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小川洋子「ことり」

家からほど近いとある企業のゲストハウスの管理人として働く「小鳥の小父さん」。彼には人間の言葉は話せないが、鳥のさえずりを理解する兄がいて・・・。ボランティアとして通う幼稚園の鳥小屋、兄が「ポーポー」と呼んだ棒付きキャンディーを売っている薬局。小さな世界の中で物語は紡がれていく。

ページをめくりながら「世捨て人」という単語が頭をよぎる。よぎったそばから「いやいや待てよ、世捨て人って何だ」という声が聞こえてくる。兄弟は静かに、ひっそりとしかし確かに「この世」を生きているじゃないか。彼らが捨てたもの(あるいはそぎ落としたもの)があるとすれば「余剰」や「過剰」といったものなのではないか。自分を筆頭に多くの人が抱え込んでいる厄介なものたち。そんな「余捨て人」の話なのじゃないか?。ミニマリストでございますなどと高らかに宣言してしまう人たちとは対極の。

この世の中は「余剰」や「過剰」があたかも必要不可欠なもののごとく跋扈していて、そこに乗っからなければにっちもさっちも行かないようにできている。みんなどれだけ多くこいつらを抱え込むかに躍起になっているようだ。物語の中で「小鳥の小父さん」が出会った「余剰」は、誰もが触れていいやさしくささやかなひと時だった。しかしそれはあっけなく向こうから去ってしまう。静かな筆致が切ない。

やさしく閉じられた世界のフェアリー・テイルではない。そこはもちろん小川洋子である。世間という毒はちゃんと忍び込んでいる。「小鳥の小父さん」という呼び名も無関係ではない。

穏やかに自分を見つめられる、そんな一冊はないかなと思いふと手に取った一冊。「博士の愛した数式」も彷彿とさせながら、ゆっくりと沁みこむ処方箋でした。


見出しのイラストは「猫野サラ」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。







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