【古典ゼミレポート】ウィトゲンシュタイン『哲学探究』#01「五 赤 リンゴ」【ソトのガクエン】
ソトのガクエンの古典読解ゼミは、2023年6月よりテキストを変更いたしました。今回は、ウィトゲンシュタイン『哲学探究』(講談社)を皆さんと読んでいきます。
初回は、小林が『哲学探究』の成立過程と全体の構成を説明(主に参照したのは、『哲学探究』訳者解説と、同じ著者である鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(講談社現代新書)です)した後、冒頭部分の本文を少し読み進めました。
当日のスライドはこちらです。
本文の読解は、「第一章 言語とゲーム―新しい言語像(1‐25)」20頁~22頁まで進みました。
ウィトゲンシュタインはアウグスティヌス『告白』を引用し、そこには、言語において「語とは対象の名でありー文とはそれら〔語〕の結合だ」という、私たちの一般的な言語観が語られているとします。
また、アウグスティヌスは名詞について考えており、品詞の違いについて述べていないので、この立場に立つ人は、「活動や性質を表す言葉については二次的にのみ考え、他の品詞については自然にわかるものと考えている」と言います。
その次のパラグラフが「だが」とはじまるのですが、この「だが」は原文では"Now"であり、はたして逆接の意味にとっていいのかということが議論になりました。「だが」と言って次のような思考実験が示されます。
言葉はこのように「使用される」のであって、「五」の意味とは何か、「赤」という言葉が彼や店の人にどのような印象を与えるのかということは問題にならないと言われます。
たしかにひとつ前のパラグラフとの関係がよく見えてきませんね...。
ここで皆さんと議論になったのは、「五 赤 リンゴ」の原文が"five red apples"であり、通常の英語話者が原文を読んだときには「五つの赤いリンゴ」と読めてしまうのではないか、はたして「五 赤 リンゴ」と訳すのは正しいのだろうかということでした。
ここで議論になっているアウグスティヌスの言語観は、語と対象が一対一対応しているということなので、「五 赤 リンゴ」とそれぞれの語に対応する対象を見つけることで十分に語の使用は可能だとする思考実験を呈示する、そうした文脈だと考えるのが自然かと思います。この文脈をふまえて、訳者は「五 赤 リンゴ」という一見奇妙な訳し方をされているのだと推測されます。
次回は、6月10日(土)22時からです。よろしくお願いいたします。
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