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また大阪か!(大阪市内編)

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大阪府内編→ https://note.com/deepannai/m/m64905fc8b8de また大阪か!なんやワレ!文句あんのか! (こちらのマガジンは大阪市内編です…
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#下町

【電波張り紙】JR京橋駅から東へ「城東区蒲生・新喜多」の気が抜けない散歩道【バラック小屋】

大阪の中でも「京橋」と言えば、大阪市内屈指のターミナル駅の一つとしてそれなりの知名度を誇っているはずの場所だ。大阪と京都を結ぶ京街道の起点にあたる昔からの交通の要衝、そして現代では京阪電車とJR線(大阪環状線、片町線)、地下鉄の駅があり、大阪市内から郊外・京都方面へ繋がる電車が発着し、多くの通勤通学客を運んでいる。 …とは言え、京橋駅の改札を出てくると相も変わらぬB級感が漂ってくるのは何故だろうか。少し離れたところに大阪ビジネスパークがあって、オフィス街としての側面もあるは

¥250

重工業地帯アイランド大正区最南端の街「南恩加島・大運橋通」にある激寂れ商店街

沖縄出身者とその子孫が多数暮らす大阪ベイエリアの工業地帯アイランド「大正区」を巡るレポート、前回まではサンクス平尾商店街とその周辺の街並みを見て回ったが、今回はその南隣にある南恩加島地区を見て回る。こちらも同様にウチナー密度の高い下町である。 大正区内の約4キロの区間を南北に貫く「大正通」を通るバスに乗ると、その最も南側にあたるのが南恩加島。「大運橋通」バス停で下車。大正通は大運橋交差点で西に折れ、同じ大正区の離れ島となっている鶴町方面に伸びている。

¥110

【おきナニワん】一等ガチな沖縄タウン「大正区平尾」で喰らう琉球ソウルフードの数々

沖縄出身者とその子孫が多く住む大阪ベイエリアのコアな下町「大正区」の奥地、鉄鋼・船舶関連の大工場がひしめく錆色の工業地帯、誰も見向きもしない都会の中の離れ小島のようなロケーションに、遠く離れた琉球から流れ着いた人々が世代を超えて大阪で育んだ独特の食文化が受け継がれている…ちょっとときめきませんか、そこの貴方? 前回のレポに引き続き、再び大正区南部の平尾地区に点在するガチな沖縄ソウルフードを食わせてくれる店を巡る事にする。こちらはサンクス平尾商店街近く、平尾公園の日常風景でご

¥200

【おきナニワん】本土で最も沖縄に近い街…大正区南部の激寂れアーケード商店街「サンクス平尾」

日本本土最大級の沖縄出身者集住地である「大阪市大正区」のガチなウチナータウンを知るためには、大正区の“先っちょ”でしかないJR大正駅周辺の飲み屋街を訪ね歩くだけでは不十分だ。駅に近く、お誂え向きな佇まいの沖縄酒場が密集するあの界隈は“入門編”でしかない。ガチな“おきナニワん”を堪能するならば、目の前の大正通を往来する路線バスに乗って片道3キロほど離れた区の南部にある平尾地区まで来るべきである。 大正駅前からバスに揺られる事15分。平尾バス停を降りて大正通りを東に入ると、「サ

¥130

【港区】天保山ハーバービレッジ以外は全く見向きもされない港湾労働者の街「大阪港」の街並み

2025年、大阪で55年ぶりの万国博覧会が開催される事が決定し、これまで乱開発のツケで醜態を晒していた大阪市の赤字遺産が林立する大阪ベイエリアに復活の兆しが見えている。大阪市営地下鉄改め“Osaka Metro”中央線がIR誘致や万博会場として整備が予定されている夢洲へ延伸、また京阪は夢洲へのIR誘致が決まった場合、中途半端なままの京阪中之島線を地下鉄九条駅に接続するといった話まで挙がっている。景気ええなあ。 そんな地下鉄中央線は昭和36(1961)年の開業から1997年の

¥140

ガチな沖縄タウン大正区最南端の街「南恩加島」の渋すぎる下町風景とウチナーめし

日本本土最大級の沖縄出身者集住地、大阪ベイエリアの重工業地帯アイランド・大正区の最南端に位置する街「南恩加島」を巡るレポートの続きである。前回は大運橋通バス停そばの二つの商店街を歩いたが… 今度は商店街を外れた周辺の住宅街を見て回る事にする。巨大な鉄鋼工場がひしめく大正区でも最もインダストリアル感ドギツく空気の悪い一画にあって、その街並みはより一層ガチなものとなる。「向こう三軒両隣」的な古い長屋が連なる生活空間は、まさに“昭和”を今に引きずるかのようだ。

¥130

【令和最新版】西成が中国に買われる日…西成区太子・山王の中華カラオケ居酒屋密集地帯「飛田本通商店街」を歩く(2023年版)

“日本で一番治安の悪い街”だの“暴力団の巣”だの“ヤク中ばっかり”だの、常々ろくでもない評判しか聞こえない大阪市西成区のドヤ街・通称「釜ヶ崎」であるが、時代は令和に代わり、そのような評判も過去のものとなりつつあるようだ。 既にコロナ前のインバウンド景気が始まった頃からドヤ街が外国人観光客などのバックパッカーの寝床と化していて、観光客が空気も読まずにヤバイ地域にズカズカ入っていったり、また暴対法の強化で数多く存在していた暴力団事務所が差し押さえられるなどして、ヤクザが街にいら

