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多様性を捉えるとはどのような実践か

こんにちは、D&Iアワード運営事務局の堀川です。
今回から月1回の連載として、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)に関連した議論が学術研究でどのようになされているかを、社会学の文献を中心に紹介していきます。
本連載でご紹介するのは、唯一の「正解」ではありません。D&Iについて読者の皆さまと考えるための、ひとつのきっかけとして共有したいと考えております。

さて今回取り上げる話題は、アンケート調査の性別欄です。
アンケート調査で性別を尋ねるとき、回答の選択肢が男女の2つでは不充分なのではないかと、考えたことがある方も多いのではないでしょうか。
私たちの事務局にも、そのような疑問が寄せられることがあります。
では3つにすればよいのか、だとするとその選択肢は何とすべきか……というように、「2つが「正解」ではないらしい」と考えたとしても、その疑問の答えは単純ではありません。

今回ご紹介する論文は、釜野さおり先生の「ダイバーシティ・インクルージョンと社会調査における〈性別〉――ジェンダー統計とクィア方法論の連携」です。
この論文では、アンケート調査の性別欄について、尋ね方と選択肢をどう設定すべきかを探っています。

性別・性自認に限らず、調査によって何かの状態や分布を捉えることは、ダイバーシティの様々な局面に関わることです。
知る・把握するという営みが社会学でどのように試行錯誤されているか、その一端をご紹介します。


1. 「ダイバーシティ・インクルージョンと社会調査における〈性別〉」の概要

本節では、典拠を明記していない引用箇所の丸括弧内は釜野さおり(2024)からの引用ページを示します。

「ジェンダー統計」の考え方

釜野がまず紹介しているのが、「ジェンダー統計」という考え方の統計。
これは「生活のあらゆる分野の女性と男性の状況における差異および不平等を適切に反映している統計」(United Nations 2006、釜野による訳)のこと。
1975年(国際女性年)に国連で検討が始まり、2000年半ば以降はSOGI$${^{\textsf{*1}}}$$にも言及されるようになったそうです(661-2)。
$${\scriptsize{\textsf{\text{*1 Sexual Orientation and Gender Identity(性的指向と性自認)の略。}}}}$$

現在の日本の統計に対する姿勢を見ると、多様な性を反映するためのジェンダー統計が充分整備されているとは言えない状況です。
総務省は「引き続き男女別データの把握に努め」ることと、「多様な性への配慮の必要性について、検討を行う」ことを挙げていますが(総務省 2023)、検討に留まっており必要性のコンセンサスに至っていないことを、釜野は批判しています(662)。

このような現状をふまえ、ジェンダー統計のための性別・性自認の設問$${^{\textsf{*2}}}$$を社会学の立場から検討し始めたのが、釜野の研究プロジェクトと言えるでしょう。
後述するように、釜野が提案するのは「3ステップ方式」の設問ですが、その基になっている「2ステップ方式」について、まずは見ておきます。
$${\scriptsize{\textsf{\text{*2 性的指向の設問については第2節にて紹介します。}}}}$$

2ステップ方式による設問

2ステップ方式では、1問目で出生時に割り当てられた性別、2問目で現在の性自認を尋ねます。両者への回答を組みあわせて、シスジェンダーの女性・男性、トランスジェンダーの女性・男性、ノンバイナリーのいずれであるかを判断します(663)。

この2ステップ方式は1997年にトランスジェンダー対象の調査で使われ、現在では性的マイノリティのみを対象とするもの以外の大規模調査でも、欧米を中心に広く用いられるようになっているものです(664)。
広く用いられている方式といっても、すでに確立された完璧な方式ではもちろんありません。検討が重ねられ、実際に調査で使用しながらより適切なあり方が探られていきます。

調査の改善のために検討を重ねている例として、イングランドとウェールズの2021年センサスが挙げられます。
このセンサスに関しては、調査設計に関わる記録(設問の検討過程や聴取した意見など)と、調査の改善のための記録(データの質の評価など)が、イギリス統計局によって公開されています(Office for National Statistics 2023a, 2023b)。
これについて釜野は、「「問題」が起きることを懸念して従来の設問を維持するのではなく、何もしないことの問題にも目を向け、最大限の準備をして調査にのぞみ、批判や疑問に応えていく姿勢は、国の統計を担う機関の責任ある対応である」(665)と評価しています。

性別・性自認の設問がなぜ必要かというと、男女という2つの選択肢のみでは不充分であることに加え、ジェンダー・マイノリティとそれ以外の人々との間にどのような格差があるかを明らかにするためです(663)。
ですから「何もしないこと」は格差を見過ごすことにつながりますし、ジェンダー統計の考え方にも反します。

