【自己紹介】僕の夢は教育業界を「少し」変えること
こんばんは。
でまちと申します。
残念ながら僕は、今このnoteを読んでくださっているあなたの人生を大きく変えることができるほどの影響力を持ち合わせた人間ではありません。
しかし、なんとなく生きている退屈な人間だとも微塵も思っていません。
あなたに少し何かを感じさせることができるくらいの生き方をしている自信はあります。
こんな僕に興味を持ってくださった方々。
後悔はさせないので、ぜひ最後まで読み進めてください。
①大学入学まで
23年前、僕は家の周りが田畑に囲まれた田舎で生まれました。
そこは、信号機もなく、学校帰りに見知らぬおばあちゃんが「おかえり」と言ってくれるような町でした。
セミ採りをしたり、田んぼでサッカーをしたりと伸び伸び暮らしていたあの日々が大好きでした。
この環境で育ったおかげで、僕の穏やかな性格が形成されたのかなと思います。
そんな僕は地元の中学校を卒業した後、受験戦争を乗り越えて少し家から離れた公立高校へ進学しました。
僕の住んでいた市には進学校がなかったので、多少勉強ができる子は、電車に乗って別の市の学校へ行くのが一般的だったのです。
僕の入学した学校は、部活に注力しつつ国公立大を目指すという文武両道を大切にした(自称)進学校でした。
そこでの勉強はかなり大変でした。
しかし、いい大学へ行けばいい企業に入れて将来報われるという先生の言葉を信じ、死に物狂いで勉強に励みました。
その結果、誰もが羨む有名大学に合格することができました。
「これで人生安泰や!」
この時はそんなことを心の中で思っていました。
しかしそんな日々は続きませんでした。
②大学入学〜就活期
高校時代の僕は、大学へ入学することを目的化していました。
ですので、大学へ入学してからやりたいことは特にありませんでした。
高校の先生の「大学へ行ったらいっぱい遊べるぞ~」という言葉通り、遊んでばかりいました。
そんなに遊園地が好きじゃないのに、ユニバの年パスを持って通っていたことが、今となっては懐かしいです。
ただし、授業へ参加し単位を取得することだけは欠かしませんでした。
こなすように与えられているものには真面目に取り組む性格だったからです。
そうこうして大学3年生になり、就活期に突入しました。
しかし、ここで大きな挫折を味わいました。
全く選考を通過できなかったのです。
「あれ、学歴があれば企業にチヤホヤされてたやすく採用されるんじゃなかったのか?」
田舎の先生たちから教えてもらった高学歴の就活というものは、彼らが作り上げた幻想にすぎませんでした。
そして気持ちを切り替えて本腰を入れて就活に取り組み始めたところ、
・したいことを見つけること
・自分に何ができるのかをアピールすること
という二つが大事だと知りました。
しかし、僕には難題すぎました。
というのも、したいことも自分だからこそできることもなかったからです。
これまでずっと、ただ与えられたことを真面目にこなしつづけてきた僕は、いつの間にか意志も個性もない人間になってしまっていたのです。
「ただ真面目に生きてきただけなのに、、、」
今までの自分自身を否定せざるを得なくなり、絶望感に打ちのめされました。
何度も消えてしまいたいと思いました。
しかし、どれほど苦しくても、どうすれば道を切り拓くことができるのかを考えることだけはやめませんでした。
その結果、長い時間がかかりましたが、希望が見え始めたのです。
③就活期~就職
僕のしたいこと、そしてできることは、
「僕のように苦しむ学生を減らす教育者になること」
僕は経済学部に所属しており、同期の中から教育業界へ足を踏み入れる人なんてほとんどいませんでした。
今まで、レベルの高い高校に、大学に、そして会社に進むという典型的なレールの上を進もうとしていた僕が、初めて自分自身の人生を歩みだした瞬間でした。
そうこうして何とか就職が決まり、今はとある学校法人で高校生の進路に関わる仕事をしています。
自分の経験が武器になっている実感、学生の救いになれている実感を感じながら仕事ができる日々に幸せを感じられています。
④これから
教育業界は、間違いなく僕に最も適したフィールドでした。
しかし、この業界について知れば知るほど、いかに日本の教育が腐敗しているかが見えてきました。
問題点を全て挙げようとすると本当にキリがないのですが、その中でも僕は
・時代錯誤も甚だしい
・地方格差がすさまじい
・本来伸ばすべき学生の個性を殺している
という3点に注目しました。
勉強は能動的に行うもの、そして自分を高める手段なのに、学校では受動的な姿勢が育てられ、勉強が目的化されている。
地方と都市では明らかに情報の非対称性があり、先生が持っている誤った情報や古い情報に地方の学生が踊らされている。
自分らしく生きろと言う割に、やりたいことは抑制されるし、根拠のないルールで皆が統制され、世間一般の常識のレールに乗せられている。
これが今の日本の教育です。
そして、この教育は実際に多数の被害者を生んでいます。
そう、紛れもない僕がその一人です。
学校教育が、時代に適したもの、地方でも正しい情報を教えてもらえるもの、個性を伸ばすものであったならば、就活期にあんなに苦しむことはなかったはずです。
だから僕はやっぱり、この腐った教育業界にメスを入れたい。
しかし、こんな23歳のクソガキが教育現場に入ったところで、超巨大な沈みかけの船を軌道修正することなんて到底できません。
ただ疲弊し、自身も海の藻屑になるだけです。
僕が一番大事にしたいのは、自分自身と周りの大切な人達です。
そして、それを疎かにしてしまう働き方なんてしたくないと思っています。
それができるほど強くないのです。
こういう考え方を甘えだという方がいるかもしれません。
しかし、自分自身を大切にできない人に他者を救えるでしょうか。
僕はそうは思わないので、教育現場という沈没直前の巨大船の船内で必死になって戦おうとはしません。
そうではなく、外部から小型船に乗って助けに向かい、救助可能な人を救い出すような戦い方がしたいと考えています。
具体的には、
『時代に適した教育と情報を地域を問わず提供し、個性を殺さずに生きられる学生を育てる仕組みを、教育現場の外部でつくる』
というのを目標にしています。
これが僕らしい人生の答えです。
しかし、それを実現するためには知識や能力、人脈等、多くのものが必要になります。
その中で僕が一番重要になると考えていることが、「言葉」です。
気づかぬうちに絶望の淵に足を踏み入れてしまっている人を救うのはそう簡単ではありません。
一度ハマってしまうと中々抜け出せないものです。
しかし、そんな状況下でも人を変えて動かすことができるのが「言葉」です。
実際、僕は友人やアーティストの言葉に救われ、今こうして自分らしい人生を歩むことができています。
そんな言葉を蓄えるため、これからもnoteでの発信を続けていきます。
最後に
ここまで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます。
皆さんに少しでも何かを感じさせることができる記事になっていれば幸いです。
最後に改めて言わせてください。
僕の夢は、時代に適した教育と情報を地域を問わず提供し、個性を殺さずに生きられる学生を育てる仕組みを、教育現場の外部でつくること。
そして、教育業界を「少し」変えること。
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