シズ
本棚の中身、読んだ本、本にまつわるエトセトラ
地元を離れて。ちょっとクルマで、時には電車で
音楽や映画などにかこつけたアレコレ。
ミュージアム探訪を中心に。
命からがらの生還とその後のカラダ
谷川俊太郎がこの世を去った(あえて敬称をつけずに、だって普段「さん」付けでなんか呼んでいない)。いつのまにか92歳になっていた。大往生なのだ。哲学者のひとり息子は「どうやって生活していこうか?」と考え、詩人という職業を選んだ。そして数々の「仕事」を世に出し、生涯現役で「生きていること」を打ち止めにした。酒浸りの日々の、あるいは血を吐くような苦しみの中から生み出された言葉ではない。だから、どこか明るい。そして少し嘘つきだ。ただ、どこが嘘かを見つけるのはたやすくない。 谷川俊太
バラ好きのご夫婦が開墾した手作りの庭に、いつの間にやら住みついたネコたち。11月も半ば、房総は君津の山中にある「ドリプレ・ローズガーデン」へ約10年ぶりの再訪。その後メディアに度々とりあげられて今やすっかり有名スポットになってしまった。悪しき様変わりなどしていなければというのはまったくの杞憂、平日ということもあって以前と変わらないゆっくりとした時間がそこには流れていた。 駐車場にクルマを止めると、いきなりネコが寄ってきた。「ちゃんとおカネ払ってね。あたしたちの食事のグレード
自宅に眠っていた映画プログラムから10~20代(1980年代)に観た作品を50音順で。「サ行」まで45本が終了。 「スティング」(アメリカ映画/1974年日本公開) 「明日に向かって撃て!」のジョージ・ロイ・ヒル監督。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのペアがまた観られるとあっては観ないという選択肢はない。これ以上ゴキゲンなコンビはないと勝手に断言できる。暗黒街の男たちが抗争を繰り返す1930年代のシカゴを舞台に、仲間の復讐のためギャングの大親分(ロバート・ショウ
バウムクーヘンを偏愛している友人がいる。なぜそのような沼にはまってしまったのか未だ確認したことはないのだが、きっと筆舌に尽くしがたい幼児体験があるのだ。そして、その訳はあの「穴」にあるに違いない。 「穴」のある食べ物は、ただそれだけで気分が上がる。ドーナツ、ちくわ、蓮根だって、穴がなければその食欲は2割は落ちる。泉屋のクッキーだって、シンボルマークの浮き輪を象ったリングダーツなくしては成立しない。昭和の子どもにとって、頂きものの中で最上位に君臨していた贈答品の定番だ。子ども
「こんな映画を観てきたんだ」と見つかったプログラムを眺めてしみじみ。20代の頃までにスクリーンで観た映画たち、50音順のその8。 「十階のモスキート」(1983年公開) 亡き崔洋一監督のデビュー作。内田裕也企画・主演、もめにもめた脚本を最後は内田裕也が引き取って書き上げた。実際の警察官による不祥事を題材に、破滅へと向かう男を描いたロケンロールな物語。アン・ルイス、小泉今日子、ビートたけし、横山やすし、安岡力也、吉行和子、佐藤慶なんて名前がキャストに並んで、それだけでもう危な
昨年、黒姫山童話館で衝動買いした「ちいさいおうち」をブックスタンドの端に立てかけた。子どもの頃のマイ・フェイバリット・絵本のうちの1冊。こんな素敵な絵本を背表紙だけしか見せないのはもったいないと”昇格”。小高い丘の上に建つ小さな一軒家、移ろう四季をながめながらの穏やかな暮らしが、やがて都市化の波に飲み込まれ今が夏なのか冬なのかさえわからないように・・・めまぐるしく変わる周囲の変化の中、今にも朽ち果てつきそうになるその時に・・・というお話。時折パラパラと開いてみても、やっぱりい
発掘された映画プログラム。20代までに観たあんな映画こんな映画、50音順のその7。 「さびしんぼう」(1985年公開) 改めて言うまでもない大林宣彦監督・尾道三部作の3作目。「既に大人になってしまったぼくから、これから大人になるだろう歳若い君たちに向けて」と大林監督が言っている。公開当時はすでに26歳の大人、まだおじさんになる気はさらさらなかった頃なのだ。尾美としのり(尾道三部作すべてに出演)演じる高校生があこがれている少女と、ある日突然現れたピエロのような女の子・・・。主
「午後の最後の芝生」を初めて読んだのは、おそらく1986年だ。どうしてそんな断言ができるかというと、当時勤めていた会社の同期の女性に「シズちゃん、読んでみる?」といって手渡されたのがこの作品が収められている「中国行きのスロウ・ボート」という村上春樹の文庫本だったのだ。中公文庫から出たその短編集は初版が1986年、今手元にある文庫本は1988年の第六版となっていて、この時はすでに転職してしまっている。 坂本龍一やARB(石橋凌!)が好きだった彼女がどういう経緯で本を貸してくれ