3ステップ方式による設問

2ステップ方式をふまえた検討を行った結果、釜野が提案する3ステップ方式の設問は次のとおり(666)。
(1) 出生時に割り当てられた性別を尋ねる。
(2) 「あなたは今のご自分の性別を、出生時の性別と同じだととらえていますか」と尋ねる。
(3) (2で「別の性別だととらえている」や「違和感がある」を選択した場合)「今の認識にもっとも近い性別」を「男性」、「女性」、「男性・女性にあてはまらない(具体的に)」から選択。

先述の2ステップ方式では「同じことが2度質問されたとみなされる」(666)ことがあるなど、主に欧米で使用されている2ステップ方式は、日本の社会的文脈での調査にはあまり適さなかったということです(平森・釜野・小山 2023: 7, 20)。

回答者の知識(出生時に割り当てられた性別と性自認とは必ずしも同じではないなど)の有無によって誤読が生じないよう、誰もが回答できる設計にすることは非常に重視されています。
一般的に高年齢層の回答者はSOGI(性的指向と性自認)に関する設問を理解しづらいと考えられますが、この3ステップ方式の設問では回答の誤りが生じにくいことが、「認知インタビュー」という手法によって検証されています$${^{\textsf{*3}}}$$(平森・小山ほか 2023)。
$${\scriptsize{\textsf{\text{*3 ただし3ステップ目の選択肢は、前述のものと異なる部分がある調査票が用いられています。}}}}$$

「誰もが回答できる」というのは知識量の偏りや勘違いのしやすさだけでなく、誰かを排除することのない調査、つまり包摂的な調査を設計するという観点にも関わります。
たとえば、3ステップ目の選択肢を「男性・女性にあてはまらない(具体的に)」としたことについて、当初は「その他(具体的に)」という選択肢であったが、「ノンバイナリーの視点から選択肢を再検討」したと釜野は述べています(666)。
「その他」には「排除された印象を与える可能性」(666)があり、望ましくないと判断したそうです。

日本では、設問の設計についても検討事例が限られていますが、調査結果の集計や公表の仕方についてもまた、議論も経験も不足していることを釜野は指摘しています(667)。
具体的には、男女以外の回答は一般的に少ないために、属性別の数値を公表してしまうと少数者の居住地域などを判別できてしまう可能性があることなどが、課題として挙げられます(667)。

クィア方法論の視点

日本では近年、性的マイノリティへの配慮として性別の設問を削除するべきだという意見があるようです。
それに対して「削除」ではなく「見直し」が必要なのだというのが釜野の主張であり(668)、ここまでで紹介したような設問の検討につながっています。
しかし、調査で性別を尋ねるとはいかなることなのかという問いは、決して自明のものではありません。
その問いかけとして釜野が言及しているのが、クィア方法論の視点による検討です。

クィア方法論において、調査でSOGI(性的指向と性自認)を捉えることは、肯定的にも否定的にも論じられています(669)。
肯定的な面の指摘としては、性的マイノリティが数値として示され可視化されることで、統計的に市民権を得られることがあります。
否定的な面の指摘としては、多様な性・生が画一化・規範化され、マイノリティ内部の格差を隠蔽する可能性があることなどが挙げられます。

これは、長所も短所もあるという単純な事実の指摘に留まりません。
「数値化を否定するのではなく、常に何をどのようになぜ数えるのか、数えるのか否か、数えられる主体になるのか否かを熟考」し、「数えることによる規範化や固定化を認識しそれをも分析する」(669)というクィア方法論の立場を端的に示すものでしょう。

2. クィアな社会調査の実践とは

以上が釜野(2024)の概要です。
これをふまえて本節では、一連の研究プロジェクトに基づく別の論文もいくつか参照しながら、性別・性自認の設問をめぐる調査実践について、①調査を設計することの困難性、②調査によって知ることの困難性、③調査によって知ることの権力性、の3点に整理します。

①調査を設計することの困難性

前節で紹介したのは釜野(2024)の研究プロジェクトのほんの一部分ですが、調査設計には試行錯誤が不可欠だということは読み取っていただけたのではないかと思います。
同じように性的指向の設問についても、どのように尋ねるのかは単純ではありません。

平森・釜野・小山(2023)では、性的指向に関連する問いは「性的指向アイデンティティ」、「恋愛感情を抱く相手」、「性的に惹かれる相手」、「セックスをする相手」の4つが設定され、後3者については「これまで」と「最近の5年間」のそれぞれを尋ねています(平森・釜野・小山 2023: 11)。「性的指向アイデンティティ」の選択肢には「異性愛者」、「同性愛者」、「両性愛者」、「決めたくない・決めていない」があります。
「恋愛感情を抱く相手」以降3問の選択肢は相手の性別ですが、「男性のみ」、「ほとんどが男性」というように、ひとつの性別の中にもいくつかの段階が設けられています。

