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「かひなき身」~新聞より

我が師匠である朝日新聞編集委員、
近藤康太郎氏の「多事奏論」が載った。11月2日(土)朝刊

見出しは『源氏物語 猟師が読むと  殺生する身 生に命をかける』


大まかに言うと、近藤氏の自宅にはテレビがなく、「虎に翼」も「光る君へ」も見ていない。だが、源氏物語は原文で3年かかって読んだ。出てくる男どもがみな小物、恨み節、権力欲、支配力の塊。ただ、明石入道だけはちょっといい感じ。娘あての遺書を書く。その中の言葉。

草の庵まかり離れて、深き山に入りはべぬる、かひなき身をば、熊狼にも施しはべりぬる。

記事より引用

「山奥に入って、遺骸はけものたちの食い物になるでしょう」

近藤氏も、近藤氏の猟の師匠も、さんざん鴨などを撃って殺生をしてきた「かひなき身」なので、まともに死ぬことは望んでいない。山に入って、猪に食ってもらうと。

かひなし【甲斐無し】
 どうしようもない。無駄である。ふがいない。取るに足らない。
                    (マナベディアより)

だからだ。生きているあいだは、生きることに、命をかけてみる。つもり。

記事より引用

 「つもり」ってなんだ?言い切らないのですか、とは思うけど、「生きることに命をかける」この言葉はとても深いと思う。そうか、真面目すぎるから、ぼかしたのか。

近藤氏は、ずっと「命」について書いてこられている。猟をするようになって、命と向き合わざるを得ないのだ。どこか、生と死について、達観されているような感じがする。

私は去年までケアマネジャーだった。対人援助職なので、うまくサービスにつながって利用者さんが元気になったり、利用者さんと関係をうまく築けたり充実していた一方、「あの時、もう少しこうしておけば」という思いは、どうしてもある。たくさんある。胸の奥の小さな痛み。だから、仕事を辞めたら巡礼の旅に行く、と本気で思っていた。

そんなことを、ふと思い出した。

「殺生」だが、コラムにあるように、誰だって殺生している。食べて生きている限り。直接的か間接的か、の違いだ。

ちなみに、私も両番組をほとんど見ていない。なんせウチのチャンネルは夫がずっと握っているから。

行基上人
この穏やかなお顔

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