【イベントレポート】水野大二郎・津田和俊著『サーキュラーデザイン: 持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス』刊行記念トークイベント
2022年2月2日、かねてよりお世話になっている京都工芸繊維大学KYOTO Design Labの水野大二郎先生が、津田和俊先生と共に『サーキュラーデザイン: 持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス』を刊行されたことを記念し、著者のお二人にDeep Care Labの川地・田島がお話を伺うイベントを開催いたしました。
本記事ではそのイベントレポートをお届けします。
イベント開催概要
開催趣旨
地球環境の持続可能性が危機にある現在、経済活動のあらゆる段階でモノやエネルギー消費を低減する「新しい物質循環」の構築が急がれています。その構築のためのデザインとして注目されているのが書籍のテーマ「サーキュラーデザイン」です。Deep Care Labとしても自分たちの活動との接点を模索している概念ということもあり、今回のイベントでは、書籍の内容や作成の裏話だけでなく、書籍の趣旨におさまりきらなかったサーキュラーデザインに向かう態度や、その先の展望も含めて著者のお二人にお話を伺っていきました。
開催概要
日時|2022年2月2日(水)19:00〜20:30
場所|zoomウェビナー
書籍紹介
『サーキュラーデザイン: 持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス』
著者:水野 大二郎 、津田 和俊出版社 : 学芸出版社
発売日 : 2022/1/28
地球環境の持続可能性が危機にある現在、経済活動のあらゆる段階でモノやエネルギー消費を低減する「新しい物質循環」の構築が急がれる。本書は1)サーキュラーデザイン理論に至る歴史的変遷2)衣食住が抱える課題と取組み・認証・基準3)実践例4)実践の為のガイドとツールを紹介する。個人・企業・組織が行動に移るための手引書。
イベントゲスト・著者紹介
水野 大二郎
1979年生まれ。京都工芸繊維大学KYOTO Design Lab特任教授。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授。ロイヤルカレッジ・オブ・アート修士・博士課程後期修了、芸術博士(ファッションデザイン)。デザインと社会を架橋する実践的研究と批評を行う。監訳に『クリティカル・デザインとはなにか? 問いと物語を構築するためのデザイン理論入門』、著書に『インクルーシブデザイン』(共著)『リアル・アノニマスデザイン』(共著)、編著に『vanitas』等
津田 和俊
1981年生まれ。京都工芸繊維大学 デザイン・建築学系講師、山口情報芸術センター [YCAM] 専門委員(主任研究員)。千葉大学大学院自然科学研究科多様性科学専攻博士後期課程修了、博士(工学)。工学設計や適正技術の教育プログラムや、資源循環やサステイナビリティに関する研究に取り組む。共著に『FABに何が可能か「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考』、監訳に『バイオビルダー 合成生物学をはじめよう』、編著に『SPECULATIONS 人間中心主義のデザインをこえて』等
書籍執筆にかけた想い -単なるハウツー本ではない、まだ世にないサーキュラーデザイン本を-
ーー今日はどうぞよろしくお願いします。最初に書籍のご紹介をお願いします。
水野:これまで世に出てきたサーキュラービジネスやサーキュラーデザインの書籍の多くは、どちらかというと「サーキュラーエコノミーのための実践ガイドブック」のような内容だったと思います。僕たちとしては、過去、特にデザイン研究の系譜の上に現在のサーキュラーデザインがあること。そしてサーキュラーデザインに向き合うためにさまざまなツールがあること。これらをきちんと紹介し、いたずらに不安を煽った上で「こういうことをやればいい」という本にしたくない、という想いがありました。
※書籍の内容については、目次と先生の内容紹介のコメントを合わせてご確認ください。
ーー執筆は大変でしたか?
