橋の上で生活することの一つの哲学的考察
1 空耳
「あ」がつく方は今日、東京に入れません。
とラジオ番組『深夜の灯』のアナウンサーが告げた。奇妙なことを言うものだと思った。しんしんと身体の奥まで染み渡ってくるような深い声である。ふざけているとは思えない。
今、ラジオで変なことを言わなかった?
と尋ねようとして黙々と車を走らせている運転手の表情をうかがったが闇にまぎれてよく見えない。空耳だろうか。もしそうならとんでもなく無様だし、頭のおかしな客だと思われるのが落ちだと考え直しそのまま再びシートに身を沈めた。車窓には人気のない深夜の住宅街の夜景が流れていく。白々とした街燈の投げかける明かりがにじんで見えた。疲れているのかもしれない。目を閉じて自分の名前に「あ」という文字が入っていたかどうか考えてみるが幸なことに苗字にも名前にもない。本当に「あ」がついていたら明日は東京都には入れないのだろうか? そんなはずはないだろう。第一、どうやって規制すると言うのだろう。例えば都内に入る全ての交通機関や橋のたもとに臨時の検問所を作って身分証明書を提示させるとしたら膨大な手間と労力がかかる。近隣の県から都内に通勤・通学している人は数百万人にのぼるだろう。真面目にチェックしていたら何日もかかってしまうのに違いない。「あ」のつく人が自己規制するとも思えない。阿部に安藤、有田に相川、荒木、浅井といったありふれた苗字はもちろん、明や篤朗、あゆみ、亜紀、愛子も茜も彩もダメ。こんなことが受け入れられるはずがない。元々都内に住んでいる「あ」の該当者にも出ていけと指示されるのか。それとも自宅にひっそりと篭りその日の終わりまで待機していろとでもいうのだろうか。ともかく「あ」による規制が事実ならば通勤ラッシュが始まる数時間後、大パニックが起きることは間違いない。
目的もよくわからない。メキシコシティではナンバープレートの番号によって市内に入る車の規制をしていると聞いたことがある。月曜日は偶数の車、火曜日は奇数の車、といった具合に台数制限をして渋滞や公害を緩和するとのこと。都内に入る人間を制限するのも混雑を避けるための処方なのだろうか。誰が考え出したのかわからないが今の都知事なら単なる都内への入場規制より、新税を導入することだろう。「あ」のつく人は明日、百円頂戴いたします、こうすればたいした用もないのにやってくる輩は減り仕事で来る人間からは都民のために使える税金ががっぽり取れると言うわけだ。
しかしなぜ「あ」なのだろうか。あいうえお順ならば明日は「い」のつく人が都内に入れないことになる。幸いに自分の名には「い」もない。でもいつかはひっかかるときが出てくる。そのときまで気にせず暮らしていたほうが良いのかもしれない。
この辺ですか、
と運転手に話しかけられ慌てて背を伸ばすともう自宅の前だった。代金を払ったときちらりと様子を盗み見ると思ったより若い真面目そうな男である。ダッシュボードの上の営業許可証を見ると石井恒夫と出ていた。「あ」のつかない彼はとりあえず今日は無事営業できるというわけか。外は冷たい風が吹いていた。急ぎ足で玄関を入ると明かりをつけずに二階に直行し、寝室に行ってすぐに横になった。妻に今、聞いた話をしてみたいと思ったがもう午前二時を回っていて彼女はぐっすりと眠っていた。
翌朝、さっそく妻に「あ」のつく人は都心に入れないらしいよ、と告げたらぽかん、としていた。彼女の名前には「あ」がつくのである。私はそのセンセーショナルな宣託がどのような効果を及ぼすのか試すように、そして幾分思わせぶりな間を持たせ情報を先取りした者の優越感を楽しみつつ、『深夜の灯』だよ、と続ける。
意外にも彼女はあきれた様子でため息をついた。
だいたいあの番組は変なの、パーソナリティが長年、不倫をしていて週刊誌ネタになったし、暴力事件でも訴えられている。信用できないでしょう、
と反撃してくる。
カーラジオから響いていた彼の静かな語り口調を思い出してみた。真面目で落ち着いた感じの声だった。とても不埒な情事に身を窶している男の話し方ではなかった。だが週刊誌によると事実らしい。妻子がありながら三人の女性と交際し、朝はA子と、昼はB美、そして夕方にC恵と毎日のようにホテルへ通い、夜は仕事をして明け方家へ帰るといった生活を繰り返していたらしい。性交のみが人生の喜びだったのか、生きることの支えだったのか、それとも三人の女性の比較を楽しんでいたのか、自分の魅力を確認したかったのか、いずれにせよ五十歳を過ぎたベテラン・アナウンサーのどこにそれほどの精力が貯えられていたのか不思議な気持ちになる。そして一日かけてエネルギーを使い果たした後だからこそあの渋い、品の良い声が出せたとでも言うのだろうか。スキャンダルがあって発言がおかしくなっていたのかもしれない。しかしだからと言って彼の口にしたことが全て出鱈目とは限らない。妻もそんな風に悟ったのかさも関心なさげにパンをちぎっていたが、
どうやって「あ」がつくのかどうか調べるの?
と尋ねてきた。ネットで検索してみたが該当する情報は何もない。むしろ私が知りたいくらいだ。
きっと高速道路のETCみたいなゲートを作ったのね。でもあれは怖いの。空港のゲートと同じ。飛行機に乗る前に頭を洗ってはダメなの知っていた? 空港の金属探知機から頭に高圧電気が落ちて死んじゃうのよ。最近は物騒な世の中になってテロ対策とか厳しいでしょう? 電圧が高くなっているのよ。そんなバカな、と思うでしょう。確かテレビドラマで見たのだけど、双子の料理研究家がいて片方がもう片方を厄介払いしたくなるの。お風呂に入っているときを見計らって、思い知れ! とか言ってキッチンから持ってきた電動泡だて器をコンセントに差し込んでスイッチを入れたままドボンってバスタブに投げ込むの。アメリカの人ってバスタブを泡だらけにして浸かっているでしょう。裸のまま飛び出そうとした相棒は泡だらけになってのた打ちまわり感電死するのよ。家庭の電源でもあんなに痺れちゃうのだからまして空港の探知機なんて直撃されたら即死。ゴルフ場で雷に打たれるようなものよ。かなりの電圧が必要なはず。でも、もしかすると機械で透視されることにある種の快感を覚える人もいるかもしれないね。全身スクリーニング、ってなんだかエロいじゃない。生身の人間に審査されたら不愉快だけどさ、機械だとゲームをみたいでいいかも、
そんな風にまくし立てると、じゃあどうなるか行ってみる、と出かけた。
不安におののきながらもあとを追うようにして家を出た。駅まで早足でたどり着くが前の電車に乗ったのか既に彼女の姿はない。家から都内に入るまでは電車でも自動車でも二十分ほどである。いずれにせよ多摩川にかかる橋を渡ることになるのだがそんな検問が設けられている気配はなかった。いつもの習慣で遅刻ぎりぎりに会社に滑り込む。机の上に積んであった書類を片付け、メールを開いて急ぎの用件を済ませる。一段落してコーヒーを飲んでいるとホワイトボードの名札が目に入った。部長の名札の下にある阿部が赤札だ。デスクの女性に阿部はどうした? と聞くとまだ来ていない、と言う。今のところ欠勤の連絡もないそうだ。立ち寄りで遅れることも多い職場なのでたまたまなのかも知れないが気になった。注意して時折見ていたが、昼になっても彼は姿を現さず、夕方取引先で打ち合わせを済ませて社に戻った時も彼の席はがらんとしていた。ついにそのまま阿部は出社しなかったのだ。嫌な感じが高まってくる。
夜になって家に帰ると妻の姿はなかった。携帯電話は留守番になっている。メールやSNSも返事が来ない。仕方なく冷凍食品のうどんのパックを空けてテレビのニュースを見ながら一人で食べていた。電話がかかってきたのは真夜中近くだった。
言っていなかったけど、この前シチューを作っていたとき電話を鍋の中に落としちゃったのよね。あっと思ったらもうお肉やジャガイモと一緒に赤ワインで煮込まれていたの。菜箸で取り出したけどパネルは真っ黒になって、慌ててハンカチで水分を拭いて乾かしてみたら一応電源は入るのだけど意味不明な文字しか出ないしすぐに切れちゃった。近くのドコモショップに持っていったらあっさりと修理は出来ませんので機種変更をしてください、って言われたの。内部の情報は新しい電話機に移しますから、だって。半信半疑だったけど新しい電話を受け取ってさっそくメモリーを呼び出してみると確かにアドレスが九十件くらいは入っているの。これぞ不幸中の幸いと思ってよく見てびっくり、まったく知らない名前なのよ。慌ててカウンターに戻ってメモリーの中身が違うようですけど、って伝えると受付の若い女の子は首を傾げてからついたての向こう側に消えてしばらくたってから戻ってきて確かにお客様の携帯電話から移したのですが元の電話のメモリーがもうダメになっていてわかりませんだって、そんなのひどいわよね。どういうことなのかしら。それはともかく、そういうわけであなたの葉アドレスや番号もなかなかきちんと思い出せなくて、かけられなかったのよ。とにかくすごい混雑で今、やっと多摩川橋のゲートを通って川を渡るところ。なんだか知らないけどスマホも没収されるみたいだからしばらく連絡が取れなくなるかも。橋に足止めされるらしいのよ。明日は帰れますか? って聞いたらわからない、って。ああ、もうダメみたい。スマホを取られちゃうわ。
そこで彼女の連絡は途絶えた。
とんでもない事態が起こっているような気がしてテレビで何か言わないかとニュースを見ていたが橋に関する情報はなかった。ネット上でも特段、騒いでいる気配はない。大した混乱ではないのか、反対に当局が秘匿しなくてはいけないくらい重大な事件なのかどちらかだ。前者であることを祈りつつ十二時を過ぎたところで家ではめったに聞かないラジオをクローゼットの奥のほうから探し出してきてかけてみた。『深夜の灯』が始まると日本各地のリスナーからの手紙が次々と紹介される。深夜や早朝、眠れなくてラジオの音に耳を傾けている孤独なお年寄りの投書が多い。
昨日、夜中にどうしてもおなかが減って、冷蔵庫の中を見てみたら空なのです。一階に住んでいる息子と嫁の家族は寝静まっていて朝まで我慢しようと一旦はあきらめたのですが午前三時過ぎにどうしても耐えられなくて近くのコンビニエンスストアまで出かけました。わたしは七十歳の頃に足と腰を痛めています上、そんな時間に年寄りが一人で夜歩きするのはどうかと心配いたしましたが車も人もいないのでかえって昼間よりスムースに十五分ほどでつきました。即席の鍋焼きうどんを買うと店員さんは思いのほか親切で作り方を教えてくれました。帰りがけ、ご近所のお庭の寒椿が闇の中で咲いているのにハッと打たれました。足を止めて見ると暗いのでよくわかりませんがあたりの他の木々はすっかり枯れてしまっているのに椿だけは薄い黄色の見事な花をいくつも咲かせているではありませんか。ここ数年、もう自分はいつ死んでもおかしくないと無為な日々をおくっていますが、この花はそんなわたしを励まそうとしているかのように感じられました。冷たい空気の中で張り詰めたような花椿の姿に突然涙が溢れてしまいました。どうか年寄りの感傷とお笑いください。ですが深夜の散歩は病みつきになりそうです。