¥200〜
割引あり

【西成区】激廃れアーケード街・西天下茶屋商店街の奥地にひっそり佇む老舗「おやつコーナー東浦」が最高すぎる

常日頃から“治安が悪い”だとか“魔境”だとか“スラム”だとかケチョンケチョンに言われ続けて、その事に対して完全に住民も慣れっこになっている街「大阪市西成区」が昭和レトロ(←陳腐な表現)の宝庫であるということはよく知られている。その日暮らしの日雇い労働者が集まるドヤ街・釜ヶ崎もすっかり観光客慣れしてしまい、以前のような怖さが薄れ、むしろ余所者の手垢が付きすぎて、一周回って食傷気味になった感もある。 しかしそんなドヤ街からも離れたロケーションにある“にしてん”こと「西天下茶屋商

¥240

【淀川区】JR東西線の超マイナー駅「加島」で降りてモスリン橋までのカグワシイ散歩道を往く【ほぼ尼崎】

大阪市内も全部で24区もあって全ての地域を網羅するのがなかなか大変なのだが、その中でも割と見落としていた感のある地域があった。尼崎と京橋の間を結び、福知山線・学研都市線とそれぞれ直通運転をしているJR東西線で大阪市内の一番西の端っこに位置する街… 大阪市淀川区に所在する「加島駅」で降りてみた。どこやねんそれ?!とリアル大阪人からも突っ込まれそうな勢いのあるドマイナー駅…当の淀川区民ですら“知らない、行った事ない”と言われてしまうほどの影の薄い存在である。尼崎駅の一つ手前にあ

¥290

【梅田の隣】現存する“大阪七墓”の一つ・南浜墓地のある大阪市北区「豊崎」を歩く

大阪の歴史に少しでも詳しい人間であれば恐らく誰もが知っているであろう「大阪七墓」。江戸時代の大坂夏の陣以降、戦乱で荒廃を極めていた街の復興計画として市内に散在していた墓地を集約して当時の市街地の辺縁部に作られた七ヶ所の墓地をいい、近年では再開発中の「うめきた二期」の工事現場で、大阪七墓の一つだった「梅田墓」のものとみられる大量の人骨が出土するなどして、ちょっとした騒ぎになっている。 それで今回やってきたのは梅田のすぐ隣、地下鉄御堂筋線中津駅の近く。どうもこの付近にかつての大

¥290

【地下鉄花園町】“多文化共生”の波をモロに受ける西成区最大のド下町アーケード街「鶴見橋商店街」を歩く

ほとんど下町エリアで覆い尽くされている感のある大阪市内において「大阪の下町らしい商店街を教えて」と漠然とした質問を受けた場合、どこを紹介するか…そう考えると普通は天神橋筋商店街だとか、千林商店街あたりを勧める人が多いように思う。 あと「日本一長いアーケード街は天神橋筋商店街だけど、二番目に長いのはどこ?」と聞かれたら、その答えに窮する人間も決して少なくはないように思う。 そこで大阪DEEP案内は西成区は地下鉄花園町駅近くにある「鶴見橋商店街」を挙げる他ないものと判断する。

¥280

【最寄り駅は阿波座】生コン会館もあるで!大阪開港の地・大阪市西区「川口居留地跡」を歩く

長引くコロナ禍のせいで強制的に“鎖国状態”になってしまい海外旅行も行けない、外国人観光客の受け入れもできない、というのが今の状況なわけだが、せっかく“第5波”の感染拡大が相当に収まって、様々な自粛や規制が解かれて日常生活を取り戻している我が国とは裏腹に、欧米やロシアなどでは未だに感染拡大傾向が続いている。 上記記事の通り、本日11月8日より外国人の入国制限が大幅に緩和されることとなった。あくまで観光客ではなくビジネス関係者と留学生を対象としたものだが、個人的な意見を述べれば

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【家賃崩壊】単身学生アパート多し!南河内の香り漂う大阪市最南端の下町・東住吉区「矢田」を歩く【近鉄南大阪線】

当記事は2017年9月から「大阪DEEP案内」で公開していた大阪市東住吉区矢田地域の街レポ記事を大幅加筆・写真追加の上、note上にで再公開しているものです。 二年続けてコロナ禍で迎える事となった新年度…大学や就職先へ通うために新天地で新生活を始める方々が多い季節だが、一方で大阪府大東市で女子大生が騒音トラブルと思われる理由で隣人に殺害される痛ましい事件が起きるなど、地方からの“おのぼりさん”にとって勝手の分からぬ慣れない“都会暮らし”は危険と隣り合わせである。 京都とは

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【街並み昭和遺産】天王寺から阪和線で一駅、激渋ガード下建築群が連なる「美章園」を歩く

今から76年も前もの第二次世界大戦の終結、その後の貧しい時代を生き抜いて、その生の記憶が残る世代も80代とか90代である。既にこの国においては戦争を知る者の語り部となる人々がこの世から居なくなろうとしている中、そんな世代の人達が終戦後の住宅難極まりない時期に生活をしていた場所の一つが、鉄道の高架下。 そこでは人々が年がら年中、頭の上を電車がガタンゴトンと轟音を立てながら走り抜けていく場所を日常生活の地としていた。平成生まれには想像もつかない環境だろうが、そうした「高架下ハウ

¥220