熱冷めやらぬうちに。
だいぶ過ぎてしまったけれど、忘れないうちに。
実習先の小学校で行われた運動会に行ってきた。
もともと教育実習に行っていたころたくさんお世話になったけれど、教育実習ではみんな10時間以上授業をする。が、頑張っても21時間くらいが相場。
その中私は30時間近く授業をさせてもらった思い出がある。楽しかったけれど板書案を書くのが大変なのに加え、毎日外で遊んでいてクタクタになった後に塾へ行ったりミーティングしたり。正直今の自分には決してできないスケジューリングで進んでいった1ヶ月だった。そんな日々に思いを馳せながらバスを降りると
せんせーい!!
バスを降りてすぐ、バス停の向かい側から大きく手を振る元気な子供たちの姿があった。それを見てやっぱり自分は子供が好きなんだと、幸せにしてみたい、関わってみたいと思えるのは子供たちなんだと気づくことができた。
最近、自分がやろうとしていることが果たして成り立つのかと考えることがよくある。
やろうとしていることはどうしてもありきたりで、やったらそれっきりになってしまうものが多くて。
それをどうにかしてカタチあるもの、定期的なものにしていかなくてはならないとも思っていて。
だから私は、大きく言えば
非日常を日常にしたい
というのが根本としてあるんだろうなと。
私たちが今までに感じてきた「非日常」たるものは、往々にして2種類に分けられると思っていて。
1つは今回行ってきた運動会のように、ある程度文化として根強く設定されているもの。
そして、その場限りで終わってしまうもの。
フロントイベントという目的があってのものならいいにしろ、メインイベントが単発になってしまうのはなんとももったいない。
そんな意味で、私は文化としてそんな行事を広めてみたい。今までなかったものができあがっていくその瞬間を、この目で目の当たりにしてみたい。
そんな想いでいる。
私自身、小さな人間でしかないし、コネも実績も全くないけれど、休学する3年間で何かしら語れる経験は積んでおきたいと思っていて。
それは誰かのため、というよりは自分のためなのかもしれない。
「この20年生きてきて何もしてないじゃん」という自分の声に口答えするためなのかもしれない。
と考えればだいぶ自己中心なのかもしれない。
「自分なんかが」とか
「こんな自分にできるんだろうか」という考えは何度も持った。
「夢がない」とか「具体性がない」とか「ぶれてるよね」とか「やめちまえ」とか。
ネガティブな意見は腐るほどもらってきた。
うるせえ、やらせろや。
最初はそれに尽きる気がする。
もちろん意見を求めたりさせていただいている身なので、苦言の方は真摯に受け止めて改善していくつもりだけど。
そんなんじゃぜーったいに失敗する。
失敗するのは怖くはないけれど、それなりの大失敗をするんじゃないかと身構えていても緊張はする。
気にしすぎてしまう自分には、後ろ向きなアドバイスと向き合いすぎて停滞しまくるのが癖としてあるので、適度に受け止めることにした。
私としても今、初めてのアイデア不足中である。
「夢とアイデアを愛し続ける」とか言っておいてだけど。
前まではいろいろと出てきていたのに、今となるとなかなか出てこなくなってきている。正しく言えば「出てきてはいるけれどまだまだ小さいものにとどまってしまっている」かな。
多分それは
「MOSAICとしてやっていかなきゃいけない」
「アートを使わなきゃいけない」
「斬新なアイデアじゃないといけない」
そんな意識が邪魔してしまっているんじゃないかと。
大切なのは「鹿島大貴としてどうやっていきたいか」だから。
その先に「何を使ってやれそうか」を決める。
リソースばかりに目を向けないこと。
あとはインプットが単純に少ないのかもね。
想いを実現するために、もっと自分の想いに自信を持つこと。
「誰に何と言われようが」と揺るがないこだわりを持つべきところは持つこと。
正直伸びしろしかない。