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『アーサー・フレック2』を観た感想

アメコミ原作の映画として初めて、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した衝撃の前作からはや5年。

続編制作決定!ハーレイクイン役にレディー・ガガ!今度はミュージカル?!サブタイトルはフランス語のなんかオシャレな単語!
初めて特報をみた時は気分がぶち上がった。

が、日本に先駆けて公開されたアメリカでは大不評の嵐。
レビューサイト「Rotten Tomatoes」でも批評家、一般客ともに低評価を叩き出すという予想外の事態に。
私としても、映画館に観に行くと事前に決めていた映画の前評判がここまで悪かったことは初めてで、不安を抱きながら劇場へ…。


結論から言うと、世間で言われているほど悪い作品だとは思わないかな、という感じ。
まぁ、もちろん絶賛するような内容でもなかったけども(笑)

本作で最も話題にされるかつ批判の的にもなっているミュージカルシーンだが、ミュージカルそれ自体の存在は邪魔ではなかったかなと思う。
刑務所と法廷を行き来するなかで描ききれない、アーサーとリーの心情やそれが開放される様を表現する役割は果たしていた。

しかし、いくらなんでもフォリ・ア・ドゥしすぎ。
ちょっと隙があればすぐにフォリ・ア・ドゥしてくる。
デイミアン・チャゼルが脚本書いたのかと思った。(チャゼル監督作は好きです。)
ミュージカルやってる間はストーリーが止まるし、監督もミュージカル場面にはさほど重点を置いていないそうで、クオリティが高いわけでもない。
頻度を4分の1くらいにしてくれれば、たまの心情表現として受け入れやすかったかもしれない…。

ストーリーについては、やっぱりこれはジョーカーではなくアーサーという男の話だよなぁと思った。
前作で富裕層を殺してインセルの支持を集め、ジョーカーとして祭り上げれたアーサー。
しかし、今作では裁判や刑務所でその化けの皮をどんどんと剥がされ、アーサーとしての現実に直面させられる。

個人的には、この作品を語る上ではCreepy Nutsの名曲「バレる!」を引用せずにはいられない。

俺を分かってくれと叫び
世に知らしめたばかりに
自分で自分をより自分らしく演じなきゃいけない羽目に
求められてるあの味
でも俺はもうそこにゃ居ない
俺って誰?俺って何?
びびって手も足もでないです!

バレる!
俺にはもう何にもないや
バレる!
いやハナから勘違いだった
バレる!バレる
化けの皮剥がされる

水を得たAll My Haters
手を叩いて指さしてる
ほれ見たことか!笑える

この歌詞がまさに本作そのままじゃないか!と勝手にリンクさせていた。
(アーサーは懐刀も新たな引き出しも無いが…)

ジョーカーとしてゴッサムに降臨し、抑圧されていた民衆の起爆剤にもなり、神の如く崇められたアーサー。
アーサーは自分を支持する民衆やリーとの出会いを経てめちゃくちゃ調子に乗るが、実際に周囲が支持していたのは「ジョーカー」であって「アーサー」ではなかったのだ。

そんなアーサーの姿は『アメイジング・スパイダーマン2』のメインヴィラン「エレクトロ」にも通ずるものがある。

世界に自分の存在を認められたかった男。
紆余曲折あってその願望は叶ったものの、実際のところ民衆が注目しているのは一人間としての自分ではなく、ヴィランとしての自分や自分が仕出かした犯罪。
そちらばかりが独り歩きし、本来の自分のキャパシティに見合わないレベルにまで神格化されてしまう。

アーサーがジョーカーの器ではない、というのは前作今作ともにタイトルバックの場面ではっきり示されているとも思う。

前作のタイトルバックシーン

前作では看板を奪った少年たちにリンチされ、蹲っているところでタイトル。
今作では刑務所の職員に髭剃りで傷付けられ、血は自分で拭けと粗末な扱いを受けたところでタイトル。

私はこれらのタイトルバックから「この作品はこの男の話であり、これが彼の現実、人生の限界値なんだよ」という残酷極まりない事実を突き付けられているように感じた。
タイトルバックでこのメッセージを打ち出している以上、民衆に祭り上げられようが、ハーレイクインが現れて恋仲に発展しようが、結局はあそこに引き戻されると決まっている。

前作からしきりに『That's Life』が挿入歌として使用されるのも「これが現実なんだよ」ということを分かりやすく示しているのだと思う。

賛否両論になって当然の出来ではあると思うし、「ジョーカー」というタイトルである以上はヒース・レジャー版と比べられるのも仕方ない。

しかし、前作の続編としては酷評されるほど悪い映画ではなかったと思う。
そもそも私は前作を「悪のカリスマ・ジョーカーの誕生譚」というより、ゴッサムという街にあるどうしようもない格差と、その底辺にいるアーサーという男の辛く厳しい現実を描いた作品だと捉えていた。
なので、そのテーマを引き継いだ本作は私の期待から逸れておらず、「まぁ続編ならこうなるか」というテンションで受け入れることはできた。

そうであればこそ、タイトルは「ジョーカー」ではなく「アーサー」の方がふさわしいよな…とは思うが。
ジョーカーというワードに惹かれる観客(僕も含め)が大半なのも分かるし、企画を通す上で仕方ないのは分かるんだけども。

結局、この映画はどのようなマインドセットで臨むかで評価が変わるわけだが、ヒース・レジャーのジョーカーとは全く別の人物なので「狡猾で魅力的な悪のカリスマ」を求めてはいけない(-_-;)
あれを求めると酷評することになります…(笑)

個人的には解釈一致という感じの続編で多少擁護したい気持ちだが、根本的な問題として「続編作る意味あった?」というのはあるだろう…。
まぁ特報の期待感、前評判の不穏さ、そしてこの感想まとめと、色々楽しませてもらった作品ではあるので良かったかなと。

リーの存在自体がアーサーの妄想だったんじゃないかとか、その辺の考察はもっと優れた記事や動画を出す人がいると思うのでここでは控えます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!


あ、それとハービー・デント。
あなたは何をしに来られた方なの???

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