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関係、というものについて。
世の中にはいろんな関係性がある。
家族、友達、恋人、男友達、女友達、仲間…
外部の人さえも赤の他人、学校の人、バイトの人、知り合い、よっ友、あれの繋がりこれの繋がり…
LINEのグループも次々と人が抜け、1人になったグループがたくさん溜まっている。
みんな色々と整理したがるし、その関係の作り方、生み出し方も人様々にある。呼び方も違う。
相手との関係に名前をつける意味ってなんなんだろう?
友達って何?何をもって友達と言うのだろう?
なんてことを、最近考えてる。
一緒にどこか行けば友達?
授業で話しかければ友達?
定期的に会えば友達?
人生のこと色々話せるようになれば友達?
これもまぁ、いろいろある。
小学生の頃は見境なくみんな友達だったのになぁって。
人の関係には言葉にしなくてもいいものも、もしかしたらあるのかもしれない。
それでも定義したがる自分がいたり。
さらに。
友達はわざわざ口に出して友達になる瞬間がないのに、私が「友達」と呼べる人との関係を見ると、お互いの中で『友達である』という確固たる信頼と安心がある気がする。
でも男女となると、もっとわからない。
毎日連絡を取るから恋人なのか
告白してOKもらえれば永遠に恋人なのか
デートするから恋人なのか
身体の関係をもったら恋人なのか
でも、恋人も都合のいい関係も紙一重。
人に期待しすぎるのはやめたい
頼りすぎたくない
嫌われたくない
依存したくない
自分の根本を変えたくない
過去とか曖昧だった関係とかまあいろいろあって、最近気づいたものも含めれば、拭えない傷も心配事もたくさんある。
でも変わろうとしてる自分がいて
なんとかしたいけどできない自分がいて
それでもなんとかなるだろうと期待している自分がいる。
どんな関係だとしても、人と向き合っているという感覚は失いたくない、と私は思っている。
関係の名前に惑わされない。
その人の言葉の紡ぎ方、私との向き合い方。
その人の人生があって、私の人生があって。
その人生同士の出会いや自己開示の段階に、関係という名前がついているだけだと思うから。
目の前の人と向き合う。関心を向ける。
それだけでいい気がするんだ。
まぁ、それが難しいんだけどさ。
取捨選択ばかりの世の中だけど、今周りにいてくれている人を幸せにできなきゃ、世界中の人と幸せになることなんてできないと思うから。
だからこそ私は
私自身が大切にしたいと思う人を
私を大切にしてくれる人を
今そばにいてくれている人を
今出会えている人を
今の私に向き合ってくれている人を
今日も大事に大事に生きていく。