ワードチョイスに表れる人柄
朝、noteを書く習慣が続かず、自分自身の決心に絶望しています。
リモートで在宅ワークの日があれば、通勤する日があって、通勤の日は山手線の中で到着までに書くというゲームがあるので時間に追われる感覚が楽しくなってきました。そのおかげで書けるのです。
在宅の日でも続けられるチカラが欲しい、意志というより仕組みだなと思っているので、マイルールを作ろうと思います。
さて、僕の会社の先輩のお話です。
年齢が1つ上の男性で「本を毎年100冊読んでいる」という人です。
先日話を聞くと新入社員の頃から月に5万円くらいの本を買っているとのこと。
しかも気づいたら買ってしまっているというお話。
何にでも飽きっぽい僕からすると、その没入力が羨ましい限りです。
その先輩に5冊ほど紹介してもらい、僕はお返しとして「“この世は贈与でできている“って本が今年読んだ中では面白かったですよ。」と1冊紹介すると、「買ってて家にあるけどまだ読んでないんだよね」と言う先輩。
毎月のように買った本が山積みになっている家の中の情景を僕は想像力が膨らみ、思わず先輩に可愛らしさを感じたのでした。
「この世は贈与でできている読んでみたけど、めっちゃ面白いね。もっと早く読めば良かったー。」とのLINEが昨夜先輩から届く。
それを後輩の僕に伝えてくれる先輩、やっぱり可愛らしさ再確認をしました。
「また何か面白いのあったら教えてー。」と言われた僕は勝手にその先輩との距離感を詰めていたので「また何かあったら教えますね!」と返信してしまいます。『教える』というワードはどこか上からな感じを孕んでいるので一瞬立ち止まったものの関係性に甘えて、飛び込ませたのです。
それに対する先輩のお返事は「また面白いの見つけたらお伝えするね!」と、大正解を叩き出す『お伝え』というワードを叩き込んでこられました。
こういうワードチョイスだけでも人柄が表れており、僕も尊敬する先輩に見合った人間になるように、丁寧な人間関係を築いていこうと改めたのです。
丁寧な気持ちを表現できるだけのワードスキルのためにも、ほぼ毎日noteは続けてまいります。