水野:ウェブサイトの情報はアップデートされやすいので、大変でした。校正中にエレンマッカーサー財団がサイト全体を更新したため、それまで書いた原稿のリンクが全部切れているとわかったときは(私が)切れそうになりながら全部書き直しました(笑)。
また、サステナビリティに関する研究は非常に広範に及び、デザインの研究だけにおさまりません。今回はデザイン研究の観点からまとめる、ということで第1章を書きました。それでも、関連するものも多数見なければ全体を俯瞰できないので、いろいろな既往研究を見るのも手間がかかりました。そういう意味で、面倒な部分はある程度僕らの方でやったので、ぜひ読んでいただいた方には、これを土台にして次に向かってほしいと思います。
津田:僕もまさに踏み台にして欲しいと言おうとしていました。そこそこの厚みもあるので物理的な意味でも(笑)。読者のみなさんと一緒にサーキュラーデザインの階段を登っていけたら、と思っています。
ーー私たちは刊行前に読ませていただいたのですが、先生方のご苦労のお陰でものすごい情報量がまとまっているので、現時点でのサーキュラーデザインを俯瞰して把握できる一冊になっていると感じました。一方で、先生が想いのところでおっしゃっていたように、ハウツー本的にこれさえ読めばサーキュラーデザインできます、とは話が展開されない。それが逆にサーキュラーデザインとは、1つのメソッドで解けるような簡単で単純なものではないんだぞ、というメッセージにもなっているように感じました。
サーキュラーデザインに向かう日本の流れ
ーー先生方のところには色々な企業から相談もあるかと思いますが、日本の産業界の流れを見てもやはりサーキュラーデザインの必要性や潮流はきていると感じますか?
津田:そうですね。この領域は研究としては本当に古くから行われていたものの、研究のままで終わっていた部分も多いと思うんです。でも2015年ぐらいから「サーキュラーエコノミー」ということが盛んに言われ始めて実践を伴う動きが出てきたように感じます。最近では企業活動としてサーキュラリティを高めていくことが本当に切実な要請として出てきていますよね。企業としてはそれが経営にも直結しているし、規制の中でちゃんと要件を満たしていかないとグローバルに経済活動を展開することもできない状態になってきています。日本もこれまで以上に意識していくことが求められつつも、急激な社会の変化に対して企業活動の変容が追いついていない状況なんじゃないかと思います。
水野:僕の専門であるファッションデザインに引き寄せると、ファッション産業は石油産業に次いで環境負荷が高い産業だと現在言われています。欧米を中心に法規制が入ったり、新しい事業活動が出てきている中、日本も対応しないと欧米の市場に入り込めない、ということも明らかになりました。そういった観点から、経産省では僕が座長として「これからのファッションを考える研究会 ~ファッション未来研究会~」 を開催するなどの動きもあります。これまで大学での講義に加え、ファッション業界のメディアに記事が出たり、執筆させてもらったり、NHKに出させてもらったり、講演したりしたことに対してインパクトもあったようです。とにかく、過去数年のあいだに日本でもいろいろな活動が起こりつつあるな、というのが僕の認識です。
環境省が主催してる「migakiba」のようなサーキュラーエコノミー推進のための人材育成事業など、サーキュラーエコノミー実現に向けた中央省庁の動きは活発化しています。これらは必ずしも企業主体の事業活動だけではなく、「地域全体をどうするか」という話にもなるだろうと思います。
ーーなるほど。サービスを提供する企業とサービス受給者という関係だけで捉えるのではなく、地域に生活する生活者がどう循環系の中で活動をしていくか、その視点や新しい活動体も求められていくのかもしれないですね。
必要なのは過去からの積み重ねに学ぶサーキュラーデザイン
ーーそういった取り組みをお伺いすると、サーキュラーデザインがカバーする射程がすごく広いことが感じられる一方で、今回、先生方はあえて書籍の中で「この書籍で書かれていることは限定的である」と触れていますよね。先生方のご経歴を拝見してると製造業系の話にとどめずに、もう少し広い射程を見据えて書籍を書くこともできたのではないかと思いますが、あえて限定的にした意図を教えてください。
