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この夏、「戦争」と「沖縄」に思いを巡らしたこと

 戦後80年近く経っても、毎年この時期は、太平洋、アジア各地の戦場、広島、長崎の原爆、沖縄戦などを取り上げた番組が放映されます。そのことは、社会に健全であろうとする力がかろうじて残っていることを感じさせてくれます。しかしその力も、90歳を越えても戦争体験を語る人々がまだかろうじてご存命であることに支えられているのではないかと、心もとなくも感じます。政治的忖度が高い「報道局」のNxKにあって、ドキュメンタリー製作スタッフに粘りと気骨が残っていることには希望を感じます。

 この夏のある日、NHKドキュメンタリー番組「ビルマ 絶望の戦場」、「沖縄の戦争孤児」を続けて観ました。戦争の悲惨さは数々ありますが、人間のおぞましさが極限の姿で現れる時と場なのだとつくづく感じました。平和な時は仲良くしていた隣のおじさんが、戦時には隣人殺しになる。自分の命を守るためには、親でも子でも捨てて逃げる。自分の生活を良くするためには、孤児を捕まえてきて家畜のようにこき使う・・・

 我々の時代には、戦争がたまたま起きずに済んできた、そして起きずに済むかもしれないですが、次の時代には、起きないとは考えられない状況です。「身を捨つるほどの祖国はない」ということを、よくよく、次世代、次々世代に伝えないといけないと感じます。

 さて、今年2022年は、沖縄返還から50年の節目。沖縄についても、ここ数年関心を持って、映画鑑賞、読書、旅(ロードバイクで沖縄本島一周)などしてきていますが、それぞれにおいて衝撃を受けることが続いています。

 先日は、映画「太陽の子」(浦山桐郎)と「波の彼方に」(黄インイク(Huan Yin-Yu) )を観ました。前者では、「沖縄人(琉球人)を差別する神戸人(日本人)」が、後者では、「台湾人を差別する沖縄人」が描かれています。

 どちらも、差別される側の辛い、悲しい気持ち、それでもめげずに頑張って生きる姿が描かれています。しかし、差別される人が、別の状況下では、差別する人にもなるのです。

 "世界”は多層に織りなされてできていること、そして、その"世界”を理解することの難しさを感じました。

 そんなところに、以前から気になっていた民俗学者谷川健一による「沖縄」(講談社学術文庫)を手に取る機会を得て、パラパラとめくったところ、ここでも、愕然とさせられる、知られざる歴史的事実に出会いました。宮古島、石垣島などの先島諸島は、沖縄本島の琉球王朝に隷属させられて、明治初頭までの二百数十年間、死ぬ方がましだと思うほど重い人頭税をかけられて、家畜のように扱われていたという歴史。

 繰り返しになりますが、ここでも改めて、”世界”は多層に織りなされてできていて、知れば知るほど、さらなる未知に出会うのだと感じました。

2022年8月
(終わり)

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