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大河ファンタジー小説『月獅』10  第1幕:第4章「蝕」(1)

第1章「白の森」<全文>は、こちらから、どうぞ。
第2章「天卵」<全文>は、こちらから、どうぞ。
第3章「森の民」<全文>は、こちらから、どうぞ。
前話(『月獅』9)は、こちらから、どうぞ。

第1幕「ルチル」

第4章「しょく」(1)

<あらすじ>
「白の森」を統べる白の森の王は、体躯が透明にすける白銀の大鹿だ。人は白の森に入ることはできない。唯一、心からの祈りが王に届けば、森は開かれる。ある晩、星が流れた。その一つが、エステ村領主の娘ルチルに宿り、ルチルは「天卵」を産んだために、王宮から狙われ白の森をめざす。六歳の夏に日射病で倒れたルチルは、白の森で介抱された過去をもつ。白の森の王がかつて地下に沈めたという伝説のルビ川から、森に入ることが許されたルチルは白の森の荒廃に驚く。森には謎の病がはびこっていると、「森の民」の末裔と名乗るシンが教えてくれた。また、ルチルは九年ぶりに再会した白の森の王の躰が、半分くらいまで小さくなっていることに驚く。白の森にいったい何が起こっているのか。王は森の秘密についてルチルに玉座がある「もえしとね」で話そうという。