水野:まず、グリーンデザイン、エコデザイン、サステナブルデザイン、サステナビリティのためのデザイン(Design for Sustainability)と進化していく流れを見返すと、工業製品中心に発展してきたんですよね。製品デザインに対する研究やアプローチはけっこうな積み上げがあって充実してるんです。この流れを認識して正確に情報を伝えた結果、工業製品の話が多くなってしまったと感じています。
グリーンウォッシュ(実際には環境に十分配慮していない商品やブランドについて、パッケージやPRなどを通じて「エコ」「環境にやさしい」といった誤った印象を与える行為)等について告発型で書くとか、こうした方がいいよと提案型で書くとかもできなくはなかったんですが、現時点でそういう本はもう既に出ているので、同じような本を出してどうする、ということは思いました。
そして、それをやることのリスクの方をすごく津田さんと相談したんです。
どういうことかと言うと、今までやってきたことが忘れ去られて新しい提案だけする、ということになるとエコデザインのときにやってたようなことを、もう1回焼き直してやってるだけに過ぎないと思うんですね。環境負荷を低減する製品をうまく作れました、やったー、みたいなことでは、問題が解決しなかった。だから現状多くの問題を抱えているわけで、同じことを言い直すだけではまずいんじゃないか。そういった問題意識から、少なくとも製品の方のこれまでの研究の積み重ねは踏まえつつ、それでも足りてないことがあった、だから今悩んでいるのはここだ、と書いた方が誠実じゃないかと思ったんです。
だから、書籍を読んで何か物足りないと言われたら物足りないかもしれないです。新しい道はこっちにあって、行き方はこうです、みんなでこっちに行ったら間違い無いです、と言っているようで言ってないので。
津田:そうですよね。自分たちが立ってるところがどういうところなのか、その前提となる文脈を今一度共有することが重要で、ラディカルな社会変革自体を考え直す必要があるという意味合いも込めて作った経緯があります。
――新しいことを考えないといけないときに、ひとっ飛びの未来に飛びつく風潮は世の中的にも大きいですよね。過去の先人たちが何をやってきて、そこで何が明らかになって、何がうまくいかなかったのか、出てきた問題は何なのか、その過去からの連鎖の中で今がある。そこから学んでいくという姿勢で本を書かれているんですね。
水野:みんながハウツーものを欲しいとしても、サーキュラーエコノミーのハウツーはかなり難易度が高くなっている現状もあります。
かつ、この話って俗に言うSDGsの「誰1人取り残さない」優しい路線ではなく、「ラディカルで大規模な変化」、大きな痛みを伴う路線だと思うんですよね。いろんな方法があるけど、現況を大きく変えなきゃいけなくなるわけなので多分どれをやっても痛い。それは大学の教え方も、企業の活動の仕方もそうだし、消費者の行動も変わらないといけない、ということです。痛みを伴うことをやっていくときには、結構慎重になる必要があると思います。よくわからないまま実行して、失敗したときには2倍痛いからです。その意味では、この本で言ってることはラディカルなんですけど、示してるものは非常に手堅い。企業には、無謀な挑戦をする余裕がないこともわかっているつもりです。そこで、よく考えて確実にやれることから積み上げてやっていくために準備運動をしようぜ、という話をこの本でしているんだと思います。
ーーややもすると、サーキュラーデザインも、それこそ「デザイン思考」と同じようにバズワード的に経済界で消費され、それやってればOKでしょという風潮にもなりかねない。そんな簡単じゃない、向き合ってる対象の重大さ、大きさ、複雑さを自覚して相対するべきだ、という心構えを言ってくださったと受け止めました。
これまで見えていなかった「サービスの後ろ側」を見る想像力
