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助走
カンボジアに到着して1週間。
怒涛の勢いで時が過ぎ去っていく。
親しい人たちから送られてくるメッセージから
改めて自分がいかに愛されているのかを思い知った。
やっぱり私は恵まれているんだろうな。
絵空事のように思えていたカンボジア生活が今
形になってきている。
休学届を出してからまったく実感が湧かないまま、カンボジアに来てしまった。
願った事実は、行動さえすれば現実になるものなのかもしれない。
期日は黙っていても来るからこそ、今自分にできることに全力を傾けること。
改めてわたしはこれから何になるのか、どう生きていくのか。
また、わけがわからなくなってきた。
アートと呼べるものは、果たして意味を成すのだろうか。
わたしは「教育者」として生きていけるのだろうか。
「教育者」となるのであればそれに対する専門性は必須である。
そういった意味で私にはまだ、専門性はない。
人に教えられるほどの専門性を。
じゃあ、どうやってつけるのか?
名乗ればいいじゃん。
自分の中での専門性を主張しながらそれを強みに、アップデートしながら生きていく、すなわち「ハッシュタグをつけるような生き方」をしていくのが理想だと。
ただそれは、自分の中に宿した知識や努力・実績というものがなければ実現できないようなものであるということも確か。
であれば、私は私でアーティストになるしかないと。
そして、やってみたいと。なってみたいと。
正直、ワークショップだけでやっていってもうまくいかないということは知っている。
でもやってみたい。
「お金を払ってまでもワークショップを体験してみたい」
「お金を払ってまでもこの人から学んでみたい」
そのバリューを生み出す源となるのは、その主体が何をし何を考え生きているか、そして何を成し遂げてきたかだから。
人は背中でしか語れない。
未来でしか引き込めない。
ならば。
今こそ、過去になることもこれからの未来への展望もすべて担っていると。
それならやるしかない。
私自身、今回は自由が武器になると思っている。
自由だからこそ時間がある。
その時間をどう使うのか、もう一度戦略を練り直して
感情的に、それでいてロジカルに
私らしい形でこの世界に問いかけていく。
まだまだ助走段階
甘いところも多々ある中ではあるけれど
やりがい搾取や組織の中での燻りだけで終わることのない
主体的な社会貢献を目指したい。