<登場人物>
ルチル‥‥‥エステ村領主の娘・天卵を産む。
白の森の王‥白の森を統べる白銀の大鹿
シン‥‥‥‥森の民の末裔
ラピス‥‥‥森の民の末裔・シンの娘

 
 森の心臓部にある「萌のしとね」は王の玉座だけあって、川原の荒廃とは隔絶し、濃く深い緑に包まれ清らかな光が降りそそいでいた。
 六歳の夏に見た白の森と変わらず、懐かしさと安堵がない交ぜになりルチルの目尻から熱いものが溢れる。銀苔も厚く層をなしている。白銀に光る鹿の王がそのすらりとした四本の脚で下草を踏みしめるたびに、足あとから花が咲き草が伸びる。王の息吹が森に命を吹き込む。
 後ろから従っていたルチルは、光をまとって歩む王が時おり頭をさげ草に息吹を吹きかけるたびに、二本の琥珀の角のあいだから何か白く大きな物が見えることに気づいた。苔と草のもっとも厚い褥の中央に、白い楕円形の塊が鎮座している。王はためらいなく進むと、その隣に脚を折って横たわった。銀色の繭のようなそれは、体躯が並みの鹿と変わらなくなってしまった王とほぼ同じくらいの大きさだった。ルチルの目は繭に釘付けになる。
「そちたちも腰を下ろすがよい。楽にいたせ」
「すまぬが他のものは見張りの鷹をのぞいて、しばし席を外してくれぬか」
 王は周囲の毛ものに目配せする。繭を守るように取り囲んでいたものたちは、たちまち姿を消した。それを確かめてからシンが「では、お言葉に甘えて」と王の前に胡坐あぐらをかく。ラピスがぴょんとその膝に乗る。ルチルはためらいがちにシンの隣に座った。苔がクッションのようにやわらかい。
「ルチルよ。これが何かわかるか」
 王は自らの隣にある白銀の物体に鼻先を向ける。
「大きな繭に見えます」
「明察じゃ。繭であり、これこそが蝕の正体である」
 えっ? 意味が飲みこめず、ルチルは助けを求めるように王からシンへと視線を泳がせる。だがシンは、ルチルの動揺はおろか、膝の上の娘の存在すら忘れているかのように王を見据え微動だにしない。王はかまわず続ける。
われは森の誕生とともに千年あまりの永き時を生きてまいった。いわゆる不死の存在といえよう。だが、ずっと生きながらえてきたわけではない。なぜなら朕はことしでよわい百五十にすぎぬからな」
 ルチルはまた混乱する。王の言葉は謎かけのようだ。千年も生きてきた不死の存在が、なぜわずか百五十歳なのか。どういうことか。
 王はルチルの困惑を楽しむように、翡翠の双眸をきらめかせる。
「はは、勘定が合わぬか」
 王は軽く笑って、真顔にもどった。
われはおよそ二百年に一度生まれ変わる。再生する、といえば良いかの。それをしょくという。いにしえより五度の再生を繰り返してまいった。此度こたびが六度めの蝕である」
「どうじゃ、これで算術はうたであろう」
 ルチルは小さくうなずき、「では」と尋ねる。
「蝕のたびに王は新しい王に生まれ変わられるのですか。古い記憶を忘れられるということですか。蝕が終われば、私の前にいらっしゃる王様、話をしている王様とは、もう会えないということですか」
「そちはさかしいな。まあ、待て。順を追って話そう」
「先走ってしまい、失礼いたしました」
 ルチルは紅潮した頬を掌でおさえ慌てて平身低頭する。
「そうかしこまらずともよい。大要だけをかいつまんで語ろう」
 王は横たわったまましなやかな首をすっと立てる。琥珀の角に木漏れ日が反射し玉体をつつむ。体躯が小さくなっても、神々しさは変わらなかった。
「蝕は、われが幼体を産むことから始まる。幼体は鹿としての本質を継ぎ、成体と同じ姿で誕生する。だが自然界の鹿の赤子とは異なり、極めて小さい。生まれたては鶏の卵ほどの大きさにすぎぬ。その生まれたての幼体を、朕の口から吐きだす糸でくるみ繭をこしらえる。幼体は繭の中で日ごとに大きうなる。成長にともない繭も大きくせねばならぬ。これがひとつめのリスクとなるかの」
 繭を日々大きく紡ぐことが、なぜリスクになるのか。ルチルは尋ねたくなる衝動を奥歯でこらえ王を見つめる。
「それのどこがリスクなのか、という目をしておるな」
「繭を紡ぐことは、さほど骨は折れぬ。だが幼体は日増しに成長するゆえに朕はその作業にいそしまねばならなくなる。森への目配りがおのずと手薄になる。かすかな綻びに気づきにくうなる。此度こたびの流行り病の初動に遅れをとったのも、それゆえ……と、気づいておるのであろう、シンよ。敵はそのわずかな綻びを狙ってきたと」
 王は突然シンに話をふる。
「は、ご明察にございます」
 シンが王を見据えたまま答える。
「なれど、これは前触さきぶれでしかございません」
「さよう、たいしたことではない」
 蝕にはもっと大きな危険があるというの? 
 ルチルは鳩尾みぞおちをきゅっと強張らせ、天卵を抱きしめる。
「ルチルよ、われの躰が縮んでいること、不思議に思わぬか」
「びっくりいたしました。あんなに立派なお躰でしたのに。何があったのですか」
 いちばん訊きたかったことだ。
「朕は糸を吐いて繭をこしらえると申したであろう」
 ルチルはうなずく。
「繭は幼体を保護するためにこしらえるが、それが主眼ではない」
「かように」
 と言いながら、王は口から銀の糸を吐き、傍らの繭に挿す。
 すると繭が透けて光りだした。
 王とよく似た透明に光る白銀の鹿が一頭、首を丸めてうずくまっている。銀の糸が繭のなかをするすると進むと、頭をもたげ伸びてきた糸をくわえた。赤子が母の乳首にくらいつくような自然な動きだった。