水野:物質の循環を考えるときに、これまでは、サービスデザインにおけるLine of visibility(可視化できるライン)の問題があるなと思いました。外食サービスを例にとると、お客さんと対応する従業員くらいまでしか見えなくて、そこから後ろ側、例えばキャベツを持ってきてくれる業者さんや、お肉を確保してくれる業者さんなど後ろにいっぱいいる見えない人たちが感じられなかったんですよね。物質循環を考えてサーキュラーにしましょう、といったときに考えるのは、そういう不可視の物事ばかりです。見える部分、フロントエンドの価値だけ最大化しようとするサービスでは、とてもじゃないけど太刀打ちできない。
さらに、製品を売って、利用者に使ってもらってハッピー!みたいなところまではデザインしていたけれど、その後の飽きた、壊れた、直せない、捨てる、というフェーズまで描こうとすると、従来のデザインの考え方が応用できなくなる。Line of visibilityの先が見えてないから、デザインする側、企業側も「いや、ここから先はうちの責任じゃない。ゴミですよね。地方自治体のルールに従って捨ててください」となっていたと思います。
だから、これまで見えてなかった部分への想像力を、みんなが働かせていく必要があります。その想像力の働かせ方がデザイン思考で言う「ユーザーへの共感」ということだけでは済まないよ、と認識しないといけません。たとえば、回収を専門にしてる人は製造の方へ、製造専門の人は利用者の利用とか廃棄回収の方へ、循環に携わるあらゆる人たちがそれぞれの観点から、お互いのことを考えることが必要です。そのためにはたくさんのことを考えないといけなくなります。考えることができる人もできない人ももちろんいると思いますが、まずは「そういうものなんだ」という理解が進むといいと思います。
書籍には、できる人がどうやってうまく周りをつないであげたらいいか、部分的にちょっとずつでも繋いでいくやり方は書いてあります。この本の利用の仕方も、読者の立ち位置によって読み方が違うものになるかもしれませんね。
ーー見えないものへの想像力が必要という点はDeep Care Labの活動にも繋がります。近代化して工業化する中で、様々なことが分断されて見えなくなってしまいました。そのお陰で享受できている幸せももちろんありますが、私達のまわりにある商品やサービスが目の前にある背後には、ものすごくたくさんの存在がある。さまざまな繋がりの中で自分たちが生きていることにもう少し自覚的になると、Deep Care的なあり方にも、サーキュラーデザインに向かうためのあり方にも繋がるのではないかと感じました。先生方としては、サーキュラーデザインに向かうための個人のあり方やマインドセットはどうあることが望ましいと思いますか?
水野:僕は一言で言うと、スペキュラティブ・ライフサイクル思考だと思います。いわゆるトランジションデザイン的な発想が必要ではないかと。想像力を遥か遠くにまで至らしめるためには、時間、有形・無形物、データ、人間・非人間、今ここにあるものがどこからやってきて、そこから先にどこに行き、また戻ってくるのか。全部含めて考える必要があります。そこに想像力を働かせないといけない。多分自然界のエコシステムになぞらえて考えるだけではなくて、人間の経済活動も考えないといけません。そういう意味でスペキュラティブ・ライフサイクル思考のようなものが必要になるんじゃないかと思っています。
津田:僕もライフサイクル思考はすごく重要だと思っています。ライフサイクルアセスメントといった評価手法は環境マネジメントシステムの国際規格であるISO14000シリーズでも取り入れられて、採用している企業も多くありますが、その基礎にある考え方としてのライフサイクル思考をさまざまな人が身につけ想像力を持つことのインパクトを模索したいです。そこにさらにクリエイティビティも加えていく必要もありますね。
ちなみに今回紹介している事例は、技術革新のある領域に焦点を当てているんです。近年の技術的な新規性があり、規模もある程度スケールしていく可能性を秘めているものを紹介しています。とはいえ一方で、やはり技術ドリブンだけじゃ駄目だということも共通認識としては持ちたいですね。
循環系の中で「消費者」をどう捉えるか
水野:そうそう、書いてたときのことを思い出してきました。
人間の生活の中で生まれる先達からの知恵をうまく使いこなしていく、という文脈もサステナビリティ領域にはあるのですが、今回は意図的に抜いています。特定の原住民の非常にサステナブルな暮らしから学ぶ方法もありますが、そういうのは九大の稲村徳州先生たちがやっておられるからお任せしようと(笑)。