アナウンサーはたっぷりと間を取った。闇が深まるような重たい沈黙だった。そして、深夜の散歩がもたらした小さな発見、心に響きます、どうか椿のようにお元気で過ごしてください、と締めくくる。いつものように淡々とした「時」がスピーカーから流れている。だが橋に関する情報はここにもなかった。
午前一時を過ぎていた。眠ろうとしたが寝つけない。身体はだるいのだが目の上がずきずきするようで頭は冴えている。思い切って上着とコートを羽織ると地下の駐車場に下り車のエンジンをかけた。確かめに行くのならばわずか二十分なのだ。すべてが自分の妄想なのか、妻が私をからかっているのか、それともニュースで発表できないようなスキャンダルが発生しているのか多摩川まで行ってこの目で見れば良いわけだ。もう古びてしまった小型のワゴン車はどこかでかたかた不安定な音を立てているが気にせずアクセルを踏み込んで深夜の国道を突っ走った。妻はなぜ電車ではなく国道の通っている多摩川橋を渡ろうとしたのだろうか。そんな疑問を頭の隅で繰り返していると
多摩川橋 通行止め 迂回せよ
という表示が目に飛び込んできた。心臓がきゅっと締め上げられるような感じがした。やはり何かあるのだ。国道に掲げられた電光表示が伝える警告を無視してまっすぐ橋に向かって行くとしばらくして赤い点滅が幾つも前方に見えてきた。無数の車がその前で停車している。誘蛾灯に群がる昆虫のようだった。仕方なくその列に連なり、のろのろと渋滞した車の列と一緒にそのまま誘導されて右のほうへ寄せられて行く。そこにも「通行止め」と書かれた電光表示の看板が幾つも並べられ、パトカーが横に並んで国道をふさいでいるのが見える。まだ河原まで一キロ以上あるので橋の姿は見えない。上り線の車は一車線に絞られて旧道に繋がる細い通路に流れ込んでいた。旧道は電車の駅の前を通り商店街を抜けるので幾つもの信号を経なければならず少しでも車の量が増えると途端に渋滞してしまう。十五分ほど渋滞に付き合った挙句、たまりかねて商店街の中ほどで見つけたコインパーキングに車を突っ込んだ。そして身を切るような寒さの中、徒歩で河原へ向かった。土手に出ると視界が開ける。
月が出ていた。
冬の空気は澄んでいて見上げると星の輝きが宝石のようにクリアに輝いている。暗闇に沈んだ川の対岸に東京の街の明かりがぴかぴかと艶やかに連なっていた。橋は巨大なシルエットとなって聳えている。近づくにつれて入り口に行列が出来ているのが見えてきた。数千人と思われる群衆が列を作っている。中には割り込もうとして川べりの塀によじ登ったり、様子をうかがおうと列にはつかずうろついている者もいる。
どういうことだ!
という罵声や、
あたしなんかもう三時間もこうしてここにいるの、
などという嘆きが聞こえて絶望的だった。こんな行列に連なるのは気が重い。寒い中いつとも知れず待たされるのはごめんだ。踵を返すと川沿いに並ぶラブホテルの裏の細い路地に入り込み遠回りしつつも少しでも橋に近づこうと足を速めた。土地勘がないので何度か迷いそうになったが気がつくと先ほどまで自分が走っていた国道へ出た。片側三車線の広い道路は後方で止められているので車は一台も居ない。ナトリウム灯のオレンジ色の光がアスファルトにまだら模様を作っていた。意外とあっさりと道は開けた。警官の姿はないかとあたりの様子をうかがったが国道に侵入した自分を見咎める者もなく、妙な気分ですたすたと下り線を橋へと向かう。一度でいいから道路の中央で寝てみたかった、と泥酔して深夜の国道のど真ん中で大の字になってしまった友人が居て、もう一人の仲間は、俺は小便がしてみたかった、とやはりセンターラインの上を歩きながら放尿していた、あれは大学生の頃だったろうか。そんなことを思い出しつつ歩いていると次第に道は緩やかなのぼり坂になり橋が近づいて来た。自動車道はそのまま橋に上がれるようになっている。歩道は河原の橋げたのところに階段がありそこから階段を上がるようになっている。おそらくその階段が狭くて行列が出来てしまったのだろう。車の進入路からアプローチして大正解だった。世の中往々にしてこういう事がある。困難だと思われることがほんの少し考え方を変えるだけであっさりと解決する。他の人が何時間も待つことがたった数分で済んだのだ。大きな優越感を覚える。飛行機でもコンピューターでも商品の納品でも一秒でも早いほうが喜ばれる。今の世の中、一番高くつくのは時間ということになる。結果としてもたらされる自由な時間を有意義に使うかどうかは別問題だか、ビジネス戦略でも個人の生活でもとにかくスピードが大切だ。思いついたらすぐやる、それが私のポリシーだ。だからこうして直接橋に来たわけだ。やや足が疲れ襟元に当たる風が強くなってきたな、と思っていると見慣れない建物が見えてきた。これが妻の言っていたゲートなのだろうか。手前側には高さ三メートルほどの高い鉄製の格子状の柵があり閉じられてはいるが真ん中が門になっていた。背後に聳える建物はヨーロッパの城のようなゴシック建築様式の重厚な概観でとても昨日今日で作られたものには見えない。テーマパークのように張りぼての構造物なのだろうか。人の姿はなかったが門の前に数台の車が固まっていた。よく見るとどれも黒焦げだ。いったいここで何があったのだろうか? 一番先頭の車は門の格子に突っ込んでフロントがめちゃくちゃに壊れている。ボンネットのまくれあがったエンジンルームからはまだちろちろと炎が漏れていた。危険を感じて車から遠のいたが、窓の中に黒焦げとなった人体と思しき影を認めてぎょっとした。これは事故なのだろうか。誰もいないということはどういうことなのか。全身を貫くような不安を感じてあたりを見回した。どう見ても尋常な事態ではない。戦場のような荒廃した気配が漂っている。これは宇宙人の来襲では? 新型バイオ兵器の暴発か! 国際テロ組織の陰謀? そんなことを考えるのは動画を見すぎた男の過剰な反応か? これ以上進むのは危険かもしれないと思いつつも柵に入り口がないか探ってみる。橋の幅は優に数十メートルはある。右側の端に詰め所のような小さな建物があるので恐る恐る近づいて行った。窓から覗き込むと中には明かりが灯っていたが人影はない。ストーブの上にやかんが置いてあって湯気が出ている。誰かがついさっきまで居たことは確かだ。ノートが開かれてその上にはペンや定規など文房具が散乱している。慌てて出かけたのに違いない。裏側についている扉は開けはなれたままだった。小屋の背後に回り込むと柵に小さな鉄扉がついていたので押してみる。かなり重たかったが扉は音もなく開いた。
背をかがめてゲートの領域に進入する。
もし危険が迫ったらこの先にあるはずの歩道側の階段から脱出しようと考えていた。しかし目の前に開けた光景はさらに慄然とするものだった。門の先の道路は、陸続きの国同士の国境で見かけるような赤と白のまだらなバーで遮断されておりそこだけ白い水銀灯で照らし出されていた。両側には白く塗られた小屋が一軒ずつ建っている。人の姿は見当たらないがそこを通過するには余程の勇気が居る。なるべく目立たぬように道の際をゆっくりとバーのほうへ近づいた。もうあと数メートルというところまで来て私は小屋の窓からこちらをうかがっている男と突然視線が合ってしまった。警察官のような帽子を阿弥陀に被った年配の男だった。先ほどまで誰も居ないように見えたのだがどこからか姿を現したのだ。見つかってしまっては仕方あるまい、と意を決した。
バーの脇に設けられた受付のような窓で男は肘をつき乗り出すようにして待ち受けている。頬はたるみあごは二段の脂ぎった顔の小太りの男はまったく表情を浮かべていない。やや茶色味を帯びて濁った瞳でじっとこちらを見つめている。お前は何者か? という尋問を受けているようだった。てっきり男のほうから何か言ってくるものと思った。そしてその緊張が次第に高まり私の足が丁度男の前に差し掛かったときそれは頂点に達した。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
男が視線をはずしたのだ。同時に私はバーの横をするりと通り抜けていた。何か言おうと開きかけた唇には言葉が残骸となってまといついている。心臓の鼓動が早くなっているのがわかった。オルフェウスのように後ろをふり返ったら災悪が降りかかるのではないかと恐れ、そのまま足を速める。気がつくとあの巨大な建築物の前にたどり着いていた。そこまで来てようやく先ほどのバーのあたりを振り返ると男は小屋の中に戻っているようで肩の力が抜けた。
2 矢印屋
なぜか見逃された。いや、無視された。
理由は不明だが結果、問題ないのだから忘れよう。こけおどしめいた石の建物は触ってみると本物の石を使っているような重く冷たい感触である。妻はこの先にいるのだろうか。道は巨大な木の扉のついた入り口を潜り抜け橋へと伸びていた。扉は開いているが内部は明かりがほとんどなく闇に沈んでいる。石の壁を伝って入って行くとぼんやりとした反映がどこからともなく漏れていて次第に目が慣れてくるとトンネルのような通路の輪郭が見えてきた。自分の足音だけが石造りの天井に反響している。どうやら明かりは左手にあるアーチ型の入り口から漏れているようだった。覗いてみるとすぐに昇り階段になっていて上のほうから光は伝わってきている。わき道にそれるのもどうかと思いしばらく進むと突然、
そっちに行っても行き止まりですよ、
という声がした。ふり返ると先ほど覗いた階段のところに人影が立っている。その人はゆっくりとおいでおいで、という動作をした。
ご案内しましょう、
囁くような柔らかな、低めの女性の声だったのでついていく気になったのかもしれない。こちらの警戒心を解くような落ち着きがあった。彼女はアメリカ製の小さな懐中電灯で鋭い光の輪を作り、足元を照らしてくれた。そしてロングスカートの裾を揺らしてゆっくりと階段を上がっていく。後ろから見ると背の高い女で長い髪は豊かで艶やかに輝いていた。普通の建物では数フロア分だろうか、結構昇ったなと息を切らせていると、明るいリビングのような部屋に入った。
お疲れになりましたか?
