釣り人語源考 古文書の魚名 随時更新
『和名抄』や『大和本草』など古文書に記載されている魚名には、現代では何の魚かよく分からなくなった名前がある。
釣り人の知見と誇りを持って、これを比定していこう。
〈R6/9/1〉
「タカノハダイ」や「小瀧鯛」のところで『本朝食鑑』の引用が出たので、
「京都大学デジタルアーカイブ」で『本朝食鑑』を閲覧したのだが、
「鯛」の一種の中に、何かよく分からん謎の鯛が記述されていたので急遽取り上げてみた。
基本的に「なんだこれ」という魚は最優先だ!!!
「一種、鱗に五色の錦の紋ありて、形はカレイの如くしこうして肥大し、7,8尺あまりなる者、これ名を「錦鯛」と曰う。
江都(江戸)の漁市もまた、稀に有り偶く有り、此れを得たときは人が垣根のように取り囲み、値段は10倍になる。」
7~8尺は超でかい・・・!
2mを超えてくる巨大魚で、横から見た形も「カレイの如く」肥大しているという。
鱗が五色ということは、緑色や黄色、赤色などが混ざった体色をしている魚だ。
そして魚市場での評価がスゴイ。ごくごくまれにこの「錦鯛」が市場にセリに出されると、仲買人と見物人で「人垣」になるという。「如堵」。そして他の魚の10倍の「價」となるという。
この「錦鯛」とは何だろう?
巨大魚・色合い・値段から考えて、「メガネモチノウオ」だと思う。
最大2.3m、190kg、体高・幅とも巨大、ベラ科の仲間で世界最大種であり、日本では南西諸島に生息するが、紀伊半島でも記録がある。
沖縄や台湾、支那南部での市場の評価は最高で、味の評価が高くてその希少性から最も高値の魚である。
江戸の魚市場に「メガネモチノウオ」が運ばれていたなんてマジですか~!
魚の流通網は想像以上に発展していたようだ。
江戸時代から日本は先進国じゃねえか…現代の東京築地でメガネモチノウオが食えますかね?ビックリですよ。
今まで「『本朝食鑑』にナポレオンフィッシュが載ってます」なんて見たことも聞いたこともなかった。
博物学と古文書に詳しい荒俣宏氏ならば知っていたかもしれない…誰か連絡先を教えてください。
(続く)
〈R6/9/1 追加〉
結局のところ、「くろだい」と呼ばれる魚は多数の種類があり、それぞれチヌだ、タイの類だ、スミヤキの類だとか古代から江戸時代まで、本草書などでずっと混乱していた状態だった。
『水族志』を書いた畔田翠山先生によって、はじめて本格的な分類学によって魚名が考証された。
では水族志では「クロダヒ」とは古来では何であったのかを解説している。
『水族志』3番「クロダヒ」を見てみよう。
クロダヒ 同名あり、この項目の魚はマダイの中の「クロダヒ」なり。
「黒鯮」。
「『大和本草』に、タヒに雌雄あり。雄は色が淡い黒で、背に角がありと云う。そのタヒの雄こそが此れだ。」
マダイの雌雄は大型になるにつけ、釣り人には容易に判別できる。
特に春のノッコミ時期は資源保護のために卵を抱えた大型メスはリリース推奨である。メスは顔が柔らかい感じでオデコは張らず、美しい「桜鯛」のピンク色である。
しかし極論を言えばマダイ雄は、少し生き残っていれば充分に子孫を残す。
そしてマダイは大きいほど味を落とすが、「白子」は大型マダイほど貴重だ。
頭がデカく厳めしくて肩が盛り上がり、色は黒ずんだ赤であるオスは、普段では美味しくないので即リリースだが、ノッコミではとても喜ばれる。
「マダイ白子」は・・・特別なんだ・・・
マダイの雌雄判定は釣り人にとっては必須の技術だ。
「『揚州畵舫録』に、黒多く紅少ない「黒鯮」は曰く、形状はマダイと同じくして背は淡く黒色を帯び、頭もまた黒を帯びる。その尾は色浅く、大物は4,5尺。」
4~5尺は1m超えるくらいで、これはデカい!!
マダイの老成オス以外存在しないだろう。
「『本朝食監』に、一種ウロコが紅で不ず、しこうして幅広く、微かに黒を帯ぶもの有り。形は偏長し、しこうして頭は円からず。
およそ黒鯛の類いで、味はまた佳からず。
『江都漁市名』、これを「小瀧鯛」と曰く、総(千葉県)の小瀧で産する所なりと云う者、黒鯮の一種なり。」
『本朝食監』(1697年 元禄10年 人見必大)は江戸時代の食品図鑑の傑作と称される。その時代では「小瀧鯛」は黒鯮の一種だとされている。
本朝食監における「小瀧鯛」は説明文によるとやはり「クロサギ」のような感じだ。
江戸時代では「黒鯮」はチヌだとされていたのは確実だ。
黒鯮・尨魚・海鯽の3種が、古代日本では別種であったのに江戸時代では混同されている。
(続く)
〈R6/8/30 追加〉
『水族志』22番、「へダヒ」を調べてみよう。
ヘダイはタイ科ヘダイ属で、見た目はチヌに似ている。
「勢州阿曾浦の漁人が云うに、「マナジ」又は「マキ」と呼び、長じては「シラタヒ」と称す。
形状は「チヌ」に似て、頭は隆起し、口は円くして尖らず。
腹は白色にして淡い黒條あり。
背は淡い青色。淡い黒條あり。
眼より尾に至り、條に淡い黄を帯びる。
尾は黄色で淡い黒を帯びる。胸ビレは淡い黒色で黄を帯びる。
背ビレは又、同色にして端は微かに黒色。
尻ビレは黄色で淡く黒を帯び、腹ビレは黄色で長じては色が浅くなる。
大者は3尺あまり。」
漁師さんの説明によると、標準和名ヘダイは小さいうちは「マナジ」「マキ」と呼ぶけど大きいものになったら「シラダイ」と呼ぶという。
これらの地方名は現代でも残っている。
「眼から尾にかけての條に黄色が帯びる」と記載されるが、ヘダイの英語名は「イエローライン・シーブリーム」ということで「黄色い線」を表していて説明がピッタリだ。
次が難解な「ヘダイの別種(イ)シマダヒ」が登場する。
もちろんだが「シマダイ」という地方名を持つ「標準和名イシダイ」は「スミヤキ別種ハス」として記載済みであるので、「ヘダイ類シマダヒ」は全く別の魚であるはずだ。
「シマダヒ 形状「へダヒ」に同じくして、背は淡い青白色。腹は白色にして、背より腹上に至り淡い黒斑條をなす。
尾ビレや背ビレは淡い黒黄色。尻ビレは黄色。
…いやはや何だろう、この魚????
ヘダイにそっくりで、身体に黒色の斑点の條があるということだ。
かなり探したが、おそらく「ユウダチスダレダイ」だと比定する。
顔や形状はヘダイに似ている感じであるし、点線のようなスジがある。
この魚以外は存在しないと思う。
「ユウダチスダレダイ」と「スダレダイ」はスジの変化だけが種の見分け方であるが、遺伝子的にはほとんど変わらず、スダレダイはかなりの希少種であるがユウダチスダレダイは東南アジア諸国では広く生息する一般種である。
しかし日本ではユウダチスダレダイはかなりの珍魚であり水族館での展示はほとんどない。
江戸時代では気候がかなり温暖であったので、紀伊半島の南部地域でも熱帯に生息する魚種が豊富にいたと思う。
「へダヒ別種シマダヒ」はその証拠だろう。
さらに次の記述を調査しよう。
「『日東魚譜』曰く、「縞鯛」は鯛に似て、赤褐色の身の上に、斜めに條が有り、故に名づく。
すなわち別種の「シマダヒ」なり。」
…赤褐色でナナメに條がある魚はひとつしかいない。
「タカノハダイ」のことだ。
現代のタカノハダイの地方名にも「シマダイ」が残っている。
『本朝食鑑』の「鵰の羽鯛」の項目では、「形は小滝に類し、鵰の斑のような鱗紋を持つ」との記述がある。
「小滝」とはチヌを調査したときに判明した「標準和名クロサギ」の「小瀧鯛」のことである。
「タカノハダイ」と「クロサギ」は形が似ている、ということで、タカノハダイはチヌ・へダヒの類だと分類されたのだろう。
調査が進むにつれて、かなりの知見が蓄積されてきてスッキリな感じだ。
(続く)
〈R6/8/23 追加〉
『水族志』15番の「チヌ」を調査しよう。
『水族志』の「スミヤキ」の解説では、「烏頬魚スミヤキ」の一種である、「尨魚クロダヒ」は「標準和名アオバダイ」の事だとしている。
平安時代の辞書である『倭名類聚抄』では「尨魚クロダヒ」と「海鯽チヌ」は別種として記述している。
しかし後の時代では「チヌ」はクロダイの地方名とされ、同一種とされた。
そしてその状況は現代でも続いている。
『水族志』は長い時代の中で「誤って」伝えられてしまった魚名の正体を、正確な考証によって蘇らせている。
「チヌ」 一名クロダヒ(備後因島)、マナジ(紀州熊野九鬼浦、勢州松坂。この魚、智ありて釣緡を知る。故に名づく。
紀州日高郡の海人は云う、「チヌは海の巫なり。」)
・・・すごい・・・なんと「チヌの語源」の謎までも解明されてしまった!!!