今回執筆を進めていく中で、生態系から学びつつ人間の社会・経済を回していくことを考えるのがやはり重要だと思ったんです。生物圏だと生産者・消費者だけじゃなくて分解者もいるじゃないですか。そういった役割を今の社会の中にどういうふうに位置づけていくのかが結構重要になると思います。
先住民の知恵みたいなことを入れてない背後には、もう1個すごく大きい研究領域を含みきれず、省かざるを得ないな、という判断がありました。何かというと、行動経済学系とかに見られるような、消費者の行動変容からサーキュラーエコノミーをどう実現するかという類の話です。消費者の存在が循環の実現には大変重要です。でも消費社会に飼い慣らされてしまって半世紀、みたいなところもありますし、高度な消費社会の中で捨てるのにもコストがかかる、買う方がまだ安いみたいなところもありますよね。「Design for Circular Behavior」などの論文も見たのですが、「サーキュラーエコノミー実現のためのユーザ行動の変容に関するデザイン戦略」みたいな話でして、どう扱うか悩みました。
津田:僕と水野さんがファブラボのネットワークに参加していることもこの執筆に影響していると思います。消費者ではなく、生産する生活者=プロシューマーとも言われる、作ることに積極的に参加する市民像に関心がある。先ほどのように消費者の行動を誘発する研究はあるんですけど、やっぱりそれはあくまで「消費者」を対象にしていますよね。それを否定してるわけではないのですが、僕たちが消費者にさせられている面も問題だととらえているので、生産者あるいは分解者としての自分たちの役割を創造的に考えていきたい思いがあります。
水野:図解総研さんとどうやってサーキュラーデザインの全体像を図解で描くか検討していたときに、生産者・消費者・分解者の3プレーヤーが出てきてそれぞれの役割を書く案も出たんです。ただ、この本は一体誰に向けて書けばいいんだろう、ということを改めて問い直したとき、消費者からできること、それこそナッジ系の話ももちろんあるんですが、やはり生産する側の課題がまず大きい。ということで生産者側の話を中心に書く方向に収斂していきました。なので、書籍の中では生産者・消費者・分解者と整理はしていないですし、ましてや消費者側は何をしたらいいかを書いている訳でもありません。
津田:明確には書いてはいませんが、やはり主体としては重複してるような気もするんですよね。生活者が生産者でも消費者でもあるし、分解者でもあるような社会の描き方があるんじゃないか、という想いが僕たちの背景にはあるように思います。先ほどおっしゃった通り、分業し過ぎたことの弊害がやっぱりあって、それによって見えなくなってきているものがたくさんある。そういったものに少しでも関わっていきながら想像力を持っていくことが重要なんだと思います。たとえば修理するとかも循環系に参加するきっかけの一つになるのではないかと思いますね。
生産者も消費者も変わらないといけない。そこに楽しさをいかに入れ込めるかを考えたい
ーー今お話を伺って、ケアの話とすごく通じると感じました。何をどういうふうに進めるにしても一定の痛みを伴うという話がありましたが、消費者という固定的な役割から離れるために、自分たちもいろいろな方向に足を動かさないといけないし、そこには何かしらの痛みを伴う変化も必要だと思います。そうやってこれまでの役割が溶け合っていく中で、ケアをみんなで分かち合いながら進んでいく必要があるのだと思います。サーキュラーデザインはケアのエコシステムでもあると感じました。
水野:おっしゃる通りです。「お金を払って楽する」作戦で今まで製品やサービスを享受してきましたが、どうやっても「参加」からは逃れられない状況にあると思います。例えば古紙回収とかでも、家から出て業者に渡す、というアクションはどうしても生まれる。それを面倒くさがっている時点で、痛みは若干生じてることになるわけです。それに対して、例えば「もうこれはやるしかないぞ」「楽しいからやるぞ」っていうカルチャーを作っていけると変わるんじゃないかとは思います。「やらないと駄目だ」みたいな、べき論でいくとどうしても人は動かないです。このあたりが消費者の最大の課題になるんでしょうね。「楽しさ」をどう作るかは、デザイナー側、生産者側、分解者側の役割でもあります。これは今まで製品を売ってさようなら、の関係性の中で合理的・効率的なサービスを追求していたところから、違う要素を追加で考えなきゃいけなくなったということで、結構面倒、痛いところです。