と女は私にソファを指し示した。鼻筋の通ったエキゾチックな感じの美人だった。目元にその年齢が最も顕著に表れている。人生の疲れのようなものが感じられるような、しかし決して醜くはないむしろ好感を持って受け入れられる皺が刻み込まれていた。頬は高くうりざね型の輪郭と細くしっかりとした顎は知性と品格を感じさせた。言われるがままにソファに腰をおろしていると飲み物の盆を持った彼女と共に恰幅のいい顎髭を蓄えた男が登場した。趣味のいい細いストライプのシャツにベージュのチョッキを着込み茶色のコーデュロイのボトムスをはいている。ラフな格好だがやはり知識階級の人間ではないかと思わせる穏やかさがあった。慌てて立ち上がりかけた私を制し、
どうもこんばんは、
と腰をおろす。午前二時を過ぎて突然押しかけておいてこんばんはでは済まないだろうと思っているといきなり、
橋に住みたいのですか?
と尋ねてくる。それは西洋人が儀礼的に初対面の人間にも見せるような作り笑い、決して不愉快でもないし、適当に答えればいいとわかっているが我々はそれを前にしてつい戸惑ってしまいがちで時としては極端に愛想よく答えて恥ずかしい思いをしたり、反対に無表情で答えを返して相手に失礼な奴だと思われたのではないかと心配になってしまったりするような、あの微笑だった。
いいえ、妻を捜しに来たのです、
と答えると、
そうですかそれは残念ですね、ここは結構住み心地が良いのですよ、
と言いながら女がテーブルに並べたコーヒーを勧めた。湯気の漂っているカップの香ばしさに心が和んだ。奥には小さな薪ストーブが置いてあり、小窓からちらちらと炎が揺れているのが見える。考えてみれば車を降りてから小一時間冷たい屋外をさ迷い歩いていたことになり、かじかんでいた身体の節々が次第に温まってリラックスした気分になってきた。
まあ今の時代に橋に住みたいなどと言い出したらいったい何のことを言っているのやら理解してもらえなくても仕方ないと諦めなくてはならないかもしれないですな、
と男はコーヒーを飲みながら続ける。
でも歴史的には橋の上に多くの人住んでいたことがあるのですよ。「橋の下」なら知っているという方もいらっしゃるだろう。家を持たずに暮らす人々のことを指すこの言葉はときに差別的な意味合いさえ持ちます。現代の都会では水の傍は居心地が良いイメージがありますがもともとは高貴な人間の住む場所ではなかった。「河原者」、「河原こじき」は役者を意味しますが貧しくて河原に住んでいたところからそんな風に呼ばれるようになったらしいですね。鴨長明の『方丈記』を開けば鴨川の河原に累々と積み重なる死体の克明な描写にぶち当たります。なぜ彼がそんなに死体にこだわったのかは別として、河原という場所は人が死体を捨てに来るところであり、火葬場もあったのです。水は幽霊にもつきものです。タクシーの運転手が橋のたもとで女の人を乗せ、しばらく走ってからバックミラーを見ると後部座席には誰も居ない、おやっと思い車を止めて確かめるとシートの上に水溜りだけが残されていた、というあれですよ。
住めば都とはよく言ったものでしょう。いわゆる『家』でなくても船やキャンピングカーに暮らす人も居るし、洞窟や地下壕、木の幹にくりぬかれた穴といった自然の隠れ家もある。変わったところでは樽の中で暮らしたギリシャの哲学者ディオゲネスなんていうのもご存知ではないですか。しかし橋の上に暮らすという発想は日本にはないのです。そうそう、この本を見てください、
と男は壁に作りつけられた本棚のほうへ向かった。白木の棚が何段にもわたって壁一面を埋め尽くしていてびっしりと本がつまっている。彼が取り出して渡してくれた本は建築学の叢書らしく、『橋・橋梁』というタイトルである。開いて指し示されたところにはこんなことが書いてある。
人間はさまざまなところに住んできましたが、橋の上にも家を建てて暮らしていました。これを家橋といいます。
中世ヨーロッパでは橋の上に建物を作るのはごく当たり前のことでした。礼拝堂であったり、城門であったり戦闘のための見張り台であったりさらには住宅や商店であったりしました。こうした家橋のいくつかは現在も残っています。例えばドイツのバート・クロイツナッハにあるナーヘ橋は十三世紀に作られた家橋です。橋詰には教会が建ち橋上には三軒の店舗が残っています。記録に拠ればこの三軒ももとは教会関係者の住まいだったようです。
添えられている写真を見ると橋を支える橋脚の上に確かに家が建っている。橋の上に家を建てたというより、三軒の家を橋がつないでいるといった風情である。こうなると貧乏人が風雨を避けて仕方なしに「橋の下」に暮らす、というのとは意味が異なってくる。あきらかに意図を持って家を建てているのだ。それもただそこに住みたいという普通の目的のためだけではない。
そうなのです、
と男は顎髭をしごきながら次のページを指し示した。そこにはフィレンツェの有名なポンテ・ヴェッキオの透視図が描かれていた。
橋は交通の要所なわけだから当然、毎日大勢の人間が通ります。そこに目をつけ最初に建物を作ったのは商人たちだったわけです。日本ではなんでこういう橋がないのかという疑問が湧いてきませんか? 神社の境内や庭園などに屋根のついた橋がないことはないですが、そこで商いをしたり住み着いたりという発想は現れませんでした。緩やかで大きな河川は少なく急流にかかる木の橋は家を建てるには危険だったからかもしれませんね。ヨーロッパの川は流れているかどうか分からないくらい緩やかで、しかもそこに架けられているのは石造りの頑丈な橋です。このフィレンツェのポンテ・ヴェッキオは千三百四十五年、日本でいうなら鎌倉時代に造られて今も健在です。世界中から観光客が押し寄せるメディチ家の古都は町自体が博物館のようなもので、「古い-橋」という名のこの橋を渡ろうとするならば金銀細工の無数のみやげ物店に目を奪われないようにご注意、ですな。ほとんどは価値のないガラクタを高い値で売りつけられますよ。そして怪しげな商人たちのまくし立てる勧誘の言葉を振り切るのが大変です。作られた当初は肉屋が並ぶアーケード街でした。その上に空中廊下を作らせたのがコジモ一世です。暗殺を恐れた彼が居城のヴェッキオ宮殿から毎週礼拝に赴くピッティ宮殿までの安全な通路を確保することが目的だったのです。建設したヴァザーリの名にちなんでヴァザーリの回廊と呼ばれています。そのあと手狭になった橋は木の張り出し部をつけて幅を拡張され、店が更に川の上にはみ出るような形で作られています。今も見ることが出来ますね。第二次世界大戦の時にはアルノ川にかかるすべての橋を敗走中のナチス・ドイツが無残にも爆破したのですが、ポンテ・ヴェッキオだけは直前にケッセルリンク元帥の命令で直接的な破壊を免れました。しかし橋につながる空中回廊部分は敵の進入を防ぐため全て破壊され永遠に失われたのです。
歴史に残る家橋といえばやはりロンドン橋ですよ。今は普通の平たい橋ですがこれは十九世紀のものでそれ以前の古い橋は五階建て以上の高さがあり百三十一軒、七百人もの人が住み着いていたという記録もあります。一階は店で二階より上は住居、最上階が寝室で通路の両側の建物が上の方でつながりトンネル状になっていたらしいです。ゴミや汚物は直接川へ落ちるようになっていて衛生状態の良くない中世ではこれは当たり前でした。それにここに店を構えるのは一種のステイタスでもあったのです。橋自体が一つの街、コミューンだったのですね。どうです? 驚かれましたか。こうして見ると橋に住むことがそれほど奇異なことでもないのがわかっていただけたのではないでしょうか。
ところであなたが探しているその奥さんも橋に住みたがっているのではないですか?
