日本に生活をしているとこんなことを考えることはないかと思いますが、日本の識字率はほぼ100%に近く世界の中でも高い順位にあります。ところがアメリカでは80%に満たないのです。(それでも日本にも読み書きができない層が少なからずいるという事実を忘れてはいけません)
貧困層に生まれたというだけで十分な教育を受けられないまま育ち、その結果仕事に就けないという人たちが、特に黒人社会に多くいます。低所得者が集まる地域で暮らし、勉強を頑張っても十分な教育費が払えないため良い学校へ進めない。そもそもこのような地域にある学校自体が常に予算に困っているために、施設は古いまま、良い教師も集まらない。黒人というだけで白人と同じ土俵に上がれない現実があります。Systemic Racism(制度的人種差別)と言われるものです。諦めや怒りから、ついには犯罪に手を出す悪循環もこの社会は生んでしまいます。アメリカに蔓延る人種差別はいまだに根深いのです。
僕や周囲の者も彼に対して差別の意識はいっさいありませんでした。彼のことがみんな好きでした。でも社会のシステムは生まれた時から決まっているのです。これがアメリカか。突然目の前に突き付けられた現実は、若い自分をやるせない気持ちにさせました。いま分断されているアメリカの政治を見るとその複雑さを垣間見ることができるはずです。
彼の家族や親戚の間では「お前空港で働いているのか、すごいな!」と言われていたそうです。職種がなんであれ、空港で仕事をしているだけで特別な目で見られていたのです。彼もきっとそれなりにプライドを持って働いていたに違いありません。
冒頭で述べたようなシェルターに入るようなホームレスは働かないのではなく、働けない人がほとんどなのです。仕事にありつけず、冬の寒空を外で過ごさざるを得ない人々は、NYのみならずカリフォルニアなど他の州にもたくさんいます。日本のホームレスは道端で新聞を読んでいることに驚かれます。なぜ字が読めるのに働かないのだと。日本の場合は世捨て人が多いようなイメージです。もちろんみんながみんなそうだと言っている訳ではありません。いろいろなケースがあることでしょう。しかしこの違いは知っておく必要があります。
僕はこの経緯があって以来、一度忘れていたNYの清掃員のことをよく思い出すようになりました。
6. プライド
ここでNYへ戻ります。きっとコンシェルジュのような清掃員も、多かれ少なかれ似たような境遇にいたのではないでしょうか。おそらくですが、この職種があの人の第一希望だったとは思いにくいです。
つなぎを着た青年との違いはなんでしょう。それは着ている服です。NYの清掃員はスーツに身を包んでいました。皆さんは、ホテルのスタッフがたまたま清掃していたのでは?と思われるかもしれません。絶対に違います。
ホテルのスタッフが清掃を行うことはありえません。特に欧米では職種というものは明確に分かれています。就労する際にサインをする契約書に書いていない仕事をすることは、アメリカでもありえません。多くの日本人がおそらくやっているであろう、気遣いやサービスで誰かの仕事を代わりにやるという行動は、日本が契約社会ではないからできることなんです。こと細かく仕事の内容について記されている契約書にサインをして就労するような国では、他の仕事をすることは契約違反とも言えます。そして同時に、他の人の仕事を奪うことにもなってしまうのです。日本と欧米社会ではこの点が大きく違うところです。
日本の学校では子供たちが自分たちで教室やトイレの掃除をしますが、アメリカではやりません。JanitorやCustodian(用務員)から仕事を奪うことになってしまうからです。そんなことをしたらむしろ怒られてしまう、そういう社会なのです。
日本の社会は特殊で、ほとんどの企業が春に新卒の学生を一斉採用します。少しずつ中途採用が増えてきているとは言え、日本の雇用システムに大きな変化はありません。他方 欧米では真逆で ほとんどが中途採用です。つまりポストに空きが出ない限り採用が行われないのです。ですので採用というのは年中行われています。みんなが常に希望のポストの Job Opening (仕事の空き)を待っている状態です。あのNYの清掃員ももしかすると、仕事が必要な時に清掃員という仕事しか見つからなかったのかもしれません。
この空きを待って「勝ち取った」仕事というのはとても大事です。仕事をひとたび無くすと大変なことです。すぐに次の仕事が見つかるとは限りません。ましてや黒人なのです。それだけで採用される優先度は Systemic Racism によってぐんと下がるのですから、いかに切実か。だからこそクビにならないように一生懸命に仕事をこなそうとするのです。昇給を狙っているかもしれませんし、自分がどれだけ仕事ができるのかをアピールしないといけません。
