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絶対にテレワークする父と、絶対に仕事させないむすこ

今年1月から仕事復帰し、2月中旬からリモートワークが始まった。

復帰してわずか2ヶ月足らずのリモート。在宅勤務の日が続き、まるで育休の延長のようだ。

もちろん、仕事はせねばならない。毎日起きたら自分の部屋で仕事をはじめ、日が傾くまで続ける日々。その間、育休を続けている妻に、家のことをほとんどお願いしている。掃除、洗濯、育児のもろもろ(着替えに離乳食にお相手などなど)。私が関わるのは、夕食を作るのと、子どもをお風呂に入れるくらいのことだ。前回の記事でむっちゃイクメンをアピールしていたのにこのザマである。でも、甘える。

いつでも、隣の部屋に行けば妻とむすこがいる。それはとても安心感があることだ。

昼休憩にはみんなでご飯を食べたり、家族で少し散歩をしたり、ちょっとした休憩にリビングに変顔しに行ってゲラゲラ笑うむすこの顔を見られる。これは最高である。ちょっかいをかけるごとに、勤労意欲の失われてゆく音が聞こえる。

二足のワラジ

そんなある日、妻が体調を崩してしまった。乳腺炎で熱が出たのである。

今の流行り病でなかったことに安堵しつつも、急遽、自分が家事育児代行となる。熱が出た日は半日の休みをとり、家のことに専念することにした。

妻の体調が戻って2週間ほどすると、また乳腺炎がぶり返してしまった。以前のときと同じく風邪の症状はないものの、熱が出ているため体がだるそうだ。今度は仕事をしながら、家事・育児をやってみることにした。

これが思った以上に忙しい。育休中は家事・育児に専念して、仕事はしなくてよかった。それが、仕事をメインにしながら、合間合間で家事・育児をする必要があるのだ。

家事家事育児、ときどき仕事

今日は昼からオンライン会議がある。それまでに、できるだけの家事を済ませておかねばならぬ。

朝早めに起きて、むすこと妻が起きるまでに、仕事をある程度進めておく。むすこが起きれば着替えにオムツ替え、洗濯などサッサと片づける。洗濯中にむすこをおんぶしつつ仕事を再開するも、足をバタつかせたり手を伸ばして何やかや取ろうとする彼になかなか集中できぬ。

さて、そうこうしているうちにむすこの朝ごはんである。むすこをリビングの遊びスペースに下ろし、準備する。9ヶ月をすぎたむすこはいよいよ3回食がはじまった。離乳食自体は妻がすでに作ってくれているので、今日のメニューを妻に確認してレンジでチン。その間に仕上がっていた洗濯物を取り出しておく。むすこを見ると、周囲を囲んでいた柵代わりのダンボールを乗り越え、リビングの床へと侵入していた。急いでつかまえ「自由を奪ってすまんね」と言いながら、ダンボールを重ねて柵を高くする。

親子オンライン会議

むすこの食事タイムだ。彼はじっくり座ることを拒否して周りに手を出しまくるので、それをくい止めながら少しずつおかゆやらホウレンソウやらカボチャやらをあげていく。完食。と同時に私のハラが鳴る。ご飯を食べるのを忘れていた。やばい、会議がはじまる。メシはいい。後片付けしてむすこをまたおんぶし、PCの前にスタンバイ。

「かわいい!」「顔似てますね!」。リモート会議が始まり、同僚が声をかけてくれる。えへ〜ぇと思わず私もニヤけてしまう。「笑ってー!」。画面の向こうから言われると、いつもゲラゲラ笑っているむすこは、こんなときだけ笑わない。

「では、はじめましょう」。この会議は私がファシリである。しっかりやらねばならぬ。メガネに手を伸ばしてくるむすこをかわしながら、「今日の議題は〜」と進行する。むろんメガネを取られないよう頭を左右に動かしながらのため集中できるはずがなく、何をしゃべっているか自分でもよくわからない。「マンマンマンマー!!」「あうあうあう!」。むすこが何やら訴え出す。彼の辞書には「不要不急」などなく、「要」と「急」あるのみ。手足をジタバタ動かすむすこに私も座っていられなくなり、立ち上がりおんぶしながらゆすってあやす。「大丈夫ですか?」。同僚の見る画面には、上下する私の腹だけが映っている。

このままでは会議もままならない。どうしたものかと思っていると、ユサユサ揺れていたむすこの足の動きが次第に鈍くなってきた。寝た。

よかった。椅子に座り直し、なんとか会議を終える。ホットスポットのごとき貴重な時間に仕事を進める。普段は仕事がのろいのに、ひとたび時間を区切られれば、人間は(私は)とたんに集中力が出てくるのだから不思議である。

怒涛のような1日が終わりを告げ、ほっと一息。
翌日には妻の体調も回復し、また「日常」が戻ってきた。

非日常の中の日常、その隣の非日常

さて。以上の話は、3月中旬のことである。noteを途中まで書きつけてそのままにしているうちに、その後、世の中は目まぐるしく変わってしまった。

4月からはじまった保育園は、数日間慣らし保育に行っただけで、緊急事態宣言を受けてほとんど休園状態になった。仕事復帰する予定だった妻は、育休を延長し、今も家にいる。

幸いにして家族に体調の変化はない。妻も元気になって、私は相変わらずリモートワークで、合間にむすこへちょっかいを出しにいく日々。だが。

このあまりに穏やかな日々は奇跡的なのだ。そう気づき、愕然とする。われわれは、あまりに恵まれた環境の中にいる。

私たちのむすこは、今0歳10ヶ月。活発に動き回ってはいるけど、まだハイハイで、行動範囲も限られている。これがもっと大きくなったらどうしたらいいのだろう。走って遊べる年齢となり、家で暇を持て余した子どもは、こちらの仕事の事情などかまわずあっちゃこっちゃ飛び回るだろう。子どもが家にいれば、完全に仕事に集中することは難しくなる。

パートナーが外で仕事する中、子どもを見ながら在宅勤務しなければならぬ人も多いだろう。あるいは夫婦で家で仕事できるとしても、交代交代で子どもの面倒を見る必要がある。保育園が休園になり、でもどうしても子を預けねばならない親はどうするのだろう。近くに親族がいればいいが、そうでなかったら? 自分の乏しい想像以外にも、たくさんのケースがあるはずだ。

そして、自分や妻、そして子どもが新型コロナウイルスにかかったらどうなるのだろうか。どうすればいいのだろうか。「家に家族がいて嬉しい」なんて能天気に言っている日常は、あっという間に崩れてしまう。日々生活をしている以上、買い物などに出かける必要がある。そこでもし感染したら? ネットで買い物しても、品物にウイルスが付着していないとは限らない。

極めてあやうい、恵まれた今の中で、私たちは生活を続けている。

窓からは、日曜のうららかな陽の光が差し込んでくる。リビングからは昼寝から目覚めたむすこの声が聞こえてくる。これから、私たちも昼ごはんをとることにしよう。今日は特に予定はない。買い物して、寝室で家族で遊びながら、のんびりと過ごそう。明日からはまたリモートワークがはじまる。ミーティングのそばから泣き声が聞こえ、時々、むすこが画面に登場するだろう。

こんな私たちの日常は、非日常だから生まれたものだ。その変わらない毎日のそばには、経験したことのない非日常が潜んでいる。

壊れそうにもろい、のほほんとした日常。
私たちは今、その上を静かに、楽しく歩いている。

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