そう問われてびっくりした。そんなはずはない。しかし絶対そうではないという保証もない。返答に窮していると髭の男と女は顔を見合わせてなにやら肯いている。そして妻を探すのなら橋に新しく入った人が集まる場所へ案内すると言い出した。女は再び懐中電灯のスイッチを入れる。私は髭の男に礼を述べ、握手を交わすと入ってきたときとは違うドアを示されて外へ出た。コーヒーと暖かいストーブの傍らがやや名残惜しくもあったがそんなことを言っている場合でもない。ドアの外は細い廊下になっていてしばらく行くと玄関扉があり、外はどうやらトンネルのような先ほどの通路の天上部分に接続しているようだった。女の照らし出す光の輪が小さく絞られていてあたりの様子はおぼろげにしか見えないのだが左側に廻らされた鉄製の手すりの下に深く暗い穴がありかび臭い匂いが立ち昇っていた。先のほうには明るいところがありネオンサインのようにちかちか点滅している。
あそこです、
女は指差しながら呟く。GRANGEというアルファベットが読める。店名のようだった。微かに音楽が聞こえてくる。通路は店の上でカーヴしていて石造りの壁に大きな看板が張り出していた。女が看板の横にあるガラス扉を押し開くとジャズの演奏が聞こえてきて、フルートがアドリブっぽい旋律を奏でているのが耳に入る。目の前に大きな明るい空間が開け、下のフロアでは大勢の人がたむろしていてテーブルで食事をしたり、カウンターで酒を飲んだり、ソファ席で談笑したりと思い思いに寛いでいる。店内を見下ろしている私の足元に小さなステージがあってそこに生バンドが入っていた。何組かのカップルが物憂げに踊っている。どこかに妻の顔がないかと目を凝らしてみたが余りに大勢の人がいてすぐにはとても見つけられない。女も足を止めて誰かを探しているようだった。そして彼女の視線が止まったほうを見るとそちらからも矢のような鋭い視線がこちらへ飛んできたのを感じた。ホールの上から侵入してきょろきょろしている私たちに誰も気づいてすらいないのにその男だけは白い顔をこっちにはっきりと向けているようだった。青い壁紙を巡らしたボックス席の中で、何人かの男女が腰をおろしている、その中の一人だ。女は私の顔を見るとついて来い、というように先に進み、店の奥にある螺旋階段を伝わって混雑した店内に下りる。男はボックス席にふんぞり返って待ち受けていた。丁度照明が当たるところに座っているせいもあるかもしれないがやけに白い顔に見える。額が広く秀でていて賢そうではあるが薄い唇には冷酷そうな表情を浮かべ、目元は暗く影っていながら瞳は緑っぽく輝いていて爬虫類を思わせた。服装は一分の隙もなく上品なねずみ色の三つ揃いで固めている。好感の持てるタイプではない。
久しぶりだね、そいつは新しい彼氏かな?
尊大な態度で女に憎まれ口を叩くが、慣れているのか、女はひるむこともなく私が妻を捜して迷い込んできたことを伝えた。そして妻の特徴を説明するように、と指示する。左の眉毛を軽く上げて話を聞いていた男はポケットから鰐皮の巨大なシステム手帳を取り出すと名刺を取り出した。明朝体の特徴のない活字で
矢印屋
と書かれている。それを合図に女は、ではわたしは、と身を引き、案内の礼を言う間もなくいそいそと立ち去った。突然、怪しい男と取り残されて不安だったが彼は再びソファに腰をおろすと、暢気に酒など飲みだしてあなたもどうですか、と自分が飲んでいた瓶ビールを目の前に置かれたグラスに注ごうとする。結構です、と断ると、この店は気に入ったかい、GRANGEというのはねえ、オーストラリアの超高級ワインの名前からとったらしいのだがもともとは豪農の屋敷という意味でここの雰囲気にぴったりだろう、ビールが嫌ならワインやウイスキー、カクテルとかなんでもあるよ、とメニューを差し出す。そして、おっと、その前にスマホを貰っておこうかな、と手を差し出した。知っているだろう、ここでは携帯電話は禁止なのさ。なぜかだって? あんた嘆きの壁を知っているだろう。エルサレムにあるユダヤ人の聖地だよ。あそこでは電話詣がまかり通っている。なにせニューヨークのペントハウスに居ようが、パリのホテル・リッツに居ようがエルサレムの親戚か友人に頼んで壁の前に行ってもらい電話一本で直接神聖なお祈りが出来るって言うわけ。みんな壁にこつんと頭をくっつけてお祈りしているだろう、それと同時に手にもった携帯電話もこちこちと壁に当てるわけさ。そのうちメッカとかバチカンでも電話詣でが流行るだろうな。もちろん靖国神社や西本願寺も同じさ。腹が立つのだよ。そんなこと許してはいかんと思うだろう、だから先にここでは禁止したのだ! わかるよな!
急に興奮しだした男の剣幕に仕方なくポケットからスマホを取り出し差し出した。
そうだ、それでいいのだ、
と打って変わって優しい調子の男の声にボックス内のほかの客も身を乗り出してこちらをのぞきこんでくる。彼らの目には明らかに羨望の色があるのに気がついた。店の照明にキラリと輝いたスマホは日頃見慣れているはずなのにまったく異なった優美な機械のように思えて思わず一旦差し出した手を引っ込めそうになったが、男はひったくるようにして奪うと通りかがった黒服のボーイに素早く渡した。ボーイが盆の上にスマホを載せて足早に立ち去ると客たちの間から微かなため息が漏れていた。理由もわからないまま何か取り返しのつかないことをしてしまったような喪失を感じていた。矢印屋と名乗る男は、
奥さんを探しているなんて中々上手だね、
などとわけのわからないことを言い出す。
とぼけても俺の目は誤魔化せないよ。本当は橋の上で暮らしたいのだろう。最初はみんな照れがあって正直に言い出せない。まあいいさ。でももう潮時だ。この道のベテランが言っているのだから大丈夫だよ。本当は逃げ込んできたのだろう。何から逃げているのか言う必要はない。ただそれを認めればいいのさ。人それぞれ事情がある。詮索したがる輩も居る。俺はそれが嫌いだ。ルール違反だよ、そんなのは。黙って認める、それでいい、橋の上で暮らすとはそういうことだ。
男の食い入るような視線にたじろぎながらも、矢印屋っていうのは何ですか? と辛うじて質問を返した。
文字通り矢印を商売とする人間のことだよ。
彼はそう言いながら突然ポケットから三十センチくらいの筒のようなものを取り出した。何をするのかと思いきや、たあっ、という絶叫と共に椅子の上に躍り上がり自分の座っている後ろの壁にその筒を叩きつけるように動かす。すると長さ一メートルはあるかと思う黒々とした矢印がそこに出現した。筒に見えたのはインクを噴出すスプレーのような道具だった。
これでわかっただろう、こうやって世の中の方向付けをするのが俺の仕事なのだ。経験あるだろう、ああしようかこうしようか悩んで結論が出せない、そんなときみんながどっちに進むべきなのか俺が指し示す。簡単なことだ。自分で決めようとするからわらなくなる、俺が決めれば一発で即OKだ。あんたのことだってそうだよ、いつまでも自分に言い訳していないでさっぱりする、それが一番だ。
そう言われて、頭がますます混乱していた。誤解されているということは間違いない。しかしそのことをこの男に説明するべきかどうかは別問題だ。酔っているのかもしれないし頭がおかしいのかもしれない。変な矢印など吹きかけられたら厄介だ。機嫌を損ねたらトラブルになりそうでもある。やはり適当にあしらって退散したほうが良さそうだ。どうしたらうまくこの席を離れられるか、と考えていると、
あんたも随分、勿体つけた人だねえ。きっと大学教授とかそんな仕事をしているのだろう、前も教授だと自称する人が来て最後まで橋の上に住みたいということを認めないで、これはあくまでも調査です、などと抜かしてうろついていたねえ。その結果、どうなったか見たいかなあ?
男は次第に嬉しそうな表情になって、残忍な微笑を漂わせ始めていた。そして内緒だよ、と言うように私の肩を小さく叩くと席を立ち、ついて来るように合図する。混雑するフロアを人込みを掻き分けながら歩いていくと、バーカウンターの横に店の正面玄関があって白い上っ張りの若者が緊張した面持ちで立っていたが、矢印屋がドアの前に立つと深々とお辞儀をしてさっとドアを開けた。表から冷たい空気が流れ込んでくる。そこは私が侵入した通路の延長なのか狭い通りで両側にはずらりと商店が建てこんでいる。深夜のためかほとんどが営業していない。上の方は闇に沈んでいたがオレンジ色の街燈が並んでいて店の前は明るかった。石畳の道でヨーロッパの古い街のような佇まいだが驚いたことには道路の真ん中は一見して廃車とわかる車に占拠されている。窓が破れたり錆びついたりしてもう決して動くことはないと思われる自動車が数珠繋ぎになっており道路としての役割は果たしていなかった。幾つかの窓には誰かが居るらしい明かりも見えていたが全体に寂れた風情で歩道に通行人の姿はなかった。このまま逃亡してもどちらにいったら良いのかまったく見当がつかなかった。
もうすぐ、来るよ
矢印屋は街の果てのぼんやりとした薄闇の方を指し示した。しばらくするとそちらから音もなく何かがやってくる。遠目には白い物体にしか見えない。寒さを我慢して待っているとわさわさと群れて歩道をこちらに向かっている。矢印屋は肯きながら、そう、あれさ、と吐き捨てるように言う。人間にしては異様な外観だった。白い物体としか言いようもない縦長の棒のようなものがもそもそと這うようにして動いている。それも一つや二つではなく数十匹の群れだ。
人間ですか?
あれが教授さ、
と軽蔑の色をにじませて矢印屋は言う。よく見てみると白い物体は子供がおばけごっこをするときのように人間がシーツを被ってよちよち歩きしているかとも思われた。それにしてもぎこちなく惨めな姿だ。
矢印と反対の事をしたばちが当たったのさ。折角人が親切で言ってやったのに無視するとああいうことになる。ムーミンに出てくるニョロニョロみたいだろう。別に害はしないさ。近くに行ってよく見てご覧。あいつらは時折こんな風にして橋の上を行ったり来たりしているのだ。まったく無意味な生き方だよ。そう、無意味、かつ無害。だがそれは愚かさの結果なのさ。自分が愚かだということにも気がついていない。物乞いなどしないから大丈夫だよ、
彼のそんな言葉に反して白いお化けたちは次第に近づいて来た。一人でも不気味だが何十人のシーツお化けである。ぞっとして思わず店のドアのほうへ数歩後戻りしてしまった。矢印屋はそんな私を見て笑っていたがじりじりと迫ってくるお化けたちに自分も危険を感じたのか身構えた。その瞬間、一匹のお化けが飛んできて抱きつかれた。どんという衝撃を受け悲鳴をあげながら歩道へ転がる。何が起こったのかわからなかったが、矢印屋の豪快な笑い声が聞こえる。転んだわりには痛みがない、と気がつくと丁度そのお化けが私の下敷きになってクッションの役割を果たしているのだった。慌てて立ち上がると白い布地で包まれたその生き物はそのままぐったりと倒れていた。矢印屋のほうも笑っている場合ではなかった。後ろから同じように抱きつかれ倒れそうになった。余裕たっぷりに懐から先ほどのスプレーを取り出すと試しに宙に二、三回噴射してから、肩越しに背中に張り付いているお化けの顔に吹き付けた。白い布地が真っ黒に染まりお化けはくたっとその場にくずおれてしまった。
まずいな、
そう矢印屋が呟くのが聞こえた。見ればお化けたちが次々と彼のほうへ進路を変えている。彼は矢継ぎ早に幾つもの矢印を路上や店の壁に吹き付けて描き出す。もう私のことなど目に入っていない感じだった。逃げ道を探していると目の前に捨てられているワゴン車のスライドドアがわずかに開いているのが目に入った。これは、と押してみると開いたのでその隙間から滑り込むように車内に入る。中はゴミだらけで居心地が良いとはいえないが白い生き物たちはそのワゴンの前を素通りしてついに矢印屋に殺到した。ブシューッ、というスプレーの音が聞こえていたがお化けたちの数は半端ではなくすぐに彼の姿は見えなくなってしまう。そしてもぞもぞ動く白い群れは次第にこんもりと盛り上がりその中に矢印屋は飲み込まれてしまった。
3 詩人サービス
どうすれば良いのだろう? 矢印屋からは逃れたがどこへ行くというあてもない。妻がどこへ行ったのか探す術もない。一度引き返したほうが良いのだろうか。シートに座り込んで考えているうちに緊張が解けてきて全身の疲労を感じ激しい睡魔に襲われた。うとうとしたのは数分だったのか、数時間たったのかわからない。気がついたときは相変わらずしんとした夜だった。こんこん、と窓ガラスを叩く音がする。一人の女性が薄汚れ曇ったガラス越しに車内を覗き込んでいた。目のくりっとした童顔でかわいいと言えなくもない。ショートカットの髪は細く柔らかそうでパーマが当たっている。
お蕎麦食べに行かない?