それにしてもです。あの仕事の徹底ぶりは脱帽レベルでした。なぜそこまでするのか。僕はプライドだと思います。
自分を清掃員とすら思っていなかったかもしれません。だからこそスーツを着ていたのではないでしょうか。
この考えに行きついた時、頭が激しく揺さぶられるような感覚に陥りました。4年ほどかかりましたが、それは二人の清掃員の着ていた服の違いに真に気づいた時のことでした。
それにしてもあの人の姿を見たのは一度だけなんです。観光でほとんど外にいたとは言え。本当にあの人は清掃員だったのか。もしかすると僕らにメッセージを伝えるために出てきた神様だったのではないか。そのようにも思えてきます。あの教会の匂いがしたこともどうも引っかかります。
7. 日本のトイレ掃除教育
日本の小・中学校では、生徒たち自身でトイレ掃除を行うことが当たり前です。自分たちの使う施設を自分たちで綺麗に保つことにより、大切にものを扱うことを学ぶ。欧米では理解されにくいことかもしれませんが、僕はその教育に異議はありません。素晴らしいことだと思います。日本の公共施設が綺麗に保たれているのはこの教育のお陰だと思います。
ところが同じトイレ掃除でも、その目的に間違った意味合いを植え付けてはいけないと感じたことがありました。
僕が成人してからの話しですが、日本のある施設でトイレの掃除を当番制でやらされたことがあります。目的は「トイレの掃除をする人の気持ちがわかるように」でした。人の気持ちを理解しようとする点においてはとても日本的だなと思いました。でも僕からしてみればプライドをもって綺麗にするお仕事なのです。仕事にありつけない人にとっては嫌がる仕事ではないのです。どうして嫌なものと決めつけるんだろうと。逆に清掃員を見下しているような気がしてとても嫌でした。プライドを持ってやっている人が世界にはいるのに。本当に嫌でした。トイレ掃除が嫌という意味ではなく、嫌な仕事をしているという気持ちを持たされることが。
どんな仕事もプライドを持ってやっている人が世の中にはたくさんいます。
どんな底辺と言われる仕事でも楽しくやっている人がいます。お給料の良し悪しでその人の価値は決まりません。僕よりも低い給料で僕以上の知識を持って仕事をしている人もいます。キツイ仕事をしながらキラキラ輝いている人もいます。人のプライドを踏みにじる権利は他人にはありません。
8. 神の仕業
現在勤務している会社は施設が大きい為に、やはりたくさんの清掃員が働いています。僕らの勤務は朝とても早い時もあるのですが、同じような時間から清掃作業が行われています。これは9時に来られる一般職の方が気持ちよく朝のスタートをきれるようにターゲットをもってきているものだと思われます。
トイレで清掃員に会うと
「いつもありがとうございます」
と僕は声をかけます。
するとたいていびっくりしたようなリアクションで
「・・・お疲れ様です」なんて返されます。
何と言ってよいのかわからないのでしょう。きっと日本では声をかける人はほとんどいないでしょうから。チップを渡す慣習もありません。
別に返事を期待しているわけではないので構いません。ただ感謝の気持ちを伝えているだけなんです。そう言わないと気が済まないんです。黙ってその場を去ることができないんです。どこかでトイレの神様が見ているような気がして。
何十年たってもあのスーツを着た清掃員の姿が頭から離れません。異国でのたった一度の出会いなのに、いまだにトイレで清掃員を見かける度に思い出すんです。
たまたま恵まれた境遇に生を受けた者に、同じことができない訳がありません。
こんなメッセージを人種や年齢にかかわらず当時まだ若かった僕らに送るというのはやはり、神の仕業ではないかと思うのです。
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皆さんは、どんなお仕事でもプライドをもってやられていますか?
手を抜くこともあるでしょう。
サボりたい日もあるでしょう。
でも世の中には、仕事があることに心から感謝して、満足して、
その仕事を完璧にこなそうと一生懸命にされている方たちがいます。
仕事にありつけるだけでもどれほど幸せなことなのか。
一生懸命に仕事をしている姿は、誰にだって見えているんです。
文句を言わせない仕事っぷりは、誰の目にも明らかなんです。
その上で偉ぶることなく相手を敬い、みんなに丁寧に平等に接する。
その結果、自分のしている仕事が最終的には誰かを幸せにしている。
そう考えたことはありますか?
人に幸せを与えることができる仕事であるならば
自分の仕事にプライドを持っても良いのではないでしょうか。
たとえそれがどんな仕事だったとしても。
もうおわかりでしょうが、これを読んであなたの仕事への取り組み方が変わったら、それは僕の仕業ではありません。