なぜこれら複数の問いが用意されているかというと、性的指向アイデンティティと感情・行為との一貫性があるとは限らず、また感情と行為との一貫性も絶対的なものではないからです。
言い方を変えると、「性的指向」が持つ多面性を反映しない設問を使用すると、その回答が何を示すものなのかを特定できなくなってしまいます。
どのような設問で何が捉えられているかの重要性は、調査を設計するときのみでなく、公表された調査データを読むときにも言えることです。

②調査によって知ることの困難性

「日本人の○人に1人(○%)はLGBT」という言説を目にしたことはあるでしょうか。
調査の実施主体によって数値に差はありますが、それらの数値は何を表しているといえるでしょうか。

釜野が「現在のところ、日本人口に占める性的マイノリティの割合を推定できるデータは存在しない」(釜野 2019: 25)と述べている理由は、既存のデータは人口推定ができる統計的に厳密な手法に則ったものではないためです。

加えて、先に①で説明したように、適切な設問を用いなければ知りたいことを把握することは容易ではありません。
しかしすでに述べたように、日本では設問を検討する取り組みが充分なされてきてはいません。
ですから、日本人口に占める性的マイノリティの割合を推定するという試みは、まだ端緒についたばかりと言ってよいでしょう。

③調査によって知ることの権力性

釜野(2024)の概要の中で言及したクィア方法論の「クィア」というのは、理論的には「規範への対立的な関係」(Halperin 1995: 62)$${^{\textsf{*4}}}$$をその出発点としたものだそうです。
ですからクィア方法論では、多様であるはずの性・生が調査によってカテゴリー化され規範化される可能性について、自覚的な議論を求めています。
$${\scriptsize{\textsf{\text{*4 井芹真紀子(2020)の和訳によります。}}}}$$

調査による規範化という現象を、調査を実施する側から見るなら、調査することは権力性の行使だと言うことができます。
「知る」側は「知られる」側を脅かす可能性を常に持っており、両者は非対称的な関係にあります。

釜野らの研究の試みは、この権力性に自覚的でありながら、数値化によってカテゴリー化するだけではないアンケート調査の可能性を示してもいます。

先の①で、性的指向アイデンティティの設問について、「決めたくない・決めていない」という選択肢が用意されていることを述べました。
その回答を選んだ理由について詳細に調査・分析しているのが釜野・平森ほか(2020)です。
そこで示される結果は非常に多様で、「人々の性的指向のあり方は、必ずしも「異性愛者」、「同性愛者」、「両性愛者」といった形で厳格に分かれている・分けられるものではなく、複雑で多面的」なものでした(釜野・平森ほか 2020: 3)。

また、同じく①で言及したとおり、性的指向アイデンティティと性に関する感情・行為は必ずしも一貫性を持つものではありません。
たとえば異性愛者のアイデンティティを持つ人が、同性に恋愛感情を持ったり、同性との性行為の経験を持ったりすることがあるという「ずれ」の存在を、平森・釜野・小山(2023)が明らかにしています。

「あえて調査をし、これらの「ずれ」を示すことによってもその多様性や複雑性を描写することができると考えられる」(釜野 2019: 29)という釜野の調査に対する姿勢は、クィア方法論が示した危惧を受け止めた上での、ひとつの前向きな応答のように見えます。

3. 結び

今回ご紹介したのは、アンケート調査における性別・性自認の設問を事例に、どのような目的と試行錯誤を背景としてある調査が成り立っているかという、多様性を捉えるためのひとつの実践です。
3ステップ方式として提示した設問も確固とした「正解」ではなく、そこに辿りつこうとするための試行錯誤の過程であり、何が「正解」かはこれからも問われ続けるはずです。

本連載でこれからご紹介する内容も同様に、即効性のあるツールではなく、「どうしたらよりよい社会に近づけるか」をめぐる思考と実践の過程ばかりとなるでしょう。
連載を読んでくださる皆さまにとって、D&Iについて考え実践するための、ひとつの足がかりになりましたら幸いです。

D&Iを社会の「あたりまえ」に。

4. 書誌情報

$${\textsf{\underline{\text{今回紹介した文献:}}}}$$

釜野さおり、2024、「ダイバーシティ・インクルージョンと社会調査における〈性別〉――ジェンダー統計とクィア方法論の連携」『社会学評論』第74巻第4号: p660-75。

$${\textsf{\underline{\text{本ページで引用・参照した文献:}}}}$$

〈お問い合わせ先〉

■D&Iアワード運営事務局
Email:diaward@jobrainbow.net
公式HP:https://diaward.jobrainbow.jp

■運営会社 株式会社JobRainbow
Email:info@jobrainbow.net(カスタマーサクセスチーム)
TEL:050-1745-6489(代表)
会社HP:https://jobrainbow.jp/corp/company


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