女はそう言っている。何を考えているのか、なぜ誘うのかわからない。ご馳走してくれということなのだろうか。妙に悲しそうな表情だ。私のほうも「蕎麦」と聞いて急に空腹を意識した。家を出て以来、何も食べていない。蕎麦でも何でもいいから食べたいという気はしていた。車のシートで眠っていたので首筋が痛かったが頭はすっきりした。先ほどの白いお化けや矢印屋の姿はどこにもない。GRANGEの明かりも消えていた。
どうして最近の自動車の形はこんなに丸っこいのかしら。まるで昆虫みたいじゃないの。それもだんだん虫っぽさが強くなって気味が悪いわ。前はもっと普通に機械らしいデザインだったのに生命的で、あれは消費者に親近感を持ってもらおうというつもりなのかしら。そうだとしたらあまり成功していないよね。カブト虫みたいな車や、蝶や蛾みたいなくるくるした形はかえって気持ち悪いよ。
女はそんなことを一人しゃべっている。触ったら痛そうなくらい四角っぽかったスタイルが流行りのはずだか確かに彼女の言う通り私が這い出したワゴン車は角が取れて丸い。景気と関係があるかもしれない。景気が悪くなると流線型がはやるという仮説である。第二次世界大戦前の恐慌の後もクライスラー・エアフローという車が衝撃的なデビューを果たし流線型が主流となった。この車は不必要なくらい丸い。空気抵抗を少なくする、という能書きだが当時の車のスピードで空気抵抗がそんなに影響するとは思えない。むしろ機械なのに生命的な感じがして退廃の匂いがある。この車もヘッドランプや窓枠、テールの細部に至るまで歪んだカーヴを描いている。バロック的な奇妙さが大恐慌時代にきそって発表された流線型の車を思い出させるのである。
女は車への関心を失ったらしく手に持ったハンドバッグをくるくると回しながら歩道を歩いている。彼女について行けば蕎麦にありつけるかもしれないと慌てて歩き出した。もう大分夜が更けたのか通りに幾つか灯っていた看板の明かりもほとんど消えてしまっている。寒さが先ほどより増している感じがする。風がないのが幸いだ。空気は澄んでいて頬を刺すような冷たさだが停滞しているので耐えられるのだ。女も薄紫色のもこもこした生地のコートの襟を掻き合わせていた。
蕎麦屋って遠いいのかな?
と聞くと、そこよ、と路地を指差した。薄暗い路地の奥から店の光が漏れていた。女の言う蕎麦屋はよくある二十四時間営業の立ち食いの店だった。入り口で彼女は立ち止まる。私が食券の自動販売機にコインを入れて「てんぷら蕎麦」のボタンを押そうとしていると女の縋るような視線を感じた。仕方なく、
何が食べたい?
と聞くと黙ったまま近寄ってきて「山菜うどん」のボタンを押した。かたん、と小さな紙片が出てきた。それを女に渡すと私はてんぷら蕎麦と卵のチケットを買い、カウンターに並べた。他に客は居なくて中年の疲れた感じの店員は私たちの食券を一瞥すると無言のまま湯気の立っている鍋の中へうどんとそばの玉を投込んだ。
よくここに来るの?
彼女は黙ったまま肯く。ここが好きなの? と聞くと今度は首を横に振って、どこに行っても同じよ、と答える。橋の上はどこに行っても同じ、だって同じ会社が経営しているのですもの。そう、橋自体を経営している会社よ。知らないの?
彼女はうまそうに蕎麦をすすりながら壁のところを指差した。そこには品書きの札が並んでいたが良く見ると
DOT LTD.
という青い文字がさりげなく入っている。太いゴシック体が斜めにかしいで隅のところがスピード感を出すような短冊形に切れ込んだロゴだった。
ドット?
そうよ、ドット株式会社。もとは運送会社らしいけど今は何でもやっているみたい。とにかくこの橋は彼らの所有物なのよ。だから住んでいる人間もみんな彼らの所有物みたいなものね。少なくとも反抗は出来ないわ。あなたもスマホを取りあげられたでしょう。あたしにはよくわからないけど彼らには商売上の秘密があるのよ。いつもどこからかあたしたちを見ているの。
あなたは監視されているのがイヤ? あたしも最初は嫌いだったけど最近はそうでもないの。監視されている、見られているということには快感もあるのよね。きっと芸能人はみんなそうなのよ。デビューしたときはうぶな女の子でもあっという間に綺麗になるでしょう。お化粧とか周りの人の影響もあるとは思うけどきっと見られることによってますます綺麗になる、その理由は快感だと思うの。常にチェックされている、ということが気持ちいいの。有名になるって言うことはチェックされるということなのよね。逆にチェックされなくなったら寂しいじゃない。誰かに監視されているということは鬱陶しいようだけど逆に考えたらそのことによって身分が保証されているわけだし、チェックが厳しければ厳しいほど地位が高いわけよね。クレジットカードだってそうでしょう? 誰でも入れるのは安いカードで、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンド、ブラックとか言ってどんどんVIPになるわけよ。そのチェックがなければどんなセレブだってあんた何者、と言われてしまうわけ。そんな風に考えると人に見られているのは快感だし、身分証みたいなものなのよね。まあ連中がどんな風に監視しているか知らないし、普段からそんなこと気にしていたら気が変になっちゃうから忘れるようにはしているけど。
しゃべり終わると女は満足げにうどんの出汁を最後の一滴まですすっている。彼女はともかく私にはどうでも良いとは思えなかった。橋の上が企業体に支配されていてしかもその連中に監視されているとは初耳だったし、少なくとも蕎麦の味は最低だった。ゴムひものような麺と醤油のきつすぎる辛い出汁、ぶよぶよした掻き揚げに古くて生臭い卵はとりあえず空腹だったのでなんとか腹に収めることが出来たのだ。
ああ、満腹した、この近くにいいところがあるのよ、一緒に行かない? と女は言う。彼女の意図を計りかねていると、にっこり微笑んで私の腕にすがり付いてきた。あまりの馴れ馴れしさにどきりとする。大丈夫、変な意味じゃないから、と女は一人はしゃいでいた。私たちはいつの間にか手を取り合って再び夜の街へ出た。女は肩を寄せながら路地を更に奥の方へと導く。狭い通路には人影はないがクラブやパブ、マッサージに占い師、ゲームセンターといった怪しげな小さな店の入り口が幾つも誘惑の明かりを灯し、表通りとは異なりまだ営業している店も多いようだ。風俗店と思しき悪趣味でごてごてした飾り付けの店の前には凍りついたように黒服の男が立っていて通り過ぎる我々の方をじろりと睨んだ。それでも女はますます怪しげな奥へと進んでいく。
詩人サービス
彼女が足を止めた古いビルにはそんな文字が並んでいた。一階の店舗は既にシャッターが降りていたが二階への階段の入り口にほんのりと裸電球の明かりが投げかけられていてそこから上がるらしかった。看板の上の窓は北欧の家のように花や置物で綺麗な飾り付けがなされていてカーテンの隙間からは暖かげな光が漏れていた。
ここは一体何屋さんなのかな? と問うと平然と、詩のサービスよ、と答える。そして私の手をぐいぐい引っ張って二階へと上がっていく。木の扉を開けると薄暗い店内の入り口にはカウンターがあり白髪交じりの髪を短く刈り込んだ初老の男が本を読みながら店番をしていた。あたりにはコーヒーのうまそうな香が漂い、なんだ、喫茶店か! と一瞬ほっとした。蕎麦の出汁のくどい味が口中に残っていてコーヒーでも飲んでさっぱりしたかった。
こんばんは!
女は嬉しそうに店の男に声をかける。彼は目を上げると微笑んでやはり、こんばんは、と答えた。掘りの深い顔立ちで年輪が刻まれたような厳しい顔つきだが優しい笑顔だった。シャープな印象はきっと女性にもてるのに違いない。彼女は馴染みなのか彼が取り出したノートになにやら書き込んでいる。やはりただの喫茶店とは違うらしい。私たちは真紅のビロードのカーテンをめぐらせた店内を案内された。ここでいいですか? とカーテンを開けられ、ちょっととまどった。中にはクラシックな猫足の肘掛け椅子が二脚とテーブル、それにゴールドのパイプ出で来たやはり典雅なデザインのベッドが置いてあった。内装は赤いビロードの壁紙でロココ風の貴婦人たちが森の中を散歩している淡い色の風景画が掛けられている。落ち着いた雰囲気ではあるがなぜベッドがあるのだろう、まさか変態クラブのようなものではあるまいな、と邪推しながら急に緊張と興奮を感じ始めていた。コートを着ていたので気がつかなかったが女が肉付きの良い豊満な身体であるのを初めて意識した。
こくり、と女が頷くと店員は我々に椅子を指し示し、カーテンを閉めて消えた。女は黙ったままコートを脱いで椅子に腰をおろす。口の中がからからに乾燥し、つばを飲み込んだ。どう話しかけて良いかわからなかった。店員はすぐ戻ってきて私たちの前にコーヒーを置き、自分も中に入ったままカーテンを閉めた。何が始まるのか固唾を飲んでいると店員があなたからで良いですか、と女に聞く。女は肯いて立ち上がるといきなりセーターを脱ぎ捨てた。それからブラウスも。慌てて視線をはずすのだが狭い室内ですぐに彼女の色白の裸身が目に入ってしまうのだった。上半身だけ脱ぎ終えると彼女はベッドへ行き、チェック柄の毛布を剥がずにそのままその上にうつぶせに横になった。豊かな乳房が胸の下で押しつぶされているのが見える。
今日はどんなテーマが良いですか?
