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地獄のベビーマッサージ

むすこが落ち着かない。

とくに夜中の睡眠だ。ただでさえ3時間睡眠だったのが日に日に短くなり、とうとう2時間睡眠になってしまった。強制的に超ショートスリーパーになったクマだらけの夫婦と対照的に、生後1ヶ月のむすこは暗い部屋で夜行性動物のごとく目をキラキラさせ咆哮する。

せめてもう少し、落ち着いてくれたなら…。

そんな折も折、むすこが生まれた病院で、赤ちゃん向けマッサージ教室が開催されるという情報をキャッチした。マッサージしてリラックスしてくれたら、ゆっくり寝てくれるかもしれない。さっそくむすこを抱っこ紐に包み、妻と駆けつけた。

参加していたのは7組。ママ+赤ちゃんで、“夫連れ”はうちだけ。生後3ヶ月の子どもがもっとも多く、まだ1ヶ月のむすこは一番小さかった。

静かなるサムライたち

「では、はじめますね!」

進行役の助産師さんが告げた。教室に敷かれたマットの上では、“泣き”に日々を捧げる7人のサムライたちが手足を動かし、アップに余念が無い。さぞ凄まじい戦闘が繰り広げられるかと思いきや、意外にも皆おとなしく、講習会はしっとりとスタート。

「赤ちゃんはマッサージされると、とてもリラックスできます。まずは大人同士でさすってみて、その気持ちよさを実感してみましょう」

わたしは妻とペアになり、よしよしと肩をなであった。

ああ、妻にさすってもらえるなんていつ振りかなぁ。

思い出に浸りながらマットのむすこを見やると、仲睦まじい両親に興奮したのか目を見開き、フンハフンハと鼻息が荒い。顔も次第に赤くなってきた。危険だ。ギャン泣きへのカウントダウンが始まっている。背筋に冷たいものが走る。

リアルとバーチャル

「ではしばらく、ビデオを観てみましょう」
部屋がゆっくりと暗くなり、スクリーンには可愛らしい赤ちゃんが映し出された。

《赤ちゃんにタッチしてあげると、ママ、パパへの親しみがわき、心も通じあうのです…》

画面の向こうでニコニコほほえむ赤ちゃん。ナレーションが続く。《胸に手をおいて、ハートを描くようにさすってあげましょう》。赤ちゃんは嬉しそうにキャッキャと声をあげる。

思わず頬をゆるめて画面から目を外すと、むすこはいなくなっていた。

ビデオ中に教室の沈黙を破って泣き出し、妻によって隅の授乳スペースへと連れていかれたのである。

あらためて部屋を見渡すと、持参したミルクを飲ませたり、おもちゃを与えたり、立ち上がって抱っこしたり…。ほとんどのママが子どもにかかりきりで、まともに画面を見ているのはわずか2人だけであった。

しばらくして、満足そうな顔をしたむすこと妻が戻ってきた。ビデオも終わり、いよいよ実践だ。

勇者たちの覚醒

保湿クリームを手につけ、妻といっしょにむすこの全身を丁寧にマッサージしていく。

ビデオで学んだ通り、ハートを描くようにおなかをさする。太ももは雑巾をやさしく絞るようにキュッとねじってみる。手の指は一本一本ひっぱるようにマッサージしていく。

先ほどビデオで見た子は、とても気持ちよさそうにしていた。

だが、目の前のむすこは顔を歪めて泣きわめいている。リラックスどころか全身をガチガチに緊張させ、幼少期のサンシャイン池崎もかくやと思われる声量で「う"ぇえ"ええええ"え"ぇえええぇえーーー」と叫んだ。

その狼煙に触発されたのか、周囲の子たちが声を上げた。

「アウ"ーーー‼︎‼︎」
「う"う"う"ッッ」
「ギェャア"ア"ア"ーーーーーア」

ついに眠れる剣豪たちが刀を抜いたのだ。

あちこちで叫び声が上がり、母親に連れられ次々と授乳スペースへ消えていく。落ち着いて進行する策士の助産師さんと、その声を力でかき消す赤ちゃん戦隊が一進一退の攻防を繰り広げる。先陣を切ったむすこは声を出し続けるあまり、真っ赤な絶叫顔のまま停止し“真空状態”に陥った。親と子どもが心を通わせるはずの教室内は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

闘いすんで日が暮れて

「はい、今日はこれで終わりです。ぜひおうちでも試してくださいね〜」

なんとか最後までたどり着き、助産師さんがにこやかに告げた。先ほどの喧騒が嘘のようにサムライたちは落ち着いている。極端すぎる。

「静かですね…」

誰かがポツリと言った。みな無言で頷く。闘いのあとの静けさが部屋を支配する。わたしはふうと一息ついて、ようやく泣きやんだむすこを見つめた。

「リラックスできた、かな…?」

むすこは問いかけに応えない。果たして今後、少しは落ち着いてくれるようになるだろうか。

いまだ疑念を拭えぬままオムツをつけようとすると、むすこは恍惚の表情を浮かべてオシッコを噴射した。

マッサージの効果は、なかなかあるようだ。

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