定説では「チヌの語源は”茅渟の海”に多く産したため」であるとされているが、逆に茅渟の海の語源でも「魚のチヌが多いため」とされて「循環論法」していて根拠が意味不明であった。
しかし畔田翠山によると「チヌは釣り糸を見抜く智慧を持った魚」であることが語源であった。
マジですか~~~
我ら釣り人はよく知っている事であるが、チヌはマジで賢い。
あらゆるチヌ釣りのジャンル、どれでも、すべて難しい。
雑食性であるがゆえに、警戒心が強く簡単には食いつかない。
「フカセ釣り」をしたことがあるなら、「チヌは糸を見ている」ことはよく知っているだろう。
「海の巫」とまで呼ばれていた、人間の知恵を凌駕する魚ということだ。
しかし古代の音韻は失われてしまったのかもしれない。
釣りで使う時の「緡」という漢字の訓は、現代では「いと」と読む。
しかしこの訓は現代に残った訓であって、失われた古代の大和言葉があったのかもしれない。
考古学の研究では、縄文時代では釣り糸として「麻(アサ)」を使ったのではないかと推察されている。
古事記や日本書紀ではスズキを海人が釣るのに「楮縄(コウゾ繊維)」と書かれている。
日本列島に野生種として生息する、「ヤママユ」という蛾を、卵の時から半野生で保護し繭を集めて生糸としたものを「てぐす(天蚕糸)」と呼ぶ。
ヤママユの繭繊維は黄緑色で細く軽い。
支那大陸で家畜化された「カイコ」という蛾は、完全にその生育を人類に依存した存在だ。
「クワコ」を家畜化したものがカイコで、5,000年以上前に育種されたという説が一般的だが、その成立過程は全くの謎だ。
釣り糸としての「テグス」の利用の開始は江戸時代初期とされている。
宮本常一によれば、大阪に出かけた漁師が、たまたま店で輸入された品物を縛っていた「透明な糸」を見かけたことに始まる。
「この透明な糸を釣りに使えば、とても良く魚が釣れるかもしれない。」
漁師はこの糸を店主に聞くと、「これはカイコが糸を吐いて蛹になる前に、唾液腺を取り出して液体を集め、ゆっくりと引き延ばしながら穴に通して太い単糸にした糸だ。捨てるものなのであげよう。」
漁師はもらった糸で釣りをすると、バンバン釣れて大成功をおさめた。(知らんけど)
成功した漁師のおかげで釣りの利用に広まり、後に大阪で専門問屋が開業し「テグス」と名付けられて、現代の合成繊維時代まで名前が残っている。
こうした繊維を織ったものを「ぬの」とよんだり「きぬ」と呼んだりした。
「きいと」を織ると「きぬ」と成るのだ。
「ぬ」という音が「繊維」を表していた大和言葉だったのかもしれない。
神道で使う「大幣」や「切麻」は「ぬさ」と呼んでいる。
麻の糸で出来た大幣や切麻という神具に古代の名前が残っている。
はたして「ちぬ」とは「智緡」ということだろうか…
こうした大和言葉がはっきりと存在したのかは分からない…
しかし痕跡らしきものは残っている。
「縫う」という動作は「布と布を、針に通した糸を使って、ジグザグに縫い合わせる」事によって、目的の布製品に仕立てる訳である。
「ぬう」という言葉の中に、「ハリと糸が合わさり、潜り込み、絡めとる事によって成す」というイメージが存在する。
糸に鉤を結び、餌を付けて水中へと投入し魚が喰らいつくのを待つ、という動作を、かつては「ぬう(縫う)」「ゆう(結う)」で表していたのではないだろうか。
中世日本では、釣りに使用する糸は「す(素)」と呼んでいたことは間違いない。これはおそらく「てぐす(天蚕糸)」からの派生だろう。
釣り鉤を結んで道糸までつなぐ糸を「はりす」と呼ぶ。
馬の尾の毛を結んで、渓流釣りで毛鉤を投げられるように先の方を重くした和製テーパーラインである「ばす(馬素)」がある。
さてチヌの備後因島の地方名で「クロダヒ」が挙げられている。
これにもビックリだ。
隣の向島に結婚以来長く住んでいたが、チヌは「ちぬ」だ。
「くろだい」と呼ぶ人は見たことない。
関東地方の名称がクロダイだと思っていたが、本当はちょっと違うのかもしれない。
また「マナジ」という名前も挙げられている。
現代では「ヘダイ」の地方名にマナジが残っている。
そしてもう一つ、「標準和名クロサギ」の地方名としても「マナジ」が伝わっている。
『和漢三才図会』の「尨魚クロダヒ・海鯽チヌ」の一種、「小瀧鯛」を比定したとき、推論した結果「クロサギ」であるとした。
すると偶々にも「クロサギ=マナジ」ということが判明して「小瀧鯛=クロサギ」がほぼ正しかったと思われる。
〈R6/8/25 追加〉
チヌの本文を現代語訳してみよう。
「形状はマダイに似て、淡い黒色。青を帯びている。
背より腹上に至りて、淡い黒色の横斑がある。腹は白色。
生長して2尺に及べば、横斑は消え去る。
『大和本草』曰く、「チヌ」は「タヒ」に似て、青黒色。
好んで人糞を食う故に、人はこれをいやしむ。」
(イ)「カイズ」 『物類称呼』曰く、小なるものを「カイズ」と称す。
案ずるに、今年の秋月に及びて、チヌの子が生長して2,3寸になるを通じて「カイズ」という。
(ロ)「黒チヌ」 一名マナジ(勢州慥柄浦)
形状チヌと同じくして黒色を帯びる。背より腹上に至り黒條あり。腹は白色。そのほかは「チヌ」と同じ。
最近、筆者は広島市を流れる太田川で、大型のブラックバス用トッププラグでチヌを狙う「イキリトップチヌ」を指導していただきながら楽しんでいる。
潮汐に影響ある河川域の最上部でも、釣れるチヌは真っ黒タイプも白銀タイプも同じように食ってくる。
「背中が真っ黒な”黒チヌ”はいわゆる”居着き”。日焼けして黒くなっている。浅い場所や河川に遡上するのは黒いチヌじゃ。銀色は”回遊タイプ”で深場にいるんよ。」とまことしやかに説明されていたが、はたして本当なのか分からないな。
しかし昔からチヌに黒色と銀色があることは認識されて別名を持つ地域もあったようだ。
〈R6/8/15 追加〉
『和漢三才図会』の「すみやきだひ」を調査しよう。
「烏頬魚」 すみやきだひ
「案ずるに、烏頬魚は形・鱗ともにコイチに似て、しこうして微かに赤光を帯びる。 頬に黒紋ありて墨を引くがごとし。 大なるもの7,8寸。
肉は白く脆く淡く甘美。 夏・秋に多く出る。」
この魚は…う~~~~む…
「コイチ」はニベ科ニベ属の魚である。
大きさが20~25㎝まで生長し、コイチの魚体の形やら鱗が似ていて、スミヤキの地方名が現存しているのは「コトヒキ」である。
夏から秋によく釣れる。
しかし「赤光を帯びる」「頬に黒紋がある」というスミヤキがいる。
「ネンブツダイ」だ。
テンジクダイ科スジイシモチ属ネンブツダイは地方名スミヤキと呼ばれる。
釣り人界隈では「キンギョ」と言ってリリースだが、岡山や広島の備後では「ねぶと」と呼んでスーパーに売られている大衆魚となっている。
江戸時代より以前から、ニベ科とテンジクダイ科の魚は「大きな耳石を持つ」という共通の特徴によって、どうやら同じ類の魚であるような扱い方だと感じる。
『大和本草』や『和漢三才図会』など本草学では「イシモチ」として同じ仲間の魚だと思われていたのでないだろうか。
古文書では異様なまでに「スミヤキ」という名前の魚が氾濫している。
色々考証して分類していった『水族志』の畔田翠山先生はたいへん苦労しただろう。
〈R6/8/15 追加〉
『和漢三才図会』の「くろだひ」を調査しよう。
「尨魚」和名くろだひ
「海鯽」和名ちぬ
『和名抄』は以って二物と爲す。實は此れ、一物也。
「尨魚」は「くろだい」、「海鯽」は「ちぬ」と読む。
『倭名類聚抄』では別種としているが、実は一緒の種類だ。
おっとクロダイとチヌって、『倭名類聚抄』の時代では別の種類だと思われていたみたいだけど、『和漢三才図会』の時代では同一種だとされたようだ。
それが現代でも続いているが、『水族志』では「クロダヒ」がアオバダイであると述べている。
「ちぬ」という名前は、かつて大阪湾付近の海を「茅渟の海」と呼んだから…と述べている。
マダイは夏に味を落とすが、チヌは夏が旨い。
チヌの鱗は磨ぎたる鉄・鉛のごとし。
肉には微毒があって、「血を破る。」 妊婦や皮膚病の人はこれを忌む。
尾の長き者を「海津(カイズ)」、毒がはなはだしい。
チヌの語源が「茅渟」という地名に因むとしている。
茅渟は古事記や日本書紀によると、神武東征の時に兄の五瀬命が受けた矢傷を洗った所を「血沼」と称したと伝えている。
「血を破る」という言い伝えはこの「血沼」の故事からと思われる。
さらにチヌは雑食性で、しかも川をよく遡るので、古代の大都会であった大阪の川沿いは「厠」(川の上に建てた水洗ぽっとん便所)が沢山設置してあったと思われ、その人間たちのウンコをチヌがモリモリ食べていただろうと思われる。
暑い時期にチヌを適切に処置できなかったり(当然ながら当時は上水道や冷蔵庫の類は存在しない)、内臓(肝や卵巣など)の熱処理が弱かったりすると、食中毒や寄生虫に罹患してしまう。
そして当時の金属加工に伴う鉱毒についての知識も乏しかったはずで、鉄・銅・金の精錬に伴う水銀、などの汚水が河川に流入し、チヌの内臓に蓄積した可能性が高い。
流産や皮膚病の悪化などは鉛や水銀の症例ではないだろうか。
「カワズ」は小型チヌの呼び名として現代でも使う地域があるが、「尾が長いチヌ」のことだと言っている。
もしかしたら「キビレ」のことかもしれない。
神功皇后が角鹿(敦賀)から船に乗って、渟田門で船上でご飯を召し上がる時、船にチヌが集まってきた。
皇后がお酒を垂らすと、チヌが酔って浮いてきたので海人が多いにすくった。
喜んだ海人は「聖王の下さった魚や!!」と言った
その時から六月になると、チヌは船影に寄ってきて、酔ったように浮いてくる…
というお話は、非常にチヌの性質を的確に捉えている。
水温が上がってくると、チヌは係留してある漁船やボートの下に集結し、なにやらツンツンしたり泳ぎ回ったりするのが観察される。
「島鯛」 海鯽に似てしこうして小さく、4,5寸あまりに過ぎず。白黒の横紋有り、相重々に混ざらず。
…これはイシダイの幼魚だ。
「小瀧鯛」 鱗の色は紅にうるまず。しこうして微かに黒を帯びる。
形は扁り、長く、しこうして頭は円からず。眼の色は鮮明なり。
あらかたチヌの類だ。
肉は柔らかく、味は良くない。
これは総州の小瀧において多く出て、故に名づく。
また泉州・淡州にこれを出だす。「知鯛」と名づく。
…はて?この「小瀧鯛」とはなんだ?