店員も立ち上がる。私の緊張は頂点に達していた。店員の発する言葉の一つ一つがその本来の意味を離れて限りなくエロティックな響きを持って感じられた。どんな単語も卑猥にしか感じられず腹から下半身に掛けて熱いものが下りて行くような興奮を感じていた。女は伏せたまま答えない。
それではあなたのお母さんの話をしてください、どんなお母さんでしたか? きっと優しい人だったのでしょう。優しくていつも微笑んでいて、でも可愛そうなのです。そうです、今日のテーマはピエタです。聖母マリア様の話ですよ・・・
店員はおもむろにベッドに近づくと女の背中にそっと触れた。細く骨ばった彼の指の先で女の背中は白く輝き、良質のバターかチーズのように滑らかで柔らかそうだった。そして触れるか触れないかというぎりぎりのところで試すかのように指は迷路を描き上から下へ、下から上へと往還を繰り返した。女の口から深いため息が漏れ、全身が時々ぴくぴく震えている。女は恍惚としてもはや完全にこの男の術中にあると思われた。施術者はひとしきり背中を撫ぜ終わるとどこからか墨と硯を取り出した。そしてベッドの下からスツールを引っ張り出し腰かけると墨をすり出す。
母親の愛は無限です、聖母マリアはそのことを示しています、ピエタです、我が子イエス・キリストをどこまでも信じ、慈しむ愛、その愛は全的でどんなものよりも大きく、包容力があり、ついには死にさえ打ち勝つのです。愛は怒りません、愛は妬みません、愛は憎みません、愛は常にあなたと共にあり、たとえ死の床にあっても途絶えることなく魂を救うのです。
硯をすりながら彼は低い声で淡々と続けた。墨が出来ると細い筆を取り上げ深呼吸する。そして突然大きな声で叫びだし、筆を背中に下ろした。
Senza mamma,o bombo ,tu sei morto.
Le tue labbra senza i baci miei,
scolorion fredde,fredde,
e chiudesti,o bimbo,gli occhi belli.
イタリア語はさっぱりわからなかったが男が一筆ずつ文字を背中に並べていくと背筋がぞくぞくするような感覚に襲われた。これは一体何なのだろう? 宗教的な儀式なのか、新種のリラクゼーションなのか、異常な性行為の一端なのか。
わたしの赤子よ、あなたは母親を知らずして死んでしまった
あなたの唇はわたしのキスも知らずに
衰え、冷たくなり、
そして、ああ、お前はかわいらしいその瞳を閉じてしまった
書き終わったのか筆を置くとイタリア語の呪文を男はそんな風に翻訳する。
あなたは救われます、聖母マリアの慈悲によってすべて許され今、ここにあなたの魂は救われました。プッチーニのオペラ、「修道女アンジェリカ」より終曲の一部です、
再び低い声に戻った男がそう言い終ると女の口から嗚咽が漏れた。泣いているのだ。白い背中に黒々と浮かび上がったアルファベットが個別の生を持った生き物のようにぴくぴくと蠢いている。
それで儀式は終わりのようだった。拍子抜けして椅子の背もたれにもたれかかる。先ほどまでの興奮が満たされぬまま気だるい疲労となって全身に滞留している。店員は筆をいったんテーブルに戻して女の様子を見守っていたがすすり泣きが落ち着いてくるとベッドの足元にたたんであったタオルをそっと背中にかけた。それを合図に彼女は起き上がり鼻を啜りながら涙を手でぬぐった。恥ずかしそうに私の方を向いた彼女の頬は紅潮し目はらんらんと輝いている。そして、
最高だったわ、次はあなたの番よ、
と言う。この人が偉大な詩人だということがわかったでしょう? いつも最高の気分にさせてくれるわ。とっても気持ち良いの。あなたもきっと気に入るはずよ、と。詩人と呼ばれた男はにっこりして私にベッドを指し示す。イヤだとは言えない雰囲気だった。私も聖母マリア様のお祈りに参加させられるのだろうか。そしてこの詩人の細い筆で背中を撫でられ得体の知れないイタリア語を並べられるのか? 耳無し芳一じゃないのだ! 呪文のような怪しげな言葉を身体に刻み込まれるなんてイヤだ、そんな思いが巡った。察したのか、初めてですね、大丈夫です、ただ横になっていただければ間違えなくすばらしい詩を書いて差し上げましょう、と詩人は静かな口調で囁きかけてくる。
何も問題はありません、背中というところは人体の中でもその広さに比して日頃ケアされていない部分です、しかし神経の密度は高くここを刺激することは内臓はもちろん身体の内部に他の方法では得られない良い効果をもたらします。背中を掻いて貰うのは心地よいでしょう? あれに更に心理的な快感が伴うと想像してください、最近ではヒーリングの一種として医療機関にも取り入れられているくらいです、もう少しで厚生省の認可も下りそうですよ。何ぶん、自分では触ることも難しく見られない場所ですし人前で背中を晒すということには抵抗感のある方がいらっしゃるのはもちろんなのですが、そこに詩を描きこむという行為は単に今申し上げたような医療的な意義に留まらず芸術としての側面を持っているのです。ですから私が詩人だということで信頼していただければ良いのです。エステやマッサージなどの民間療法とは異なります。どうか、安心してください、
とたたみみ込むように話しかけられ私はコートと上着を詩人と女に剥ぎ取られていった。女の豊満な胸と薔薇色の乳首が一瞬、タオルの合間から覗いてもはや私は騙されてもいいというやけ気味の気分でシャツを脱ぎ捨てベッドの上に横になった。
まず詩人は女にしていたのと同じように背中を柔らかにさすっていた。くすぐったいかと想像していたが、掌の温かさが心地良い。むしろ自分の背中の内側に鈍い痛みのようなものが炙り出されてくる。言われたとおり内臓の悪いところが感応しているのかもしれないとさえ思った。テーマはどうしましょうか、なにか提案はありますか? いいえあたしはわかりません、この人にふさわしいものにしてください、と詩人と女が会話しているのが聞こえる。彼は息を詰めて、筆を持ったようだ。私は目を閉じたまま枕の上で緊張した。するとちっという冷たい感触が左の肩甲骨の上に現れた。
学びて思わざれば、すなわちくらし
思うて学ばざれば、すなわちあやうし
詩人は腹の底から、ふり絞るような深い声でそう唱えた。それは詩というよりもお経のようでもあり、唄のようでもあった。書きながら朗読することによって文字に魂を吹き込もうとでも言うのだろうか。いずれにせよこの詩人サービスを怪しんでいる私でさえ詩が単に物事を文で書き表す文学の一ジャンル、図書館で分厚い本を開いて見出すものではなくて、声に出して初めて伝わるものであることを思い知らされた。冷たい筆は背中の皮膚を切り裂くように進み、体内にうずく膿を押し出してくれているかのような快感がある。ずばりつぼを指圧されている気持ちよさだ。思わず、ああっ、という嘆息が漏れる。揉みしだかれたような軽い痺れと疲労感が背中から全身に広がり天にも登るような心持でそのままうとうとしそうになっていると、はらりとタオルが掛けられるのを感じて意識がはっきりした。慌てて起き上がると女が手鏡を貸してくれた。
学 而 不 思 則 罔
思 而 不 学 則 殆
という漢字が黒々と太い漢字が背中に書かれていた。女の背中のアルファベットとは異なる太い筆を用いたらしく、それを水入れで軽くすすぎながら、孔子の言葉ですよ、あとはごゆっくりどうぞ、と言い残しカーテンの向こうに姿を消した。シャツを着て上着を羽織っても背中の文字がしっかりと食い込んでいるような感触が消えない。
どう? なかなか気持ちいいでしょう、
と女に尋ねられて思わず正直に頷いてしまった。確かにマッサージや指圧に似ていなくもないし、詩を自分の背中に書かれているという事で精神面でも癒されている気がするのだった。孔子の言葉を背負っている、というのは随分重々しいことだが不思議と人格が高められているかのような自負が沸き起こってくるのだった。自称「詩人」の言った通り心身を同時に刺激する新しいリラクゼーションとして良いアイディアかもしれない。コーヒーを啜りながらすっかり寛いでいる女は、家にいらっしゃい、ゆっくり休みましょうよ、と蠱惑的な瞳で誘う。この女は何者なのか、と訝りながらも今の私には彼女について行く以外に方途は見つからなかった。カウンターで勘定を頼むと結構いいお値段だったのでカードで支払う。しかし損をしたという気分はなかった。
私たちは再び暗い路地を戻って表通りに出た。女の家は通りの反対側にあるらしい。五、六分も歩くと少しせりあがった立派な車寄せのあるビルディングがあり女は入り口の階段を上がるとそのガラス扉をがちゃがちゃ鳴らせて開いた。ロビーは貝の形をした常夜灯がともっているのみで暗かったがモダンな北欧製らしき家具が置いてあるのがわかった。そしてこの橋に来て私は初めてエレヴェーターに出くわした。それは、細い金属製の蛇腹扉を開けて乗るようになっていて古い型式のものに見えるが、どうやら現代的なデザインのこの建物の佇まいからしてアンティークとして敢えて取り付けられたものらしかった。その証拠にいざ乗り込んでみると内部は真新しい白木でデコレイトされ、液晶表示のカラーモニターがスイッチの代わりだった。女は素早くテンキーの浮かび上がった液晶版にタッチするとふわっと浮かび上がる感覚で籠が動き出し、あっという間に加速して液晶の数字は三十五階を示している。橋の中央部にこんな高層建築があるとは驚きだ。もっとも多摩川はそんなに深い河川ではないし、激流でもないから橋げたの上にビルを立てるのは案外経済的なのかもしれない。フロアに下りると柔らかな間接照明に照らし出された廊下にいくつかの扉が並んでいる。女はすぐ近くのドアの鍵を開け、どうぞ、と内部に導いた。かなり高級な住居に思われた。立ち食い蕎麦を私にたかった女の住処としては贅沢すぎる。玄関の叩きも大理石で奥には広々としたリビングがあった。マントルピースの備え付けられた堂々とした客間だが違和感があるとすれば窓がないことだった。これだけの高層階ならばさぞ景色が良かろうと思うのだがどこにも窓が見当たらない。どうして? と尋ねると禁止されているのよ、という答えが返ってきた。
見ようと思えば窓は設置されているの、でもすべて会社側がふさいでいるのよ。なんでも橋の工事に一部不完全なところがあってそれが改善されるまではいけないらしいわ。いつ出来るかもわからないけど会社の問題だけじゃなくて許可しないのは国の方らしいわ。窓が開けないのじゃあ三十五階に住んでいる意味なんてないでしょう、と言われるけど仕方ないのよね、
そう言いながら彼女は壁にある羽目板をとんとん、と押さえた。そこが窓らしい。そして肩をすくめるとキッチンから手際よくティーセットを出してきてテーブルの上に並べた。
もうお茶はいいかしら? あら、いけない、お茶が切れているわ、あたしちょっと買い物行ってくるわ、お金頂戴、
と、さも当然というように手を差し出されて私はしぶしぶ千円札を一枚渡した。奥にベッドがあるから横になっていてもいいわよ、と言い残して女は出て行った。私はリビングからキッチン、ベッドルームを一回りしてますます不審感を強めた。作りは豪華だがホテルのようでまるで生活感がない。ここは本当にあの女の家なのだろうか?
