大河ファンタジー小説『月獅』72 第4幕:第16章「ソラ」(7)
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第4幕「流離」
第16章「ソラ」(7)
(ナキオオカミ、ハイエナ、ジャッカルの襲撃から逃れたソラの前に、ふつうの虎よりも二周りも大きな白虎が立ちはだかった。)
「北壁の雷虎!」
先頭で追い駆けてきたナキオオカミは驚愕し、残雪でぬかるんだ地面に前脚の爪を立て、つんのめりながらかろうじて止まる。その声は怯え慄いていた。後続のハイエナもジャッカルも、猛虎の存在に気づくやいなやその場に凍りつく。ソラは白虎の眼前で尻もちをついたまま逃げ場を失い動けずにいた。
緊張が玲瓏たる宵闇を支配した。
「吾のために獲物を追い立ててくれたか」
低く地を這う声が夜気を揺らす。牙を剥いたわけではない。月明かりにきらめく鋭い金の双眸が、居並ぶ小獣たちをぎろりと睥睨しただけである。
閃光のごとき金の眼で睨み据えられると、まるで雷に打たれたように皆、居竦み動けなくなり、その狩は稲光りのごとく一閃で終わるという。故に雷虎との異名で畏れられてきた。峨々たる雪嶺に轟く覇名である。
悪食で知られるハイエナも、雷虎が現れればたちまちに退散する。だが、今宵はちがった。伝説の宝が目の前にあるのだ。喰らわば、光の力を得るという天卵の子、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。欲が凌駕する。
光の力が何かは知らぬ。だが、この北壁で力はすべてだ。
ノリエンダ山脈の北壁は冬も夏も厳しい。多くの生き物は冬に飢え、夏に渇えて果てる。強靭でなければ、ここでは生きてはいけない。喰らわば力の源泉を得られるというなら、命を懸ける価値がある。
「こいつは吾が貰い受ける」
文句はないなとばかりに、白虎が言い放つ。
無言の不満があちこちでとぐろを巻き、小獣たちは対峙したまま退こうとしない。
「ほほう、吾にはむかうか。それほどまでに天卵の力が欲しいか」
闇にごくりと喉が鳴った。群れの中ほどにいたハイエナが声を震わせる。
「あ、あたりめぇだ。で、伝説の力だ。お、おいらたちが見つけた。おらたちのもんだ」
ふん、と白虎は鼻で嗤い、金の眼で群れを凝視したまま、一足、歩を進めた。幹のように太い脚がソラの膝に触れそうな位置に迫る。ふつうの虎の倍はありそうな下顎が、ソラの頭上の月明かりを遮る。じりっと獣たちが後ずさる。数頭が恐れをなして駆け去る足音がした。
「この者一人をめぐって血で血を争うか。まさに禍玉じゃな」
<悪しき誘いには禍玉とならむ>
『黎明の書』の一節を誦しながら、白虎はソラに視線をよこす。
――禍玉だと。俺は何もしていない。コンドルが俺をさらって、獣たちが俺を狩ろうとしているだけじゃないか。こんな役立たずな光、欲しければいくらでもくれてやる。天卵の子ってなんだ。そんなものに俺は生まれたかったんじゃない。
ソラは心の裡で歯噛みし、まなじりを引き攣らせて白虎を見返す。金の眼が一瞬、やわらいだ気がした。
「八頭か。皆でかかれば、吾を斃せるかもしれぬな。だが、みごと吾を斃せても、その後どうする。こんな腹の足しにもならぬガキを仲良く分け合うか。否。最後の一頭になるまで互いに殺し合い死力を尽くすのであろう。おまえたちが相争う隙に、こやつは逃げるぞ。せっかく冬を越した命を、かような無益な争いで落とすとは、なんと愚かなことか」
どさっと雪煙をあげて何かがハイエナたちの足元に投げ出された。
「吾が仕留めた羚羊じゃ。肉のついておらぬガキよりも、よほど腹の足しになろう」
生肉の臭いにハイエナの口から涎が垂れる。こんな馳走にはめったと出合えぬ。本能を抑えきれぬのであろう。ふらふらと二頭が近寄る。それを契機に小獣たちが我先にと羚羊の肉塊に群がりむさぼり喰いはじめた。
その隙に白虎はソラの首根っこを咥えると、群れの頭上をひらりと飛び超え駆けた。一駆けで半哩の俊足にかなうものなどいない。すでに戦意を喪失した獣たちが、むさぼり喰う咀嚼音だけが闇夜を揺らしていた。
(to be continued)
第73話に続く。
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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」は、こちらから、どうぞ。
これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。