千葉県の「小瀧」という地名で多く捕獲されるという。
また大阪和泉、淡路島でも獲れるという。
「知鯛」という別名だ。
…全く自信はないが、おそらく「クロサギ」ではないだろうか。
千葉県で多く獲れ、よく食べられている。少し黒い。
扁平だが長く、頭は丸くない。肉はやわらかであんまりおいしくない。
〈R6/8/16 追加〉
寺島良安先生が本当に正しいのか、『日本書紀』の原文、仲哀天皇の条を見てみよう。
夏六月辛巳朔庚寅、天皇泊于豐浦津。且皇后、從角鹿發而行之、到渟田門、食於船上。時、海鯽魚多聚船傍、皇后以酒灑鯽魚、鯽魚卽醉而浮之。時、海人多獲其魚而歡曰「聖王所賞之魚焉。」故其處之魚、至于六月常傾浮如醉、其是之緣也。秋七月辛亥朔乙卯、皇后泊豐浦津。是日、皇后得如意珠於海中。九月、興宮室于穴門而居之、是謂穴門豐浦宮。
やはりちゃんと船に寄ってきたのは「海鯽魚」と書いてあった。チヌのことだ。
現代の『日本書紀』の研究書では、海鯽魚をマダイの事と誤認していたので、酒に酔って浮いたのを「マダイの浮鯛現象」であると解説している。
そのマダイと誤解していた元本だろうと思う『日本書紀通証』(1762年 宝暦12年 谷川士清)と『芸藩通史』によれば、現在の三原市須波町と高根島との間の「青木瀬戸」が「渟田門」の比定地であると記述されている。
しかし、「渟田門」の読み方は「ぬたのみなと」ではなく「つたのみなと」であって三原の沼田町ではない。
縁起のある神社の所在地から、「渟田門」は福井県三方上中郡若狭町常神の付近であるとされている。
また旧暦の六月は現在の8月であるので、激しい潮流によって浮袋の調整が間に合わずマダイが浮いてくる「浮鯛現象」の時期とはズレている。
良安先生、サスガです。
〈R6/8/10 追加〉
『水族志』の四〇、「カイグレ」を調べていこう。
はじめに断ると、この魚もよく分からない。
文献やネットの情報によると、「カイグレ」とは「標準和名コロダイ」または「標準和名コショウダイ」の尾鷲付近での地方名とされる。
しかしながら、『水族志』を研究した結果は「ホウゾウダヒ」が「標準和名コロダイ」であり、「ホウゾウダヒ別種(ロ)」が「標準和名コショウダイ」である。
更に注意すると『水族志』19番「コロダヒ」の地方名に「勢州阿曾カイグレ」と記載されている。
この「40番カイグレ」はコロダイ・コショウダイと同じ地方名を持つ、全く別の魚であると思う。
別名「ナハシロカイグレ」の由来に「紀州田邊にて苗代を作るころ、多く捕獲す。故に名づく。」と、春に獲れる魚であると言っている。
また「イサキ」に形状が似ていると記述され、「マダイ」に似ているとは言っていない所も、別種の可能性が高い点だ。
「熊野の海に多し。 形状は「イサギ」に似て、細鱗であり、尾ビレはわずかに岐あり。
背は青黒色にして、褐色に黄を帯びる星点あり。
腹は白色で淡い青黒を帯びる。
眼の下、口の脇よりエラに至りて、褐色でわずかに黄を帯びる縦條あり。
第一背ビレは淡い青黒色にして、黄褐色の星点が二行に相並ぶ。
第二背ビレは淡い黒色にして、青を帯びる淡い黒斑がある。
尾ビレのもとは淡い黒色で、なかばは青黒色、末端は淡い黄色。
尻ビレは小さくて黒色。胸ビレも黒色。腹ビレは青黒にして端はわずかに黒色なり。」
記述は詳しく詳細である。
最も特徴的なのは背ビレの模様であり、「黄褐色の星点が二列に並ぶ」としている。
いったい全体、この魚は何だろう…
参考までに、39番「ウミマス」は「ハマダイ」、41番「イサギ」は「イサキ」である。
〈R6/8/11 追加〉
とりあえずピンときた魚は「チョウセンバカマ」だけだった。
身体の模様、第二背ビレの模様、尾ビレの模様はピッタリだ。
しかし「背ノ上鬣淡青黒色ニシテ黄褐色ノ星㸃二行ニ相並ブ」がなんとも言えない。
もしかしたら幼魚の特徴を記述しているのかも。
「チョウセンバカマ」は1科1属の珍魚だ。
生息地は広いが、網漁でもなかなか獲れず流通しない。
長崎では朝鮮通信使が往来していて、その正装を思わせる姿からの命名だろう。
その他、「トゲナガイサキ」という地方名があって、イサキの仲間と思われていたようだ。
さて「カイグレ」の由来は何だろう。
今時点ではよく分からない。
「釣り人語源考 魚唐(たこし)」の記事では、「グレ」の語源が「崩れ」であるとした。
しかしチョウセンバカマやコロダイ・コショウダイはそんな海岸の断崖には生息せず、どちらかというと砂地が広がる外洋に点在する根を好んで生息する。
同じような生息地だからそれにちなんだ名前かもしれない。
〈R6/8/8 追加〉
イシダイ属についてまとめてみよう。
世界にはイシダイ属は7種が確認されている。
イシダイ Oplegnathus fasciatus (Temminck & Schlegel, 1844)
日本近海、朝鮮半島南部、済州島、台湾、香港周辺
イシガキダイ Oplegnathus punctatus (Temminck & Schlegel, 1844)
日本近海、琉球列島に多い、朝鮮半島南部、済州島、台湾、香港周辺
日本近海にはイシダイとイシガキダイの2種が生息する。イシダイよりもイシガキダイのほうが南方性が高い。
伊豆諸島やマリアナ諸島には流れ着いた個体が生長し巨大老成魚となるが産卵した稚魚は海藻に付いて浮遊生活するため居付かないとされる。
ケープナイフジョー Cape knifejaw Oplegnathus conwayi
西インド洋、南アフリカのケープタウンからダーバン間の海域に生息する。
パシフィックビークフィッシュ Pacific beakfish Oplegnathus insignis
東太平洋、チリ〜ペルー、ガラパゴス諸島に生息。
モザンビークナイフジョー Mozambique knifejaw Oplegnathus peaolopesi西インド洋、マダガスカル、モザンビークのマプト湾
ナタールナイフジョー Natal knifejaw Oplegnathus robinsoni
西インド洋、モザンビーク、南アフリカ、特に南アフリカのナタール地方にあるセントルシア湖という河口の湖に多く生息する。
オーストラリアナイフジョー Knifejaw Oplegnathus woodwardi
南オーストラリア、タスマニア島
南アフリカ・モザンビーク・マダガスカルに生息する3種は、さすがに日本まで漂着することは無いだろう…
オーストラリア南岸に生息する「ナイフジョー」も形状が少し違っている。
最後に残された1種である、東太平洋に生息する、「パシフィックビークフィッシュ」は日本に漂着・生息する可能性はある。
生息地はガラパゴス諸島が中心のようだ。
『水族志』と畔田翠山、そして江戸時代の漁人たちを、どこまでも信頼するならば、江戸時代までこの魚が日本の紀伊半島の一部に生息していたが、明治時代になって何らかの原因で絶滅したかもしれない。
幼魚~若魚はヨコスジの模様で、黒條は確かにイシダイ幼若魚よりも太い。
また成魚には顕著な黒い模様がある。
老成魚は全身が黒くなるようだ。
筆者は「ドロ」と「クロバス」は同一種であり、正体は「パシフィックビークフィッシュ」であると推定する。
しかし問題点もある。成魚の模様をクロバスの「全身に黒色の円点」と書くのかなんとも微妙なところだ。記述が合わない。
「円点」をどう解釈するかという問題となる。「黒い輪」とすれば合致する。
幼魚の黒條の数も、ドロの幼魚「黒條7つ」と合わない。
このほかの可能性としては、絶滅したイシダイ近縁種が江戸時代に存在したのかもしれない。体高がイシダイよりも高く、幼魚にはヨコスジがあり、成魚は黒っぽい。
謎のイシダイ属、「ドロ」や「クロバス」は謎のまま…
断腸の思いのまま水族志「スミヤキ」の比定を終える。
〈R6/8/6 追加〉
『水族志』13番の「烏頬スミヤキ」を調査してきて、「スミヤキ=イシナギ」、「クロダヒ=アオバダイ」、「ハス=イシダイ」、「米カミ=イシガキダイ」と比定してきたが、いよいよ謎の「ドロ」という魚が登場する。
スミヤキ別種(ハ) ドロ
「スミヤキ」の一種なり。
形状は「イシダイ」に似て、歯は短く、
眼上より背に至り隆起し、身はイシダイより扁濶(体高があって分厚いこと)なり。
大物は2,3尺となり、背は淡い黒色。腹は淡い青色だ。
細鱗があり、胸ビレは淡い青黄色。腹ビレは黒色、背ビレは黒色で、浅深のマダラをなす。
第二背ビレと尻ビレは、上下に相並び、尾の手前で裁断された様になって黒色。
尾ビレは小さくマタをなすことイシダイの如し。
〈追加〉
ここまで見てきて「ドロは謎じゃなくて、もしかしたらイシガキイシダイじゃないの?」と思われたかもしれない。