4 迫られた選択
少しだけ横になろうかとベッドルームへ足を向けたときチャイムの音がしたので女が帰ったのかと思って玄関へ戻った。しかしドアを開けた私は驚きの余りひっくり返りそうになった。そこに立っていたのは矢印屋だった。
驚いているのか? 俺がニョロニョロ如きにやられたとでも思っていたのかい? それよりあんた、こんなところに居たらまずいよ、あの女に騙されたのだな。あの女が誰だかわかっているのか?
と彼は玄関の中に入ってきて室内の様子を覗き込み他に誰も居ないのを確認した。首を横に振ると、
やっぱりそうか。あんた、自分の探していた奥さんの顔も忘れてしまったのかい? あれはあんたの奥さんだろう。よく考えてみろ、
と衝撃的なことを言う。そんなバカなはずはない。確かにまったく見覚えのない女なのにやたら馴れ馴れしかった。だが私の妻ではない。妻はどんな顔だったか? 突然言われても当惑するがあの女ではないことだけは確かだ。
ほうら、だんだんわかってきただろう、あの女はあんたの奥さんだよ。顔が思い出せないのだろう、それもそのはず、背中になにか書き込まれただろう、その呪文が効いているのだよ。すべてドットの策謀さ。連中の都合のいいようにコントロールされてしまう。ここだって会社の持ち物だぜ。奥さんのねぐらはあんたが逃げ込んでうたた寝していたワゴン車なのだから。はめられたのだよ、これ以上ここにいたらやばい。早く逃げな、
その途端、背中がむず痒いような感じがしてきた。手で掻こうとするが届かない。妻の顔を必死に思い浮かべようとする、毎日顔をつき合わせているはずなのになぜか目や鼻の形、表情や声、仕草や体型がばらばらな印象でしか現れず全体像がはっきりしない。食事をしたとき、眠っていたとき、あるいは出会ってデートして結婚するまでの思い出をたどって彼女がどんな女だったか記憶を呼び起こそうとする、そしてそのぼやけた輪郭があの女と重なるのか試行錯誤を繰り返す、すると次第に私の確信は揺らいできた。どうもあの女とは違うとしか思えない、だが絶対に別人だとは断言できなくなってきた。ひょっとしたら矢印屋の言うとおり妻が化けているのか。それが正体なのか。もしそうなら目的を達成していることになるではないか。逃げる必要はない。彼女を連れて帰れば良いだけだ。だが彼女が私をここに残して行ってしまったのも変だ。彼女の家がここではないとしたらなぜ私をここに連れこんだのか、そしてここがドットという会社の持ち物だとしたら私の身にはどういう事態が待ち受けているのか。
背中は我慢できない痒みが痛みに変化してずきずきした。もがく私を見て矢印屋は背中を出してみな、と言ってシャツを後ろから捲り上げると自分のポケットからハンカチを出しごしごしと裸の背中をこすってくれた。じんじん痺れる感じが次第に広がって痒みや痛みは収まってきた。
だから言っただろう、妻を捜すなんて能書きはやめて素直にここに住みたいって吐いちゃえば良かったのさ。俺が折角、あの女に引っかからないようにあんたを連れ出そうとしていたのにくそ忌々しいニョロニョロどもに関わっているうちにやばいことになっちまったのだな、
と首を振りながらハンカチをしまう矢印屋に、もしあの女が私の妻なのならば、彼女を連れて帰る、と言うと、だめだ、と矢印屋は呆れたという様子できっぱりと否定する。
もう、無理なのだよ。欲張りすぎたのだ。あんたたち日本人が自分たちだけが昔から知っている平和なのんびりした暖かい場所でぬくぬくしよう、と言ったってもう許されない。通勤電車でもみくちゃにされてへとへとで帰ってきたけど銭湯で背中流してさっぱりして帰り道にある馴染みの定食屋に入ってイカの塩辛でビールを一杯ひっかける。下駄をからんころんと鳴らして家に戻るとスポーツニュースでも見ながら家族団欒で鍋をつつく。コタツに入ってみかん剥きながらそうだねえ、今度の休みには紅葉狩りにでも行くか、って話したりして。そうすると焼きイモ屋が笛を鳴らしながら通っていく。もうそんなわけには行かないのさ。
方向をきちんと決めなければいけないのだ。これから世界は二つの方向に引き裂かれていく。どちらを自分は支持するのかはっきりしなければいけない。曖昧な態度を取ると卑怯者と呼ばれてしまう。コカ・コーラなのかペプシコーラなのか。マクドナルドかケンタッキーか。ミッキーマウスかポケモンか。闘いは先鋭化してくる。マイクロソフト、バイドゥ、トヨタ、どんな巨人でも決して安心は出来ないよ。逆説的だが巨人であればあるほど潜在的に闘いの危険は増してくるわけさ。
勝つか負けるかしかない。
そんなのただの弱肉強食ではないか! と言う奴も居る。別に俺が脅かしているわけではないよ。だが単に強い者が弱い者を食い荒らしていく、そんなイメージとは違うのだ。元が西夏を征服する、ドイツがフランスを占領する、そんなこととはまったく異なるのだよ。むしろ世界の効率化、複雑なものが単純化してより巨大なものになっていくプロセスだろう。変化の時なのさ。今までの歴史でも同じような節目はあった。ただ自分の時代について客観的な判断は難しい。より大きな規模でそれが起こっているから中に巻き込まれている人間には全体像がつかめないのさ。
さあ、こういうことだよ、わかっただろう。これ以上の説明はもういい、あれもこれも、両方ってわけにはいかない、どちらかを選ばなければいけないのだ。過去を捨てて攻撃的に生きるのか、それともあくまでも思い出にすがって頑固に自分の領分を守ろうとするか。あんたは頭がいいからどっちに勝ち目があるか知っているのだろう。そう、負けたら大変だから。奥さんを連れて帰ることは出来ない。帰るのなら今すぐに逃げることさ。あの女が戻ってくるとあんたは一生この場所に呪縛されることになる。どちらかを選ばなければならないのだ、
そう問い掛けられ、どうしたら良いのかさっぱりわからなかった。あの女が妻なのかどうかもはっきりせず、しかし逃げるのなら今しかないと言う。仕方無しに矢印屋に少し待ってくれと頼むとリビングに戻り彼女に宛ててメモを残した。
「あ」のつく人は東京には入れなかった、でもそれは解除されたはずだ。先に戻っているから早く家に帰っておいで。
メモを目立つようにカップと共にテーブルに置いて矢印屋と一緒にマンションを出た。こっちへ急ごう、と彼は言って橋を先のほうへ歩いて行く。方向が逆なのが心配だったが今は彼のことを信じて付き従うしかなかった。街路は先に行くにつれ細くなり複雑に入り組んでいて自分が今、どのあたりを歩いているのかは全くわからない。やたらに何回も階段を上り下りしたような気がする。広場のようなところにはやはり廃車となった車が置き去りにされていた。時折、不審そうな目で我々を見つめている人影も目に入ってくる。しかし矢印屋はわき目もふらずずんずん進んで行った。疲れたな、と思ったとき突然視界が開けた。それまでトンネルのような橋の内部を歩いていたのだが、その屋根の部分に当たる屋上へ出たらしかった。丸みを帯びた屋上には建築資材が散乱していて足場が悪い。それでも柵を乗り越えて侵入する者が居るらしく、明らかに不法と思われる掘っ立て小屋のような住居がちらほらと見受けられ、ゴミや廃品があちこちに積み上げられていた。どうやらこの屋上はある種のスラム街らしい。最初、錆びついたトタンの通路をたどったがやがてそれが建築現場の足場に使われているような鉄製の板に変わった。冷たい空気が頬を撫ぜてくる。見上げると空には星が瞬いていて懐かしい感じがした。
もう少しさ、
と矢印屋が呟く。前方には次第に東京都の明るさが感じられるようになってきた。そちら側だけぼおっと赤色の光が見える。そして通路は突然途絶えていた。
あっ、
思わず叫んでしまった。橋はそこで終わりなのだ。何基ものクレーンがシルエットの姿で闇に林立し、虚しく虚空にケーブルを垂らしていた。
騙したなっ!
