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手前みそは豊かで幸せだ

無職だから時間持ちなわたくし。「手前みそ」というやつをまさに作る機会をいただきました。。もう10年くらいのお付き合いになる大好きなご夫婦が、埼玉県の寄居町というところで井伊農場という農家をしておりまして・・・と簡単に言いますが、出会ったときは東京で超多忙なサラリーマン・ナオスケさん(苗字が「井伊」なので、出会ったときから勝手に「ナオスケ」と呼んでいます 笑。)と異国での経験を活かしてあれこれと飛び回る・ちあきさんというご夫婦です。

「小さくてもいい。まずは自分のまわりを変えるために、自分がやるんだ!」と吠えるだけでなく、行動するナオスケさん。「農家にとって育てやすくて売れやすい野菜ではなく、おいしい野菜を」と、畑にいるいろいろな生き物を大切にしながら「固定種・在来種」の野菜をつくり、この世から消えてしまいそうな命を次世代につなごうとしています。今回分けていただいたのは、まさに「小川青山在来大豆」。これをちあきさんが前日から水に浸してくれており、まずは庭のかまどで蒸します。かまどの火はさまざまな野菜の苗床の囲いとして使われていた竹や、畑につながる里山のお手入れで間伐した木々の薪。大豆は茹でてもOKなんですが、うまみを捨てずにギュッと大豆ちゃんに閉じ込めるべく、今回は蒸し。「最近どうしてた?」など薪をくべて火を見ながら語り合うナオスケとわたし。空気は冷たいんだけど、ポカポカの太陽を感じながら、心あったまるなんともいい時間を過ごしました。

20分くらい経ったかな・・・大豆のほんのり甘い香りがしてきたので「ところで、あと何分くらい蒸したらいい?」とかまどのある庭から聞いたところ、返ってきたちあきさんの答えは「だいたいで。大豆を指でつぶせる程度」。わたしは携帯のタイマーをかけようと準備していたけど、そんなものはここでは不要でした。そういえばこの家に遊びに来ると、お米を土鍋で炊いてくれるちあきさんは、いつも土鍋から漂ってくるにおいと音で火を弱めたり、止めたりする時を判断しています。そういうことね、デジタルな数字ではなくて、自分の生物としての嗅覚と聴覚と触覚を駆使するということ、いつから人間は自分の五感をくらしの中で活用することをやめたんだろう。そういえば、今やっている朝ドラでも「あずきの声を聴け」って言ってますね。

蒸した大豆をすり鉢でつぶして、玄米麴と塩を混ぜたものと大豆を混ぜて、自らの手で混ぜ混ぜ混ぜ混ぜ。玄米麹と・・・なんてあっさり書きましたが、もちろん玄米はナオスケが春夏秋と時間と手塩にかけて育てたお米だし、ちあきさんがこうじ菌を玄米につけるのに遡ること2日もかかっているわけです。そしてわたしが持ち込んだ塩は大好きな先輩の住む奥能登の塩。去年の夏に実際に塩づくりを見せてもらったけど、涙が出るほど大変な人の作業を経てできた塩なんですよ。「手塩にかける」ってもしかしてそういうことかしら・・・と書きながら思っています。

味噌は今やスーパーでお金を出せばすぐ手に入るもの。でも半日かけて作りながら考えました。昔はこうやって家族やご近所総出で味噌作ってたんだろうなぁ。。。1日仕事。大豆や米もつくるから1日どころか1年仕事。てまひまの究極。でもなんて素敵な時間なんだろう。たわいもないことを話しながら、「よいしょ」とみんなで力を合わせながら、途中のランチで同じ釜のごはんを食べながら、天候を気にしながら、半年後にできる味噌に想いを馳せながら、みんなが持っている菌を味噌にのせていく。なんでも「効率よく」が気が付いたらスーパーでお金と交換になっちゃったし、「たくさんとれる」を重視しすぎて『遺伝子組み換え大豆』なんて出てきちゃって・・・

玄米とこうじ菌と塩と大豆とわたしが持っている菌だけでできる味噌!はどんな味になるんでしょうか。どんなものでも「何かをつくる」って、実はすごく豊かで幸せなことだよねと、最近パートナーと話をしました。ものづくりって自分はあまり得意ではないし、上手じゃないと思っていたので、やってこなかったことですが、自分の体に入れるもの、日々の生活で使うものを上手い下手関係なく、自分でつくるって、とても豊かでしあわせだと感じた味噌づくりでした。

ワラーチも愛用していることだし、今後は自分に関わるものを不器用ながら作り出すことにもパワーを注いでみようかな。なんでも上手じゃないといけない世の中にモヤモヤしているし。上手くできなくてもいいのだ!

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。またこちらでお会いできたら嬉しいです。

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