実際、筆者も詳しく読む前はどうせイシガキイシダイだろうと思っていた。
イシダイとイシガキダイの交雑種であるイシガキイシダイは、野生でもたまに釣り上げられる。近畿大学で70年代頃、人工的に交配して養殖できる事が研究され「キンダイ」と商品名が付けられている。
交雑種であるので子孫を作る事は出来ないとされている。
生長は早いとされているが、自分が調べた結果、野生大型老成魚がネットでは確認されず、どんな模様と色彩なのか現時点では不明だ。
しかし『水族志』の記述はイシガキイシダイの様子とはかなり違っていて、とてもこの交雑種を述べているようには思えない。
ドロの記述の続きの現代語訳を進めよう。
「5,6寸のものは、背より腹に至りて黒條7つあり。その條もイシダイより太い。
形状はイシダイと同じくして剛し。
紀州海士郡田納浦の漁人、皆が曰く「イシダイ」と「ドロ」は異なり。
イシダイは(ドロと比べて)身は狭く、頭は低く、口は細く尖り、尾の上にても細くして張れり。
「ドロ」は口は短く、肩は背にて張り、尾の上にても濶く張りて、身は短く濶し。
棘鬣(マダイ)と、赤鬣(チダイ)の分かち(違い)より、なおその形状を異にせり。」
イシダイとドロの違いとは、体高と身の厚さが全然違うと言っている。
マダイとチダイの差のようだが、それよりももっと差があるとしている。
参考までにマダイとチダイを比べてみよう。
「ドロ」はイシダイより体高があり、幼魚では7つの黒條かある。
成魚では背中が黒色で腹側は青色。
…一体、このイシダイ属はなんだろうか⁈
〈R6/8/7 追加〉
ドロの記述の後、◯「クロバス」という、これまたイシダイ属と思われる魚名が出てくる。
はじめのころ精読してない時は「クチジロ(イシガキダイ老成魚)の事かな?」と思っていたが、やはりよく読むとかなり違う。
すでにイシガキダイは登場済みだし、イシガキダイの大者も記述済みである。
このクロバスとドロとの関係も不明だが、同じイシダイ属という事は変わらないだろう。
「◯クロバス 一名トモモリ 熊野九鬼浦の漁人いう、イワシナベ(イシダイ)の黒き点あるものを「トモモリ」と呼ぶ。
「コメカミ」勢州松坂
形状は「イシダイ」に似て、頭は隆起して身は濶なり。
全身は黒色にして、腹は青色を帯びる。
頭は黒。あまねく身には深い黒色の円点あり。
口や牙など皆イシダイと似ている。
一種には斑点が無く、すべからく黒色のものあり。」
「トモモリ」は、ヒレが大きめで黒っぽい魚を、平家の猛将である「平知盛」になぞらえて命名された、かなり多魚種に付けられた地方名である。(詳しくは"平家物語の魚"をご覧ください)
クロバスは、全身が黒色で腹は青色っぽい。
身体のほぼ全てに深い黒色の円の斑点がある。
(おそらく老成魚か)全身が真っ黒の個体もいるとのこと。
ドロの他に、全身に黒点があるイシダイ属もいたという事なのか…
ほんとどういう事だってばよ…(絶望感)
ドロとクロバスをなんとか比定していこう…
(続く)
〈R6/8/03追加〉
『水族志』の13番「スミヤキ 烏頬魚」を調査していこう。
種類の違う魚が含まれているようで、記述に他の文献の引用が多く、それが超難解で未だによく分からない…
『水族志』では、「スミヤキ」には異なる種類の魚が含まれていると言っている。
冒頭から現代語訳してみよう。
「案ずるに、『圖賛閏集』曰く、”烏頬”は、これを側から見ると身は狭い。すなわち、やや周囲は厚い。鱗は少なく、骨は多い。
水の崖の中に居り、漁師は釣りにてこれを得る。
色は黒に近く、背上に数十枝の棘がある。長さは2,3寸。
あるいはまた、借りにこれをもって患者を防ぐ。」
記述のスミヤキを簡単にまとめると、「魚体は横に広がった楕円形の胴体で、鱗は少なく骨が多い。」
「深い海の岩礁帯に生息し、釣りで捕獲する。」
「色は黒っぽい。5~9cmの背びれのトゲが数十ほどある。」
「なんかよく分からんけど患者に効く?」
なんだろう…この魚…
とりあえず「スミヤキ」と呼ばれる魚は多いが、その中でこの条件に合致しそうなのは「オオクチイシナギ」であろう。
肝臓に多量のビタミンAを含むので、イシナギの肝臓は食品衛生法で食用禁止となっている。
このビタミンAを、欠乏した患者に与えたのであろうか。本草書に載っているのか分からない。
ところが続く記述は、別の魚の存在を示す。
「『漳州府志』曰く”烏頬”、『興化志』曰く”棘鬣(マダイ)に似た烏頬"という魚はいずれも「スミヤキ」のことである。
『續修臺灣府志』(続修・台湾府誌)に「身短く、濶い」というものは「クロダヒ」だ。」
この「クロダヒ」が謎だ。
〈R6/8/3 再追加〉
「『閩書』(閩は支那大陸周王朝時代の福建付近にいた異民族。閩書は明の何喬遠が記した地理物産書)にも、”烏頬魚は奇鬣(キダイ)に似て、しこうしてやや黒く、まさに大寒の時をもってこれが獲れるという。」
「『閩中海錯疏』(明朝時代の福建省付近の海産物事典)にも、烏頬の形は奇鬣と與して相同だ。」
「二魚、ともに隆冬(真冬のこと)大寒の時にこれを獲る。然るに奇鬣の味が烏頬の首に在りと。」
ちょっと予想外の事態が判明した。
ネタバレというか、この記事のもう少し先にハッキリと記述されているのだが、『水族志』が言うには「クロダヒとチヌは別種である」と。マヂか…
しかし気を取り直し「クロダヒ」を比定してみよう。
「台湾や支那福建省の海域に多く生息する」「キダイの形に非常にそっくり(相同と言っている)」「やや黒い」
というので、台湾に多くて日本では珍しいが生息している、「アオバダイ」であると思う。
アオバダイ科アオバダイ属アオバダイは最大60㎝程になる。
台湾ではポピュラーな食用魚らしい。
比較としてキダイと形を比べてみてほしい。
そして『水族志』は「スミヤキ」の解説を記述していく。
「スミヤキは棘鬣(マダイ)の類に非ず。」
「棘鬣(マダイ)類は、口の中に細かい歯が並び分かれ生ず。スミヤキは其の歯は口外に尖出し、上下ともに板牙にして細歯わかれず。」
「その鱗、細かにして棘鬣(マダイ)の鱗に類せず。」
「かつ鱗上に涎沫(えんまつ 病気の時に出る白い泡を含んだ唾液)(魚では白い粘膜を意味する)ありて、棘鬣(マダイ)の類と大いに異なり。」
〈R6/8/4 追加〉
スミヤキ別種(イ)クロダヒ
「『物類稱呼』曰く、「チヌ」と「クロダヒ」と、大同して小く別なり。然れども今、混して名を呼ぶ。」
「チヌとクロダイはほとんど同じだが、小さいところが違う。
しかし今は名前を混同して呼んでいる。」
…おh・・・そうなん・・・ワイらは間違っていたのか。
「クロダヒ」の形状は、マダイによく似ていて、短くひろく、口はわずかに尖り、唇は厚く、
マダイのように眼上より隆起し、鱗の状態もマダイの如く、
平べったい身体、黒色で、
背や腹のヒレはマダイのような形状で黒色。
尾ビレも黒色にして岐無く、腹は白色なり。
『大和本草』曰く、黒ダヒ、その形は「チヌ」に似て別なり。
性、味、共に「タヒ」に劣る。
「アオバダイ」と「チヌ」や「マダイ」の決定的な違いは「尾びれのマタ」だという。なるほど。
スミヤキ(ロ)を見てみよう。
一名「ハス」紀州若山 「シマダヒ」同上 「モンパチ」勢州阿曾浦 「イワシナベ」紀州熊野矢口浦・勢州慥抦浦 「コリイヲ」伊予西條 「ワサナベ」熊野新宮・田邊 「コロダヒ」防州岩國 「クチグロ」備州岡山 「ムト」播州網干 「クロイヲ」播州姫路・備中玉島 「タンシチ」尾州常滑 「コウロウ」土佐浦戸 「アサラギ」紀州熊野日置浦・讃州八島 「鍋ワリ」漁人云う、此の魚冬月に脂多し。故に「鍋ワリ」となずける。
成してり大者は2,3尺。形状は「チヌ」に似て、口は小さく、その牙は口外に出て、板牙にして尖り、白色なり。
細鱗は青黒色。その頬は黒色。
この魚の小にして4,5寸の者は、身が淡い藍色にして背および扁に淡い黒斑ありて、背より腹に至り、深い黒條7,8道あり。頭の黒條は眼の上より喉下に至る。
頬は淡い紅色を帯び、背ビレは黒斑をなし、胸ビレは淡い黒にして淡い藍色を帯びる。腹ビレのもとは淡い黒にして末は黒色、第二背ビレは黒色にして、尾ビレの上に當て上下の第二背ビレと尻ビレが相等しく裁断するが如し。
尻ビレは黒色にして背ビレに同じくして背ビレと相幷べり。
尾ビレのもと淡い黒色にして淡い藍色を帯びて、末は小さく岐をなして黒色なり。
和歌山の俗で、これを「狂言袴」と言う。
この記述は完璧である。「ハス」の一名を持つこのスミヤキは「イシダイ」のことだ。
各地の地方名も、現代のイシダイの地方名と違いがない。
大きい老成魚サイズでは、記述のように頬が黒くなって縞が消えて全身が青黒い銀色に変化する。
