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【古典ゼミレポート】ウィトゲンシュタイン『哲学探究』#02「名称目録論は不思議なのか?」【ソトのガクエン】

今回は、『哲学探究』(講談社)22頁~25頁まで読み進めました。今回読んだ箇所は、ウィトゲンシュタインが「言語ゲーム」を呈示する重要な部分でした。

アウグスティヌスの言語観から、言語における語は対象の名である(語と対象が一対一対応する)という一般的な言語観を取り出し、言語に対するこうした一般的な見方が、言語本来の働きをもやで覆って見えなくしているのだとウィトゲンシュタインは述べます。
これについて、参加いただいている方が、野矢茂樹氏が『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』(岩波書店)を立ち読みしたところ、この箇所について、「私にはまったくもやがかかっているように思わない」というようなことが書かれていたと教えていただきました。野矢氏の著書は未読であるため正確な文脈は分かりませんが、たしかに、一般の人にたいして、「言語(語)って何?」と尋ねれば、おそらく「ものの名前でしょ」という答えが返ってくるのが大半であって、それで何の不思議も感じないはずなので、一般の人はもやには覆われておらず、また、哲学や言語について何かしら考察をしたことがある人間にとっては、おそらくこうした「名称目録論」的な言語観が不十分であることを知っているはずなので、こちらももやには覆われていない、では、ウィトゲンシュタインは誰に向けてこのようなことを言っているのだろうか、ということが議論になりました。

この議論もそうですが、ここから分かることは、『哲学探究』はまさに、ウィトゲンシュタイン自身が自らの思考と向き合い、自らの思考をずんずんと展開していくのを読者はただ目撃し続ける他ないという奇妙な本であることを改めて実感しました。
あと、参加者の方に計算いただいたところ、このペースで読み続けると、読み終わるのに4年かかるそうなので、少しペースを上げていこうと思います。

次回は、6月17日(土)22時からです。よろしくお願いいたします。

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