とつかみかかろうとすると矢印屋はまあまあ落ち着けというようになだめる。そして下を見ろ、と言うように指をさした。通路の手すりをつかんでおそるおそる覗き込んでみるとどのくらい高さはあるのかわからないが建築中の橋の断面から無数の鉄筋が突き出していて、まるで手術中の人体の内部を垣間見たかのような気味悪く、そして無残で痛々しい感じがした。川の水面は見えず闇に沈んでいる。強い風が吹き上がってきて瞳の表面に当たり涙が出た。目を上げると東京まではもうさほどの距離はないようで極彩色のネオンサインやライトアップされた看板、世田谷の住宅街の明かりがぽつりぽつりと散らばっているのが手にとるように感じられる。そしてその上方、地平線のあたりには三軒茶屋のキャロットタワーや渋谷のセルリアンタワーといった高層ビル、そして新宿の高層ビル群もマッチ棒か楊枝のような細い光の点滅になって見分けることが出来た。
あと少しで完成なのだが橋の接岸に対して都庁の認可が中々下りないらしい。しかも私企業の持ち物にもかかわらず、道路部分と住居は国土交通省、商店部分は経済産業省、電話のケーブルやアンテナなどは総務省と管轄が三つに分かれていてそれぞれ全く関連なく橋の建設方法や工期に口出ししてきて工事の遅れる理由なのだそうである。もううんざりさ、と矢印屋は言った。
あんたには特別の乗りもので帰ってもらうよ。少し待ちな、
と彼はやはり風に吹き飛ばされないように鉄の柵につかまりながらゆっくりと通路の突端に腰を下ろし、川を見下ろして足をぶらぶらさせていた。しばらくすると下の方から巨大なものが近づいて来る気配があった。それがなんだかはわからなかったがかなり幅のある黒い影で音もなくゆっくりとしたスピードで我々の居る場所へ上がってくる。
おっと!
と彼が立ち上がり突端から数歩下がったとき巨大な物体の先端が我々の前に姿を現した。ペルシャじゅうたんのような幾何学的な模様が描きこまれた丸みを帯びた直径数十メートルはありそうな球体である。じわりとせりあがってくる様は木星か土星のような惑星に接近しているかのような不気味な迫力があった。
どうやら彼の用意してくれた乗り物は気球らしい。やがて球体の下に籠が見えた。実に原始的な熱気球で矢印屋と同じように三つ揃いを来た同僚と思しき男がバーナーを調整している。青白い炎が時々球体のほうへ向けて噴射されるのだが、操縦者は我々の姿を認めると火を止めて、錨のようなものを取り出し通路へ投げて寄越した。金属製で重たいのか、鐘を鳴らすような大きな音がして錨は我々から二メーターくらいはずれた屋根の上に落ちた。矢印屋は鞄からロープを取り出すとベルトに通し自分の身体と手すりの柵の間を連結してから錨を取りに屋根の上をそろりそろりとおっかなびっくり歩いて行って拾い上げ、手すりの端に固定した。するとウインチがついているのかゆっくりと気球は通路のほうへ近づいて来る。
落ちないようにな、
と矢印屋に背中を叩かれると、もう目の前にゴンドラが来ていた。三人も乗ったら一杯という小さな籠だった。慎重に足をずらせて籠に近づく。中からは操縦者が扉を開いて手を差し伸べてくれた。慌てて飛び乗るとゴンドラが少し揺れた。操縦者は一回、ゴンドラを出ると矢印屋と握手してから言葉を交わす。そのとき突然、
待って!
という声がした。あの女だ。矢印屋たちは色めき立った。矢印屋が鞄から書類を取り出し操縦者に渡そうとする。しかし風が強いため紙がはためいて中々うまく渡せない。かんかんかん、と女は靴音を響かせて近づいていた。私は一度下りて彼女と話そうかとも考え始めていた。
まずい、と矢印屋は操縦者を急かした。ドキュメントをくれ、と訴えかけていたが仕方なしにゴンドラに近づき錨をはずそうとする。
それに乗っちゃ駄目!
そう叫びながらあの女がものすごい勢いで矢印屋に体当たりした。鞄が吹っ飛び書類が風に舞って飛び去った。びっくりした矢印屋と操縦者は書類をつかもうと宙をまさぐった。その隙に女はゴンドラに駆け寄ったが気がついた操縦者にどつかれて転んでしまった。彼女が倒れるどすん、という鈍い音がして、外れかけていた錨は柵を離れ気球はゆっくりと動き出した。操縦者が慌ててロープをつかんだが気球の動きを止めることは出来ない。思わず、
危ない!
と叫んだが錨に引っ張られる形になって操縦者はバランスを崩し、気がついたときは空中に飛び出していた。うわーっ、という悲鳴が響きあっという間に闇の中へ尾を引いて吸い込まれて行った。ゴンドラから身を乗り出したが冷たい暗闇の中には何も見えない。気球の動きは緩慢だが既に一メートル以上通路から離れている。下りることはできない。橋の方を見ると突端だけが水銀灯で明るく照らし出されている。矢印屋は風に弄ばれる書類の束を憑かれたように追いかけており、女は立ち上がり腕を振り回しながら泣き叫んでいた。空中の仮設舞台のように暗闇にはっきりとその情景が浮かび上がっていた。
なんであたしを一人置いていくの! 戻ってきて!
女の声が届いた瞬間やはり自分の妻だったのかもしれない、という思いが頭をかすめる。もしそうだとしたら取り返しのつかないことになってしまった。それまで現実感のなかった事実が突然腹の底を抉るようなショックとなった。目を凝らして泣き叫んでいる女の顔を見てみる。もはや白い点にしか見えない。
あれは妻だったのか?
相変わらず顔が思い出せない。しかし涙で崩れた女の顔ははっきりと浮かぶのだった。気球は風にあおられて上昇し始める。女の声は次第に遠くなり、その姿も小さくなった。そんなはずがあるのだろうか。確かに矢印屋はあの女が妻だと言った。だがもしそうならばなぜ彼女と私の間を引き裂こうとしたのだろうか。すべて矢印屋の陰謀なのか。それともドットという会社の監視の結果がこれなのか。
操縦者を失って気球は風任せになってしまった。矢印屋は都内へ飛んでいくつもりだったのかもしれないが風は逆向きのようで私は橋の上方をやや斜めに押し戻されるように飛行していた。明るく輝いて見える東京はゆっくりと遠ざかり真っ暗な川面が広がりつつあった。バーナーの扱い方はわからない。このままだといつか気球は熱を失って墜落してしまうかもしれない。だが不思議とそのことに対する焦りはなかった。むしろゴンドラの上から今まで自分が通ってきた橋の構造を検分しようと身を乗り出した。橋は外側から見ると恐ろしくグロテスクな構造物である。もともと建築された狭い橋梁の上にあちこち継ぎ足し建築がなされ、まったく構成上の美観ということには配慮されていない。不規則に空中に張り出した建物は住居なのか店舗なのか実に様々な形状でカオスの様相を呈しており単に見た目が良くないだけではなく安全上も問題があるのではないかと思われる。ガンが無際限に増殖し人間の臓器を破壊していくように橋に発生した様々な機能が次々にあちこちから噴出し、本体のもとの形状がわからないまでに膨張している。いつまで持つかわからないが臨界点が来たとき橋は寄生している建築物ともどもクラッシュして川に沈没することだろう。あの薪ストーブの傍らでお茶を飲みながら暮らしている品の良いインテリ夫婦、巨大なGRANGEという店、矢印屋や教授の化けたニョロニョロ、まずい蕎麦屋に詩人サービス、ドット社が所有しているという高層マンションも全て混沌としたまま沈むのだ。
そして、あの女。
私はあの女を助けられなかった、いや助けなかった。置いてきぼりにしたのだ。妻かもしれないあの女を。
あなたの理想の妻は? あたしに何を望んでいるの? どんな妻が欲しかったの? と問われ結婚当初からいつも私は、特別な注文などないさ、と答えたものだった。
朝は亭主より先に起きてテーブルにぱりっと折り目のついた朝刊を置いて、手際よく朝食の膳を並べると、洗面所にはお湯を張った洗面器をさりげなく用意して髭剃りや歯ブラシもチェックする。朝食が終わると背広をすばやく着せて玄関でいってらっしゃいと明るい声で送り出す。夕方帰ってくれば三つ指突かないまでも戸口まで迎えに出て上着を受け取り、既に風呂は準備されていて時によっては背中を流す。これならどんな疲れもほぐれるというものよね。そして好物の並んだ団欒の席にはちょっと人肌程度の熱燗が黙っていてもすっと出てきて、空になる前に次のお銚子が置いてある。やあ、すっかりいい気分だなあと横になるときには布団の中は湯たんぽでほっかほか。亭主が眠りにつくと翌朝の準備で靴磨き。そんな奥さんがいいのかしら? 残念だけど無理ね。今更そんな女は居ないわよ。「寅さん」でも見て我慢してもらうしかないわ。オードリー・ヘップバーンや吉永小百合のような妻がいいと言うのなら自分の顔を見てからにしろ、と答えるしかないしね。どうしてもって言うのなら美容整形代五百万円くらい出しなさい、って言う話。それともとにかく黒髪が美しく胸が豊かで脚が長くスタイルが良ければ、というフェティッシュ派かしら。特別な注文がない、なんて言う男に限ってあれもダメ、これもダメ、と実はがんじがらめになった理想像があったりするのよ。まあ女もそうだけどね、
そんな自虐的な饒舌で妻は自分の殻を守っていたのだ。矢印屋の言うとおり全部を望むのは欲張りなのだろう。しかし何も望まないというのも犯罪的だ。本当は妻に対して何を望んでいたのだろうか。もし彼女が橋の上で暮らすことを望んで出て行ったのならそれで良いではないか。それとも無理にでも連れ戻したかったのか。あるいは彼女と一緒ならばあそこに残りたかったのか。そして彼女は私に何を望んでいたのか、私は彼女を裏切ったのか。
いずれにせよもはや取り返しのつかないことになった。あの女に会うことはきっと二度とないだろう。遠ざかるにつれ橋の輪郭は朧になってくる。そうだ、妻であろうとなかろうと彼女も橋の記憶と共に永久に封印されてしまったのだ。
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