この頬が黒くなったものを「烏頬」や「スミヤキ」と呼ぶ慣習があって、そのため色々な魚種に付けられ混乱の元となったと思う。
〈R6/8/5追加〉
紀州田辺にて、「米カミ」という、その尺余りに及ぶもの、身は浅い藍色にして、背や腹には黒斑が多く、背より腹に至る黒條、色浅くなり、頬は黒色。
尾は淡い黒、端は微に黒色なり。
その2尺に及ぶものは、此れ黒斑は去る。
『大和本草』曰く、「スミヤキは性好くあらず、或いは曰く、その腸は大毒有りて食うべからず。」
このスミヤキの一種である「米カミ」という魚は紀伊半島の田辺に居るという。
30cmあまりの体長のものは、体色は藍色で黒斑が多くある。
黒條は(イシダイより)色が浅く、頬は黒い。
コレはもうそのまま記述通り「イシガキダイ」の事だ。
60cmほどの大型になると、黒点が消えてしまうと述べている。
またイシガキダイは「シガテラ毒」を持つ場合が有ることが分かっている。
特定の渦鞭毛藻類が生産するシガトキシンなどシガテラ毒素が、生態系の上位にある魚類に生体濃縮される。
すると内臓などにシガテラ毒素が蓄積され、シガテラ毒食中毒が引き起こされる。
畔田翠山は『大和本草』で述べている「スミヤキの腸に大毒がある。」というのは「米カミ」、イシガキダイの事だと正確に論証している。
(続く)
〈R6/6/30 追加〉
コロダイ・コショウダイ類は、現代の地方名で混同されているとされる。
コロダイの地方名にコショウダイがあったり、また逆にコショウダイをコロダイと呼ぶ地方がある状況だ。
この原因が、標準和名を命名する際での「名前の取違い」に起因するのかもしれない。
『水族志』は詳しくは知らないが近年になって偶然発見されたらしいので、近代の魚類学者は水族志の魚名を知らずに独自に魚名を採取研究して、結果的に間違ってしまったようだ。
『大和本草』における「久ダヒ・ヒサノ魚」は「標準和名コショウダイ」か「ヒゲソリダイ黒色タイプ」を指している。
大和本草の図録では黒点が描かれているので標準和名コショウダイでほぼ間違いないと思うが、水族志では「ヒサノ魚のほうがコロダヒより体高がある」と記述している。
おそらく時代の変化で江戸時代初期では「久ダヒ」の名称だけで2種は区別していなかったが、江戸時代末期ごろになると「コロダヒ」の名前が紀州地方名から採用されて広まり、「コロダヒ = 標準和名コショウダイ」、「ヒサノ魚 = ヒゲソリダイ黒色タイプ」と分類が進んだのではないか。
「久ダヒ・ヒサノ魚」の語源として、その”模様”から命名されたのではないか。
標準和名コショウダイもヒゲソリダイ黒色も、「黒い巨大な條斑」がその特徴だ。
そしてその形が、漢字の「久」となっているのだ。
根拠として「カワビシャ」の模様が「川」の文字だから…
〈R6/7/1追加〉
「コロダヒ」の「コロ」は紀伊半島でのイノシシの幼獣の呼び方であるとされる。
漢字で書くと「葫蘆」で、ユウガオの事だ。
現代ではユウガオはほぼ干瓢に加工されるが、昔はかなり常食される野菜であった。
ユウガオは瓢箪の選抜種である。同一種。
最古の栽培種であるヒョウタンが、アフリカで育成される。ヒョウタンはククルビタシンが大量に含まれ有毒であり、用途は水を入れる容器への加工だった。
しかしインドで食用として苦味の無い系統が選抜されてユウガオとなる。
現代では縞模様のユウガオは現存していないが、ウリの甘みの少ない在来種では縞模様の品種が残っている。
まくわ瓜やシロウリは甘くてフルーツとして食べるが、縞模様は無くなっている。
「ウリ坊」が全国的なイノシシの子供の呼び名だ。
「標準和名コロダイ」の模様は赤茶色の水玉模様で全くシマシマではない。
なので「コロダイの幼魚の模様」を根拠にイノシシの子供と似ているから、と説明されている。
しかし、同じように「ウリ坊」と呼ばれている「イサキ」は大人になってもウリ坊とは呼ばれない。
他の出世魚でも成魚と幼魚で名前は使い分けされている。
標準和名コロダイだけ幼魚の模様が由来なのか、全く疑問でしかない。
やはり「水族志コロダヒ」は「標準和名コショウダイ」の太い黒スジをイノシシの子供と見立てているのではないだろうか。
やはりコロダヒ = 標準和名コショウダイ説が正しいと思う。
(続く)
〈R6/6/26追加〉
『水族志』の19番「コロダヒ」を調査していこう。
『大和本草』や『水族志』のイサキ科のコロダイやコショウダイの仲間の、複雑に入り組んだ当時の呼称と現代の標準和名。
これらの比定の「最終決戦」となる。…長かった…(現代の学者が原因なんだけどな)
〈R6/6/27追加〉
『大和本草』でいうところの「久ダヒ」を、『水族誌』では「コロダヒ」であるとしている。
この久ダヒ・コロダヒは、現代での標準和名「コショウダイ」に以前から比定している。
そして幼魚は、伊勢で「トシヲトコ」と呼んでいるようだ。
とりあえずコロダヒの検証は後回しにして、「サンセウダヒ」を見てみよう。
名前は「山椒鯛」の歴史的仮名遣いだろう。しかしサンショウダイは聞いたことがない。
しかも「サンセウイヲ」となると「サンショウウオ」となって両生類だ。
おそらくこのことが原因で、近代の魚学者に見落とされたのだろうと推察する。
「サンセウダヒは、大きさ30㎝ほど。形状はコロダヒと同じ。
背は淡青色にして、淡い紅色を混ぜた金色に輝いている。
赤を帯びた淡い黒色の斑が、第一背ビレの下にある。
金色の下から腹の間は淡い藍色で、腹は白く青を帯びる。」
「眼の上は黒、下は淡い青。
頬、および眼の上、唇の上に黒斑あって、唇より眼に至って一筋の藍色が通る。」
「頭の上から胸ビレに至り、尾ビレの前までおよぶ、腹を堺いにする黒き大斑あり。
第一背ビレの前部から尾上に至り、ナナメにデカい黒斑あり。
尾筒の下に黒斑あり。」
「尾びれは、淡黒色に黄色をおびて、もとに黒斑あり。
尻ビレは黒くて中ほどに淡い藍色がある。尻ビレの付け根から腹にかけ黒斑あり。
第一背ビレは淡い黄色で淡い黒斑、第二背ビレは黒色でわずかに黄色を帯びる。
胸ビレは上が黒く下は淡い黒。腹ビレは淡い藍色で淡黒色を帯びる。」
「口先は細い。」
身体の色や模様から推察すると、「サンセウダヒ」は標準和名「ヒゲソリダイ」だろう。
〈R6/6/28追加〉
このサンセウダヒに続いて記述が続いている。
「大和本草が言う、"別種のヒサノ魚"は、黒くてフナの形に似ている。
タテスジがあって、色は(体色と)濃淡が混じるだけ。
口先は細く、背が輝いている。味はとても良い。
すなわちこの魚の事だ。」
この「別種ヒサノ魚」は黒くてフナの形状で味が良いと言う事なので、「ヒゲダイ」と比定。
ヒゲソリダイの仲間だと畔田翠山先生は考えて、この別種ヒサノ魚をサンセウダヒに書き込んだのだろう。さすがです。
確かにフナの形だし、ヒゲダイ・ヒゲソリダイは口先は(他のコショウダイと比べて)細くなっている。
「黒い久鯛」・「黒いサンセウダヒ」はヒゲダイの事だった。
(追加)
ところで以前、『水族志』の12番「ホウザウダヒ」は『大和本草』の「宝蔵鯛」の記述をそのまま書いてあるとして、「ホウザウダヒ = 宝蔵鯛 = 標準和名コロダイ」とした。
そして「ホウザウダヒ別種ロ」を記述から「標準和名コショウダイ」に比定した。
しかし、『水族志』において「コロダヒ」と「ホウザウダヒ別種ロ」が同じ魚種になってしまう。
「別種ロ」をよく読むと「コロダヒはこの魚より身が短く厚い。また味はこの魚より勝っている。」と言う。
コショウダイよりヒゲソリダイの方が、味が良くて体高がより高いので、記述内容から「水族志コロダヒ」は「ヒゲソリダイの黒色タイプ」だと思われる。
これでコロダイコショウダイの仲間の大体の比定が完了した。
まったく名前が入り乱れている状況なので、とりあえず一覧表を作ってみた。
果たしてこのイサキ科の仲間たちの標準和名はいったいどうゆう経緯で付けられたのか…
また現代で調査されたコロダイ・コショウダイの仲間の地方名も、ちょっと信頼が出来ない状況だと思われる。
子供の時から図鑑などで標準和名に慣れ親しんだ世代に取材した、とある地方名が「コロダイ」「コショウダイ」「セトダイ」のいずれかを指すのか全く不明となっている。
しかしなんとか地方名も調べてみよう。
〈R6/6/19追加〉
『水族志』の58番「コバムヤケ」を調査しよう。
いつものように記述している箇所から魚を比定してみよう。
「形状は薄っぺらくて口は極めて小さい。
ほぼヒダリマキ(カゴカキダイ)に似ている」
※グチ…なぜ次の59番に出てくる「ヒダリマキ」に「似ている」って書くのアホなん?先にヒダリマキやる羽目になったやん?