秋だというのに夏のいでたちで、やってきたのは東京ドイツ村。ネーミングについてはさておき、広大な園内をクルマで回れるのでポンコツな我が身には助かることこの上ない。この時期はさまざまな花々の競演が見られるというので小一時間のドライブをする。昨日までの「どんより曇り」という天気予報を裏切って朝から真っ青な空。♪Do Do Do,De Da Da Da、暑いんですStingさん♪(Policeを聴きながら行ったのだ) 入場ゲートから時計回りで園内をめぐる。最初に目に入るのは色とりど
階下収納スペースに眠っていた若かりし頃(80年代まで)に観た映画。プログラムから思い出す五十音順の6回目。 「クレイマー、クレイマー」(アメリカ映画/1980年日本公開) ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープ主演、クレイマー(原告)とクレイマー(被告)の離婚をめぐる裁判の物語。と、説明はもはや不要のヒット作。今、我が身の周辺を見回すと離婚なんて珍しくもなんともない。「そこ」に至るか至らないかに大きな距離はない。そんなわずかな間(あわい)にみんな生きている。もちろんDVな
押し入れの整理をしていると思いがけないものが発見される。出てきたのは1981年(大学3年)の半年間と1982年(大学4年)の半年間、高田馬場にあった日本ジャーナリスト専門学校の聴講生になったときのノートだ。1981年は「ルポライター養成科」を、1982年は「編集者養成科」をそれぞれ週2回、夜間の講義で学生から社会人まで多種多彩な人が受講していた。大学のゆるくて退屈な授業よりこっちの方が刺激的で面白いぞと、わが頼りないアンテナが感知したのだ。大学のノートなんか残っていないのに、
10代、20代に観た映画を50音順に。見つかった映画プログラムをパラパラめくりながらの思い出すことやついでのあれこれ。 「蒲田行進曲」(1982年公開) 深作欣二監督作品。銀ちゃん(風間杜夫)、ヤス(平田満)、小夏(松坂慶子)を中心に繰り広げられる撮影所の舞台裏。組んず解れつ、デフォルメされた人間の可笑しさ悲しさがラストの「階段落ち」に向かって突き進む。この作品でつかこうへいの世界を知り、文庫本を集めるようになった。主題歌は中村雅俊「恋人も濡れる街角」 「カーウォッシュ」
白石加代子の「百物語」を北千住駅前にあるシアター1010(せんじゅと読む)で観る。昨年「阿部定事件予審調書」を観ているので2年続けての「百物語」なのだ。北千住は千葉に近いにもかかわらずほとんど降り立ったことはない。再開発された駅前に限ってはザ・下町の面影はなく、ポカポカ陽気の三連休の中日、ワカモノの姿が目立つ。 「もーこんないい天気にわざわざ怖い話なんかにぎにぎしく来て頂いて」という白石さんの挨拶があって一幕目が始まった。演目は「遠い記憶」で、岩手在住の作家・高橋克彦の作品
押し入れから出てきた独身時代に観た映画のプログラムたちを五十音順に整理しながら、あれこれ思い出してみたりしている。 「怪盗二十面相」(フランス映画/1976年日本公開) 正しい邦題は「ベルモンドの怪盗二十面相」。確か父親が中一の弟のチョイスで映画を観ようと銀座に行き、弟がずらっと並んだポスターを観ながらこの作品を選んだ。高2の自分は「しゃーないか」とそれに付き合わされた形。とはいえベルモンドである。人を騙すってこんなに楽しいのといいたくなるゴキゲンな作品。 「陽炎座」(1
サグラダ・ファミリア的整理を延々としていると、思いがけないものが発掘されてしばしば作業が中断する。押し入れなんかその代表で、何を放り込んだかわからない紙袋や段ボール箱を時限装置の有無などに気をつけながら片っ端から見ていると、その元凶が必ず出てくる。 この前は、初めて転職をするときに職場の人にいただいた色紙が出てきた。5年足らずの在職期間で、申し訳ないくらい立派な送別会を開いていただいたのを覚えている。200人足らずの社員の小さな会社で、4枚にわたって100人位の人がメッセー
20代までに映画館で観た映画、押し入れの整理をしていたらざくざく出てきた懐かしいプログラムを五十音順に整理している。その3。 「駅 STATION」(1981年公開) -ふり返れば人生を乗りかえた雪の駅がある-高倉健演じる刑とその元妻(いしだあゆみ)、妹(古手川祐子)、居酒屋の女将(倍賞千恵子)、刑事が追う容疑者の妹(烏丸せつ子)などが織りなす人間模様。脚本・倉本聰、監督・降旗康男のスタンダードな後期健さんもの。ちなみにプログラムの表4は三菱自動車「新型シグマ、登場。」のコ