――スタート地点とゴール地点でジャーニーマップを描いていれば終わりだったところを、永遠に続いていく関係性を描かないといけないし、しかもその関係性が人間だけじゃない生態系まで拡張して考えないといけない。今生産者がメインの役割の人たちはその大変さを引き受け、痛みに向き合っていかないといけないんですね。
そして今消費者としての役割を担っている私たちも面倒くささを引き受ける必要がある。楽しく面倒くささを享受するための仕掛けがあるといいですよね。Deep Care Labで痛みやもやもやを抱えながら活動をする中で、「仲間がいること」が仕掛けとして機能するのではないかと感じるようになりました。痛みに1人で向き合うのは大変だし辛い。組織だったとしても1社だけで向き合うのは難しいと思うので、一緒に取り組む人たちを見つけられたらいいんじゃないかと思うんです。先生方は、楽しさの演出や、痛みを引き受けやすくする仕掛けについてのアイデアはありますか?
水野:この話、農業的だなぁと思うんですよね。これまでの、工学的あるいはビジネスマネジメント的な、制御する中で労働に対して対価が支払われるとか、何かインプットしたことに対し明示的なアウトプットが返ってくる領域とは違う。不確定要素が多数ある中で、多分暖かくなるだろうから、土を耕したり、種を蒔いたり、雨が降ったり降らなかったり、水を撒いてみたりする。そうしていろいろなものが出てきたり、出なかったり、何とかして頑張って豊かに実ったり、それを取ってうまい!って食べるみたいな結果になる。今年は美味い、いや去年のほうが美味かった、今回は漬物にしてみよう、やってみたらすごくうまかった、とか、食べきれなかったら周りにあげよう、みたいな話ですよね。農業も工学的になっている部分はたくさんあると思うんですけれども、予測不能な中にも互酬性が存在していて、その営みの中でいろいろとやってみた結果、最後実った!やった!みたいなことで収穫祭がある。何とかクリアできた、やった!楽しい!みたいなことを年に1回やってるってすごい面白いことだなと。個人的にはこれからはそういう農業的な営みがもっと起こるようになるのかもしれないと思っています。
そうやって考えたときに、先ほどの仲間の話は収穫祭に参加したい人たちを募る話だと思うんです。そして、これは実は(過程が)楽しくないからこそ最後の収穫祭が楽しい、となるんじゃないかと思うんですよね。若干ねじれてるとこがある。全部楽しくできたら最高なんだけど、そういう訳にもいかないし、現実味もない。畑を荒らすもぐらを殺すとか嫌ですしね、やっぱり。でもそういうことは自然界では絶対起きちゃうわけです。ミミズと楽しく暮らすだけじゃなくて、時にはもぐらを退治しないといけないときだってある。そういうことも含めて、嫌なこともする。でも最後には、楽しい何かが待っている。それに向けてコミュニティをどう作るかという点では、前近代的なところにもヒントはあるかもしれません。
津田:僕は岡山県新庄村出身で、比較的前近代に近い暮らしをしていたと言えるかもしれません。子どもの頃は五右衛門風呂や汲み取り式の便所でした。だから工学を学びながらも前近代的な暮らしのほうにも戻ってきたことに面白さを感じています。昔ながらの暮らしから学びつつ、一方でバイオテクノロジーや情報技術なども取り入れながら、コントロールできなくて分からないところにも対応しつつ暮らしていく、そんなことができるといいんじゃないでしょうか。いろいろ試してみる、実験してみる、その結果からまた考え直してっていうようなことをやるような感じで。
水野:農家がスチームパンクと出会うみたいな。ぱっと見、前近代的で牧歌的な暮らしをしてるんだけど、よく見たらセンシング技術を応用して土壌微生物とインタラクションしているみたいな。そういう世界観がサーキュラリティには必要なのかもしれないですね。
あなたは何のデザイナーですか?循環系の中で何の役割を担いますか?