「眼上から背に至り隆起して背ビレがある。
尾ビレのすぐ近くの上下のヒレは相対な形をしていてイシダイに似ている。
腹ビレは長く、藍色で、もとの方は褐色にして黒斑がある。
胸ビレは淡いムラサキ色で、先は白く、もとは黄褐色」
「身体は"方"にして細かい鱗を持つ。
背は紫褐色で腹側は浅い色。だいたい紫褐色の細い縦條をなす。
頬のエラは紫色をおびて、眼の上下に褐色の條斑がある。」
「第一背ビレの前後から、腹の下ヒレのつけねと尻ビレの頭にかけて、太い横斑がある。
更に第二背ビレから尻ビレにかけてにも太い横斑がある。
色は褐色で、半ばから黄色。
イシダイのような第二背ビレと尻ビレの対は、もとの方は白く半ばから淡い黄色。」
「第二背ビレの後端に、"親指で押したような"黒い点がある。黒点は白い線でフチドリされる。
尾ビレは褐色。岐は無い。」
特徴をまとめると、「カゴカキダイの体型で、眼の上下・身体の前半・身体の後半に褐色の太い帯が通っていて、第二背ビレの後端に特徴的な黒点がある。」
これは記述通りに読むと「ゲンロクダイ」だ。
「ゲンロクダイ」の由来は「元禄時代の優雅な着物ではないか」という説があるが、果たしてそうだろうか。
〈R6/6/20〉
「コバムヤケ」とは「小判焼け」という事だとしたら、「ゲンロクダイ」は「元禄小判」の意味となるだろう。
元禄時代に使用開始した元禄小判は、それまでの慶長小判に比べ、金の含有量を減らし銀を増やしたものである。
金の含有量は約57%、銀は約43%となっていて、かなり銀が含まれている。
金山の産出量の低下や幕府の財政難、経済規模の拡大や貿易による海外流出などさまざまな要因が重なって、通貨不足が深刻な状況となっていた。
幕府は通貨量を増やすため慶長小判の吹き替えを決定し、慶長2枚を溶かして銀を混ぜて元禄3枚にする。
しかし明らかに銀が多いため、色は黄金ではなく、「青みがかった淡黄色」である。
そこでなんとか誤魔化すため「色揚げ」を施した。
食塩・硝酸カリウム・硫酸鉄・硫酸銅・硼砂・インド乳香を梅酢に溶かしたものを塗って、炭火で炙り拭き取る作業を何度も繰り返すと、表面の銀成分が溶けて拭き取られ、ほぼ純金の表層となる。
これでピカピカの金貨となる訳だ。(どうやってこの方法を見つけたのか…)
しかしやはり小判を使ううちに、表層が摩耗したり傷などが入って銀を含む部分が露出してしまうと、銀が酸化されくすんだ黄褐色となってしまう。
この現象を「金ヤケ」とか「小判焼け」と称する。
チョウチョウウオ科のコバムヤケは、他のチョウチョウウオの鮮やかな黄色に比べて「くすんだ黄褐色」の條であったので、名前が「コバムヤケ」や「元禄鯛」になったのだろう。
しかも白い部分は地金の「青みのある淡い黄白色」でピッタリだ。
元禄の時代、改鋳された新しい金貨の品質の悪さは、当時の庶民はかなりの衝撃だっただろう。
幕府を陰で揶揄する「風刺」の文化がコバムヤケに残っている。
〈R6/6/22追加〉
「オドリコ」はチョウチョウウオの地方名だ。
「テウチョイヲ」は「てふてふ」から「ちょうちょう」に書き方が変化する途中みたいでよくわからない。けどチョウチョウウオの事だろう。
「ヤイトオロシ」は第二背ビレの後端にある「眼状斑」を「やいと」の跡とした命名だろう。オロシがよくわからない。
「シウリ」はまた出た。
もしかしたらチョウチョウウオの仲間と思われた魚はまとめてシウリと呼ばれたのかも。
「トウトウミ」は「遠江国」で「とおとうみ」の訛りだ。紀伊半島の田辺で、はるか遠くの静岡県西部地区の地名がついた名前であるので、タバコの事を指している(人が亡くなる隠語)ものと考えている。
「ヤハンドウ」が備後因島での地方名とあってビックリだ。ゲンロクダイは温帯水域まで生息し、日本海まで進出しているかなり低温に強いチョウチョウウオ科の魚である。
しかしこのヤハンドウは元々「スズメダイ」の地方名である。
「ヤハジ」「ヤハチ」「ヤハギ」「ヤハン」「ヤハゼ」「ヤハゲ」はスズメダイの地方名シリーズだ。「矢作・矢矧」が由来なんだろう。しかしヤハギがどうゆう意味あいで命名されたのかはよく分からない。
矢の材料の竹を蒸し焼きにする仕事で、顔が煤で真っ黒になるからだろうか。
「ヤリモチ」は大名行列の槍隊の花形である「御持槍」の事だろう。
衣装の模様が似ていたのではないだろうか。
「アブライヲ」はさまざまな魚に名付けられた名前だ。
主に「体表の粘液」を持つ魚をこう呼んでいる。沖縄で「アンダー」がつく魚も「油」の事でだいたいチョウチョウウオの仲間。
「アンダーサータギー」は「油・砂糖・揚げ」の沖縄なまりとなっている。
しかし「カーサー」がつくと「アブラが無くてカサカサしてる」という意味だとされるが、「アンダーカーサ」と呼ばれる事も多いので違うのではないかと思う。
カーサは「細かい鱗」という意味合いだろう。
「バトガシラ」は難しい…
「バト」や「ハト」がつく魚はとても多く、イラ、コブダイ、ハタタテダイ、ヒブダイ、イスズミ、ソイ、などなど。
イラやコブダイは「鳩」が由来だ。顔が鳩っぽい。
ソイの仲間は「バドウ」と呼ばれる。由来は分からない。
ハタタテダイは「チョウゲンバト」や「チョウチョウバト」と呼ばれる事から、バトは単純に「旗」かもしれない。
旗頭で大名行列の旗持筆頭の事かもだ。
〈R6/6/24追加〉
「キンチャクハゲ」「チンチャクイヲ」「キンチャクイヲ」は巾着袋に由来。
すじ模様と卵型の魚体ならばみんな巾着と呼んでる気がしてきた。
「タバコイレ」「タボコイレ」は「煙草入れ」由来。お洒落な入れ物の模様。
和泉の堺で訛ってるな…和歌山県の方言は「ざ行・だ行」が交換されていると聞いたことがあるが、関連があるのだろうか。
さて「コバムヤケ」の別種イを見てみよう。
「一種、阿波に産する。
形状は相同して、尾の上下のヒレはわずかに狭くして、口の尖れること、相同し」
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「クチビルは黒色にして口は小さく、細歯あり。」
〈R6/6/26追加〉
「眼は黒色に黄を帯びて瞳は黒色。
肩から眼の上下を通って頬の下まで黒色の横斑がある。
全身は黄色で、淡黒色を帯びる。黄褐色のヨコスジがある。」
「第一背ビレは黒色で、トゲの先端は白い。
第二背ビレの端は黒色で、次に白色のスジ、その次に黄褐色。」
「尻ビレの本にデカいトゲ3つある。ヒレは根本は黒で淡い紅色を帯びる。尾の下に至るまでの端は黒色、次は白く、本は黄褐色。」
「尾ビレは黄色にして端は白色、次に黒い條が横にある。」
「胸ビレは黄黒色、腹ビレは黄色にして淡褐色を帯びる。」
「眼より唇まで淡黄褐色にして淡い紅色を帯びる。」
この「コバムヤケ別種」は「全身が黄色。肩から眼を通って頬まで黒い横斑が通る。」
「第二背ビレ、尻ビレ、尾ビレに、特徴的な白と黒の模様がある。」
ということなので、「チョウチョウウオ」だろう。アクアでいう「並チョウ」。
ゲンロクダイ属を探すと記述と全く該当しないのでかなり迷った。
江戸時代の当時は、ゲンロクダイ属もチョウチョウウオ属も全部チョウチョウウオの仲間という認識だった。
〈R6/6/12追加〉
『水族志』の59番「ヒダリマキ」を調査しよう。
現在では「ヒダリマキ」は「タカノハダイ」「ユウダチタカノハ」「ミギマキ」の地方名だとされる。
しかし説明文を読むと全く違う魚を記述している。
地方名は後回しにして、まずは記述部分を検証してみよう。
「鯿魚の一種で、形状はチヌ型で短く広い。
口は小さい。眼から背ビレにかけ隆起する。
背ビレは淡い黒色にして上下に相連なる黒い條がある。
体色は背が淡い黒をして黄色を帯びて、腹は黄色。
頭から尾にかけて6本の黒い條がある。眼にも黒斑がある。
尾ビレは淡い黒色で岐になっている。
胸ビレ腹ビレは黄色、尻ビレのトゲは黄色で、その下のヒレには黒斑がある。
背ビレは第一第二ともつながっている。
ウロコはイシダイに似て短く丸い細鱗を持つ。」
黄色くて黒いタテジマを持つ薄っぺらい魚といえば、「カゴカキダイ」だろう。
記述ともピッタリだ。
カゴカキダイ科で独立しているが、幼魚が半透明でイスズミ科と特徴が似ている。
しかし「白身で最上級のうまさ」とも言われている魚だ。
「ヒダリマキ」というのは通説ではおそらく「ネジ」の事だと言われている。
斜めに黒帯が複数まっすぐ走る様子をネジで形容してるのだろうか。
カゴカキダイのタテジマは確かに僅かに斜めに見える。しかし現代の地方名には残っていない。
〈R6/6/13追加〉
しばらく考えて、ヒダリマキ=ネジ説はやはり納得出来ない。
種子島に鉄砲が伝来してから現代まで、ずっとネジは右手で時計回りに締めると進む、「右巻き」が基本であって、それは最新の工業が発展した現代日本社会でもずっと変わらない基本である。
もっとよく考えたら、江戸時代での「左巻き」とは何だと言えば、それは「アサガオ」の事だろう。
園芸の界隈では、伝統的にアサガオの様に蔓の先端が左方向に曲がりながら這い上って行くのを、植物の上方向から見て反時計回りであるので「左巻き」と定義している。
要するに便宜的に「朝顔は左巻き」と覚える、としている。
魚の身体に、規則的な斜めの線が4〜5 本入っているならば、「アサガオの蔓」に見立てて「ヒダリマキ」と命名したのではないか。
ネジ説はちょっと変なのだよ…〈追加分〉
「カイワリ」は現代ではアジ科カイワリ属のカイワリや、それに近縁の種に付けられていて、「尾ビレの様子が、二枚貝が開いたような"植物の双葉"に似ているから」というのが定説となっている。
しかしカゴカキダイの地方名に「カイワリ」があるのが間違いないのであれば、その語源は定説とは全く違う可能性がありそうだ。
〈R6/6/14追加〉
「かいわり」をよく調べると、「卵割り」と出てくる。
「卵を割ったような形」を「カイワリ」と呼ぶようだ。
カゴカキダイの地方名を調べると「タマゴイオ」(和歌山)とある。
