【2通目】喪失感を抱いて夕陽に泣く——カズオ・イシグロ『日の名残り』【書評】
拝啓
時雨ならば風情があるものの、晩秋には似合わない生温かい風と雨が、散りゆくもみじを湿らせています。
あなたからの手紙を待ちわびながら、自分が紹介する本を決められず、あっという間に週が明けてしまいました。英国小説を教えてほしいと求めた自分が、決められないままに他の海外文学を紹介するのは心苦しく、戸惑いながら選んだのは、あまりに定番が過ぎますが、カズオ・イシグロの『日の名残り』です。またもやブッカー賞作品となってしまいました。
長らく名士の執事を務めてきたスティーブンスは、新たに仕えることになったアメリカ人の主人のすすめで一人、自動車で旅に出る。ガイドブックでしか見たことのない広大な田園風景を横目に、かつての主人であるダーリントン卿に仕えた日々や、自分を支えてきた「品格」の在り方、そして慕われていることにも気づかず屋敷と自分から離れていった女中頭のことを思い出しながら旅を続ける。
失った日々と人々はもはや還ってこない。そんな喪失感が胸に押し寄せ、夕陽にむかって涙を流す。古き良き英国は、もうここにはないのだと感じる小説でした。
人が不幸になるのは、つまらぬプライドとこだわり、そして被害者意識だと耳にしたことがあります。自分は常に「品格」を重んじてきたと考えていたり、主人の没落は自分の責任ではないと分かっていても、華やかな日々にどうしても思いを馳せてしまったり。スティーブンスはどこか頑なで、時代に取り残されるのも分かる気がします。
女中頭だったミス・ケントンとの関係も、それでは怒らせたり悲しませたりするのも当然だよと口を出したくもなります。自分は完璧だと思っている人間ほど完璧とはほど遠く、それを読者として傍目で見ている自分も、実は薄っぺらいプライドを抱き、過去にとらわれているのだと読んで感じました。
一週間に満たない自動車の旅と、およそ三〇年にわたる過去を、継ぎ目を感じさせず往還させる筆さばきは、さすが後のノーベル文学賞作家。できれば、その美しい田園風景をもっと豊かに感じ、一緒に旅したかったところです。名優アンソニー・ホプキンズ主演の映画は、また後に楽しむことにします。
あなたがイタリア文学や、それともわが国の小説をじっくりと味わっているのだろうと想像しながら、こちらは書棚の前でオロオロしていましたが、よく見るとフランスの文学や小説が多いことに気づきました。そういえば今年のノーベル文学賞もフランス人作家でしたね。あなたが好きなフランスの小説を教えてもらえたら嬉しいです。
雨はやんだようです。
既視の海