ーーここまでお話を聞いてきて、企業としてはどうやらしなきゃいけないことや考えないといけないことが広範囲に広がっていて一筋縄ではいかなさそうだし、消費者として甘んじててもいけなさそうだし、自分はどうしたらいいんだろうと感じておられる方もいらっしゃると思うのですが、そういう方々に対して先生方から最後にメッセージをいただけますか?
水野:エツィオ・マンズィーニが「Everybody designs(みんなデザインする)」と言っていますよね。日常的な実践の中からボトムアップで市民主導でやっていくようなデザインです。参加というのは単純により良いものを消費したらいい、ということだけではなく、場合によってはケアする、メンテナンスする、長寿命のものを丁寧に使う、みたいなことかもしれないし、あるいはもっと脱物質化を図るためにみんなと共有するサービスに参加していくということなのかもしれない。いろいろな形態があり得ます。
一方で生産をしたり分解をしたり、作られたものから新しいものを作り直すような人たちについては、これまで担ってきた役割だけをやるのではなくて横の展開も考えていく必要があるだろうと思います。
さらにもっと大きな話として、例えば先ほどから話している文化に関することだったり、新しい産業のありようとしての非工学的なものも出てきている。そうするとインダストリアルエコロジーのデザインとか、文化のデザインみたいな話にもなっていくんだろうと思います。
暮らしや企業活動や文化など、デザインする対象や役割が様々に複数存在している。あなたはどれですか?というのが、皆さんに問いかけたいことです。あなたはどれで、どれができそうなことですか?どれをやりたいですか?
こういう問いの答えが本を通して自分なりに認知できるといいんじゃないか、と思っています。
津田:この本にサーキュラーデザインの答えがあるかというと、ないんですね。これから本気で社会をアップデートしていかないといけないし、自分たち自身もアップデートしていく必要がある。そのときにこの本が踏み台になればいいなと思っています。なのでここからが始まりです。2020年代のこれからのデザインをみなさんと一緒に考えていけたらと思います。
ーーそうですね。皆さんと引き続き一緒に考えていけたらと思います。先生方、今日はどうもありがとうございました。
おわりに
イベントには平日夜開催にもかかわらず大変たくさんのかたに参加いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
先生方とお話をする中で、サーキュラーデザインに向かう態度として、安易な解を求めずに痛みも引き受け向き合い続けることの必要性を感じました。これは今の役割が生産者であっても消費者であっても変わらない態度だと感じます。
ここからは、消費者側は主体性を持つことや、参加すること、引き受けることが重要になってくるように思います。お金を払って楽をして製品やサービスを享受すればいいという態度が染み付いている私たちには痛みを伴う辛い話ではありますが、だからこそ義務感になりすぎない「楽しい!」や「おいしい!」といった収穫祭的な仕組みを内包した活動が大事になってきそうです。(そう考えると昔ながらの生活や儀式などの生活習慣ってよくわからないものに向き合い続ける仕組みとしてよくできていますね。)
企業、消費者といったこれまでの固定的な立場をこえて、役割がにじんでいく中で自分が何ができるのか、何がしたいのか、何だったら自分はわくわくできそうか、といったことを私たちも引き続き考えていきたいです。
水野先生、津田先生、どうもありがとうございました!
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