これはやはり「カイワリ」とは貝割ではなくて「卵形」の魚体を指しているのではないだろうか。
口が少しとんがっていて、お尻の方が丸い形の魚ということではないか。
〈R6/6/13追加〉
カゴカキダイの地方名「ヨバシメ」はちょっとよく分からない…
「ツバクラ」はツバメの事で、現代では「ツバメウオ」の幼魚や「ツバメコノシロ」の胸ビレの様子から和名が付けられている。しかしカゴカキダイからツバメはなかなか連想は難しい。
「スミヤキ」という名前を持つ魚は非常に多い。
炭焼き職人の顔が真っ黒である事を揶揄する言葉で、魚の顔が黒かったり眼に黒線が通っていたりすると、ほとんどスミヤキ認定だ。
カゴカキダイの由来も「駕籠かき」の人達の僧帽筋がガチムチに発達して筋骨隆々な様子を、魚体の隆起の様子を例えたものである。
キコリウオと同じ、職業に由来する地方名だ。
多様な魚にスミヤキ・キコリ・カゴカキが
名付けられているので早とちりに注意だ。
「カシマ」「ヒロシマ」はちょっと面白い。
地名だと思うが、たぶんタバコの隠語ではないかと思う。資料が無いけども…
根拠として、愛媛県の島嶼部の方言で、「広島にタバコを買いに行く」というのがある。
意味は「(その人は)亡くなった」である。
「〇〇さんは最近見ないね」
「ああ、あの人は広島にタバコ買いに行ったよ」
と使うらしい。江戸時代でも広島は大都会だった。
「タバコ」はまた後で調査しよう。
「バクチウチ」は現代では「カワハギ」・「ウマヅラハギ」などの地方名として残っている。
意味は「博打で金をすって身ぐるみ剥がされてスッカラカン」と、カワハギが皮を剥がされて魚屋に並ぶ様子を掛けている。
しかしカゴカキダイではどうなんだろう…
難しいが、お金を入れる財布(巾着)に似た模様で、魚体がペッタンコな様子から「財布が空っぽな博打うち」に喩えたのかも知れない。
「巾着」もまた後で触れよう。
〈R6/6/14追加〉
「シマイヲ」「マブシ」「ギッパ」は、カゴカキダイの地方名として現代でも残っている。
「シマウオ・シマイオ」愛媛県宇和島、三重県伊勢
「シマダイ」富山県新湊
「シマキリ」愛媛県川之江
縞状の模様に関連した名前として、
「スイヘイウオ」長崎県壱岐
「ヨコシマ」三重県尾鷲
「タテジマ」富山県東岩瀬
それと「ハンシンタイガース」徳島県南部
だそうだ。
高知県安芸市で春季キャンプするからだろうか…
「マブシ」は土佐の浦戸であるが、意味は何だろうか?
鳥などを漁師が鉄砲で狙う時に、木や草で隠れる様に囲うものを「射翳」という。柴で編んだ垣の様な模様だから「射翳・まぶし」と呼んだのかもしれない。
「ギッパ」尾張国知多
「ギンパ」茨城県大洗
「キイゴッパ」和歌山県白浜
織物の技法に「銀波」というものがあるらしい。
「斜子 織りの地に、平織り、または縦糸の斜文織りか繻子 織りで紋様を織り出したもの。」
…なるほどわからん。
検索してもサッパリわからん。
斜めに模様が出る織り方であるのを祈る。
〈追加分〉
〈R6/6/16追加〉
「テングノハ子ウチワ」は、「天狗の羽団扇」しかないな。
「コセウダヒ」(現代のセトダイに比定)の地方名に「テングウチワ」が書いてあった。
植物では「ヤツデ」の別名で「テングノハウチワ」がある。
「シウリ」と呼ばれる魚は多い。
そして「シウリ貝」とは東北や茨城千葉付近で「イガイ」のことを呼ぶ地方名だ。
「シウリ」はおそらくアイヌ語と深く関係する。
アイヌ語で「シウ」は「苦い」という意味だ。
しかし「カゴカキダイ」や「イガイ」は苦くはない。
食べると旨味成分が多くて「濃い!」と感じる。「しょっぱい」に似た味覚でなんとも言い難い…。
「シウリザクラ」の実は熟すと黒くなって、熊の大好物である。人間も食べることが出来るし果実酒にも利用される。
おそらくアイヌでも古代本州でも、野草や貝や一部の魚が持つ「独特の濃い味」を「シウリ」と表現したのではないだろうか。
「苦い」は誤訳となるだろう。
カゴカキダイの地方名を検索すると、
「タバコ」和歌山県串本
「タバコリ」紀伊半島南部
「タバコイレ」串本
「タバコボン」伊豆地方
「モクバカ」
が煙草と関係する名前となっている。
これらは江戸時代のギャルやメンズのファッションアイテム「煙草入れ」からの命名ではないか。
「南蛮人からの贈り物」ということで江戸時代初期に喫煙が流行したわけだが、はじめは火打ち石を入れる宝蔵袋やセットを入れる「火打ち袋」に煙草も入れたが、だんだんと改良されて「巾着袋」というオシャレアイテムに変化していった。
「キンチャクダイ」はおしゃれな縞模様を見ての命名だ。
鮮やかな縞模様と、口がキュッとなった様子を「キンチャク」に譬えたのだろう。〈追加分〉
…地方名を調査してあれこれ考えると、様々な知識が蓄積されて、他の古書の魚名もなんとなく推理出来てくるのが実感される。
これまで「釣り人語源考」を読まれた方々もだんだんと昔の人達の考え方や習俗が分かるようになって来たと思う。
そして現代でも日本人として脈々と受け継がれた文化がまだまだ生き残っている事に感動するだろう。
〈R6/6/2追加〉
古文書ではないが「島根県庁HP」の「島根県水産技術センター」の「魚の地方名」に、奇妙な名前の魚がいるのを発見。
いや、笑ってる場合じゃなかった。「サギフエ」の島根県での名前が「ヤンマーディーゼル」なんて衝撃的で、由来なんて想像も出来ない。
少し調査してみよう。
まずヤンマーディーゼルでイメージしたのは小林旭…もとい「燃える男の赤いトラクター」だ。
しかしすぐに思い直す…
海の魚を命名したのは漁師さんだ。
陸のトラクターではなく、海の漁船、そのディーゼルエンジンの事ではないだろうか。
しかし「地方の漁村では、半農半漁は普通ではないか」とリプライを頂いた。その通りだ。決めつけるのは間違っていた。
すると更に「おはようアングラー」の人から別のリプライを頂く。
「小さなものから大きなものまで動かす力だ🎵」
おっと「ヤン坊マー坊天気予報」じゃないか!
すると更に、いつも懇意にさせてもらっている方からとても有力な情報を頂いた。
「子供の頃近所ではヤン坊と呼ばれていた過去がある。」
これはすごい!情報感謝します。
…実は「アイゴ」の地方名には、「ヤンイオ」「ヤンノバリ」というものがあり、「ヤン」は矢を意味している。
〈参考 アイの一族(後編)(アイゴ・エイ)〉
トゲのある魚を「ヤン〇〇」と呼ぶ表現方法が中国地方にはかつてあったかもしれなく、サギフエの事を「矢を持った、可愛らしい魚」という意味で「ヤンボウ・やん坊」と呼ばれたのが由来だろう。これはまず間違いないだろう。
そして「ヤン坊」から「ヤン坊マー坊天気予報」の連想で「ヤンマーディーゼル」となったのではないだろうか。
ほんとに「ヤン〇〇」があったのか?と疑念を持たれたかもしれない。
先ほどの「島根県HP島根の魚の地方名」をもう一度見ていただきたい。
「ヤンマーディーゼル」の下の魚名だ。
・・・
・・
・
そこには「ヤンメバル」とあって、標準和名ウスメバルのことと記載される。
まさに「トゲのあるメバル」でピッタリだ。
魚名の由来を考える色々なヒントが、さまざまな所に隠されている。
私はただ色々な人とつながっているので、ヒントをいただけている。
感謝しかありません。
〈R6/5/31追加〉
『水族志』の56番「キコリイヲ」を調査しよう。ほぼ大和本草の写しである。
キコリウオというのはタカノハダイの異名とされて、由来は「木こりの様に肩が盛り上がっている」という名前だ。
しかし説明文を読むと、全くタカノハダイとは違う。
キコリウオがタカノハダイというのは間違いだ。
「体色は淡黒く、少し赤を帯びている。横筋交に筋が3〜4、或いは5〜6條のものがいる。首は"そげている"みたいだ。
形状はタイ型とメバル型の中間。目は端に寄っていて少し赤い。食味は脂少なく美味い。」
この説明を読むと、おそらく「テングダイ」だと思われる。首が削げているのが文字通り。
この後の文章は、支那の本草書である『本草綱目』の「魴魚」はこの魚ではないかと書いてある。
しかし現在、魴魚は「ダントウボウ(団頭魴)」であると比定されている。
「疲れるとヒレが赤くなる」とは繁殖期の変化を示しているという事だ。
霞ヶ浦で繁殖している外来種であるが、支那内陸部では重要な食用魚だ。
このテングダイの別種に、「火燒鯿」という魚がいると記述される。
「鯿」は魴の異字で、おしきうお(ヘラブナと推定)、かがみだい、まとうだい、と訓む。
ヘラブナ(ゲンゴロウブナ)とダントウボウはそっくりだわ。
カガミダイ・マトウダイは海水魚でマトウダイ目マトウダイ科だ。これらの仲間も江戸時代の本草書で魴魚に推定された魚たちだ。
さて「火燒鯿」の記述を読んでみよう。
「頭と尾は魴に似るも、背骨は更に隆上し、赤い背ビレが尾に連なる。それはコウモリの翼の様に黒く、赤くふちどられる。まさにその名の如く火炎に燻されているようだ。」
コウモリのようにヒレが長く、黒く赤い縁取りで火炎のような魚…
これは「アカククリ」の幼魚だ。これしかない。
また別種イで、テングダイの形状にして赤色、中国地方で「百万ダヒ」という魚がいる。
大きさは5〜6尺(デカい!)。
これは名前や大きさから、「センネンダイ」と思う…ちょっと自信無い。珍しいから百万かな…たぶん。
〈R6/5/30追加〉
『水族志』の23番「コセウダヒ」の比定をやっていこう。
『大和本草』の「久鯛」と水族志の「コロダヒに似た別種ロ」が「コショウダイ」と比定し確定たので、「コセウダヒ」はなんぞやとなるだろう。
コセウダヒの地方名を見ると、魚種はすぐにピンと分かるが、念のため形状を説明した後半文も検証しよう。
「身体は薄く、口は細い。唇は淡い紅色。背は淡い青色から黄色をおびて、背から腹に向かって5〜6の淡黒の條があり腹は白い。ウロコは細かく、乾くと紙のようになる。背ビレのトゲは大きくて、陰陽のように黒と黄。各ヒレは黄色と黒色で、尾ビレは元が黄色で端は黒い。尾は刀のように曲状だ。」
これはとても素晴らしい説明!!