「糸を介して幼体とわれはつながる。肝心はこれにある」
「蝕とはな、つづめて申せば、新しき器に朕を移し替えることである」
「幼体が新しい器ですか」
「さよう。そちも知っておるであろうが、自然界にはさまざまな再生の形がある。蜥蜴とかげの尻尾もそうじゃ。体を半分に切られても再生するプラナリアしかり。だがな、彼らはもとの身の欠けた部分を再生するにすぎぬ。全部を入れ替えるわけではない」
「永く生きておるとな、さまざまなおりが溜まってくる。あちこちに不具合も生じる。それを人は老化と呼ぶのであろう。新しき器を得ることで、それらをいったん解消する。それが蝕の目的である。そうやって千年、朕は森を守ってきた」
「ただし、移し替えは慎重を期する。注ぎこむ力が幼体の成長を上回っておると、器は破裂する。ゆえに朝露のごとく、ひと滴ずつであらねばならぬ。力の移し替えが進むにつれ、幼体は大きうなり、われは小そうなる。すべての力を注ぎこむと蝕は完了し、ひと世代前の朕は消滅する。およそ一年を費やす」
「一年」ルチルがオウム返しでつぶやく。
「さよう。今がちょうど折り返し点である」
「さて、シンよ、このあとはどうしたものかな。この先まで、ルチルに森の秘密を語ってもよいものであろうか」
 王は深い信頼を宿した翡翠の瞳をシンに向ける。同じ翡翠色の瞳をしていても、シンの瞳はまだ若く触れれば切れそうな真剣さで王を見つめていた。
「蝕が完了するまであと半年。天卵はまだ孵っておらず、ルチルはレルム・ハン国の王宮に追われる身。わずか半年では、たとえルチルに悪意があろうとも一介の少女に何もできぬのではございませんか。蝕さえ滞りなく完了すれば、王の力、ひいては白の森の力は元どおりになります」
「うむ、そうであるな」
 シンの同意を得ると、王は再びルチルに視線をもどす。
「今のところわれの力の半分は幼体に移し終え、朕は本来の力が半減している状態である。よって、これから半年がもっとも危険となる」
 ルチルは小首をかしげながら尋ねる。
「王様の力が半分以下になっても、幼体にそのぶんの力が備わっているのであれば、力を合わせればよいのではないのですか」
「俺も前から疑問に思っていた。何しろ森の民とはいえ俺だって蝕を実際にの当たりにするのははじめてだからな」
 シンがルチルの問いにおのれの疑問を重ねる。
「残念ながら幼体は繭から孵るまで力を発揮できぬ」
 王の声が静かに響く。
「繭とは人の子における子宮のようなものでな。人の子も羊水のなかで成長するが、月が満ちて生れ落ちぬかぎり何もできぬであろう。それと同じと考えればよい。加えて」
 王はひと呼吸だけ口をつぐみ、ふたりを眺めやる。
「蝕が終わらぬうちに、不測の事態で孵ってしまうことでもあろうものなら、そこで力の受け渡しは強制終了となる。つまり、次世代のわれは不完全な状態として生きねばならぬ。一度ひとたびかようになると、爾後に続く世代は欠けたまま力を継いでいくことになろう」
 ルチルは愕然とする。
「修復はかなわないということですか」
「ああ。朕の再生は、元あるものをそっくりそのまま移し替えるものであるからな。かめの水を別の甕に移し替えるようなもの。蜥蜴やプラナリアのように、失うたものを復元するのとはちがう」
「そういうわけでな、幼体の力を使うことはできぬ」
 王は静かに吐息をもらす。
「では、これまではどうやって危機を乗り越えてこられたのですか」
「蝕が起こっているかは、森の外のものは知り得ぬ。そもそも蝕というものがあることも知らぬはずなのだ。たいていは森が潜在的に備えておる力で対処できる。ゆえに半年をひそりと過ごせば朕は新しく生まれ変わることができておった。此度こたびはそうはいかぬようであるがな」
 王はルチルにうすく笑ってみせた。
「王よ、もう一つよろしいですか。これまでのならいであれば、数年のずれはあろうとも、蝕はおよそ二百年に一度と伝え聞いております。五十年も早まったことなど、かつてあったのでしょうか」
 シンの声音は真剣であった。ラピスが膝の上から父を見あげる。
此度こたびが初めてじゃ」
「なにゆえ」
「それは朕にもわからぬ」
「あの」と、おそるおそるルチルが口をはさむ。
 王とシンがそろってルチルを振り返る。
「蝕がいつ始まるか、幼体をいつ産むかは、王様がお決めになられるのではないのですか?」
「それを決めるのは朕ではない」
「では、だれが」
「蝕は突然始まる。予測もできぬし予兆もない。時が満つれば始まる。この世の命はすべてが循環しておる。われもまたその環のなかにある。此度はその巡りが五十年早かった。それが何を意味するのか」
 王は首をふる。
「おそれながら、蝕が早まったことと、ルチルが天卵を宿したことに関わりはあるのでしょうか」
 シンが膝を進めて尋ねる。ラピスがシンの膝からずり落ち尻もちをつく。
 シンは気にも留めない。
「それも朕にはわからぬ。天の差配……であるかもしれぬな」
「天…」
 ルチルはつぶやきながら、萌えのしとねに降り注ぐ光の先を、目をすがめて見あげる。

 そのとき、光の中から何かが弾丸の速さで一直線に降下してきた。ルチルは反射的に卵を背でかばった。

(to be continued)

『月獅』11に続く→


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