魚の特徴がよく表されている。
この「コセウダヒ」とは「セトダイ」だ。
セトダイの異名はとても多く、淡路島の漁師さんの話では「ビングシもタモリもコセウダヒも同じ魚なり」だって。
江戸時代では、地方名は各地で色んな魚が色んな名前で交雑している状況であるので、「コセウダヒ」や「コロダヒ」だといって、それが標準和名の「コショウダイ」「コロダイ」に即比定終了とはならない。
標準和名とは単純に、明治から昭和にかけて魚類学者が名付けただけの名前なのだ。
〈R6/5/30追加〉
では「コセウ」の語源はなんだろうか。
歴史的な仮名遣いや、田中茂穂先生が付けたコショウダイの漢字表記は「胡椒」である。
現在、「胡椒はどうも魚の姿に合わない。"小姓"ではないか」という非常に有力な説が出ている。
しかし「セトダイ」がコセウダヒだと比定されたとなると、コセウはやはり胡椒かもしれない。小姓の仮名遣いは「こしやう」であり少し違う。
胡椒には「黒胡椒」と「白胡椒」の2種類が主に利用されていて、果実が未熟の緑色のまま収穫し、乾燥加工した物が黒胡椒。
完熟して赤くなった果実を収穫し、水に浸けて発酵させ果肉を除去した後、乾燥加工した物が白胡椒である。
江戸時代では大量に胡椒を輸入し、さまざまな料理に使用していたことが当時の料理本など記録が残っていて、「黒色と黄色」(白胡椒は黄白色)というコントラストを表現するのは「胡椒」だったと思われる。
結論は、「コセウダヒ」=「胡椒鯛」= セトダイだった。
〈R6/5/29追加〉
『水族志』(畔田翠山) の12番「ホウザウダヒ」の記述だが、ほぼ全文が『大和本草』の引用である。
なので水族志の「ホウザウダヒ」は「コロダイ」で確定であるとする。
すると、コロダイに似た別種イとロが記述してあるので比定していこう。
別種イ 「形状はコロダイ似て細長く、頭は短く円く、クチは小さくタカノハダイのようで、口の中は赤い。身体は薄く、色は淡青黒色にわずかに淡い紅色をおびる。…中略…尾ビレには黒点、背ビレは連続して尾ビレ付近まであって、黒点がある。」
コロダイの仲間として、この魚の最大の特徴は「口の中が赤い」とあるので「アジアコショウダイ」で確定だ。
口内や、唇の折り畳みの皮の奥、エラのヒダの奥などが赤い。黒点の様子も説明と相違がない。
別種ロ 「(コロダイ)と同形で、尾ビレに黒点があり、黒く太い斜文が、背に一条、眼の後ろから尾にまた一条、その下に一条ある。…略。」
尾ビレに黒点があり、ナナメに黒帯が3本だと説明があり、「コショウダイ」と確定。
「コセウダヒ」の比定はまた後日…
〈R6/5/28追加〉
『大和本草所品図』の「ムツノ魚」の図である。
「ムツノ魚」「泥海に多し。味は不味い。」
また、『大和本草』13巻 の「ムツ」の記載は、「東土西州にもあり、筑後肥前の泥海に最も多し。7〜8寸。油があり煎しめて燈油とす。アタマ・眼、共に大なり、尾にマタ無し。グチに似て黒筋の紋様あり。下品なり、性も味もよくない。」
この魚の説明をよく読むと、そのままムツ科の「ムツ」ではない。
日本の東も西にも生息し、筑後肥前の泥海 = 有明海に最も多く生息する。
グチに似ていて尾が湾入していない。身体に黒いスジがある。
この特徴からするとニベ科「コイチ」だろう。
図を見てもコイチだ。(尾は説明と違うが)
コイチの異名に「ムツ」というのは調べても全く出てこないので名称の詳細は不明。
〈追加〉
『大和本草所品図』(正徳5年 1715年)は貝原益軒が編纂した『大和本草』(宝永6年 1709年)の図録だ。
これの下巻の14ページに4種が載っている。ついでだからまとめて比定しよう。
「馬ヌス人」(うまぬすっと)は「キントキダイ」のことだろう。
キントキダイは南日本の沿岸に生息する普通種で、福岡県沿岸でもたまに釣れる。福岡県での地方名が「ウマヌスット」だ。
由来は『今昔物語』に収録される「馬盗人」の主人公、源頼信の鎧姿だ。
詳しくは「釣り人語源考 『平家物語』の魚」を参考。
「赤魚」は、「口はひろく、目は大きく高く、首は太いのに体の末は小さい。」という説明と図の様子から「カサゴ」だろう。
別名として「あこ」とある。
「寶藏鯛」の説明によると「宝蔵とは、田舎の人が火打石を腰に帯びる時に使う袋のこと」で、その口が宝蔵袋の口にそっくりだから。と言っている。
いわゆる「火打袋」とは「火口箱」や携帯品などをセットで持ち運ぶ袋で、後の「巾着袋」の元となったものだ。
「火口箱」には「瑪瑙」や「玉髄」などの火打石と、鉄の板片が木片に埋め込まれた「火打ち鎌」、硫黄やモグサなど「火口」を入れる。
火打石には、前述の瑪瑙や玉髄のような宝石の部類と、石英や火山性変成岩などの安物があって、高級品は硬度が高いので削れにくく火花の温度も高いので着火しやすい。しかし値段もビックリ価格だ。
雨などで濡れては着火が大変なので、高級な火打石の袋は革製品である。
布製ならば巾着で絞れば口は閉じるが、若干開くし、紐が解ければ落ちるし、片手で扱えないので少々不便だ。
なので宝蔵袋の口は、革製でも金属の弾力でしっかりと閉まる構造で片手で開閉可能、解けずひっくり返しても絶対中身が落ちない、「がま口」の元となった「破片口金」を使っている。現在では「バネ口金」とも言う。
〈追加〉
筆者はタバコを吸わないので知らないが、携帯灰皿がこのバネ口金を使用しているとの事。
魚類の中でクチビルが最も分厚いとされる「コロダイ」が本種だろう。
ムチュー
「久鯛」の説明を読むと、「形状はタイ型で、黒点が多い。全体に淡い色。味はとても良い。時に斜めに紋が三、四條の物が有り。」
コロダイの仲間のような配置だろうし、文章や図から推測すると、おそらく「コショウダイ」だろう。
『水族志』(文政10年 1828年 畔田翠山)
25番の「アブラダヒ」の記述を読むと、「形状はタイ型で分厚い、ウロコは淡褐色で浅黒色をおびる。背は紅~紫の褐色、腹は白色。腹の上は淡褐色にして淡紅をおびる。・・・中略・・・ヒレは黄色。
その2~3寸の小さいモノには、腰に白星の点、ひとつある。エラから尾にかけ淡紅色の條があり、條の辺りは藍色。背は灰褐色で腹は白色。」
「アブラダイ」を地方名にもつ魚として「フエダイ」がいる。
しかし釣り界隈では「シブダイ」や「シロテン」の方がお馴染みだ。
鹿児島県で超絶高級魚として沖磯のぶっこみ釣りのメインターゲットとなっている。
これの伊豆諸島付近での地方名がアブラダイだ。
幼魚の顔にはブルーの線がひとつ走っている。そして白点が非常に目立って、特定が容易だ。
この25番の「アブラダヒ」が「フエダイ」だとして、24番の「イソダヒ」が問題だ。
記述によると「大型は2~3尺。形状はタイ型で分厚い。ウロコは臙脂色や紅色にして淡黄色をおびる。腹の色は浅い。尾びれは共に紅色。」
24番もフエダイの仲間の魚と推察して、南日本近海のフエダイ科で磯にすむとなると「ゴマフエダイ」かもしれない。
ゴマフエダイはルアー界隈では「マングローブジャック」と呼んで南西諸島でのゲームで有名だが、紀伊半島や伊豆半島、房総半島、日本海側でもたまに釣れる。
生きている時は暗い緑がかった褐色であるが、死ぬとヒレや全身が真っ赤になる。
特徴は記述と合っている気がするが、地方名にはイソダイやマンネンダイは無いので確定できない。
もしかしたら「マンネンダイ・イソダイ・カナカブト」という名前を持つ、別のフエダイ科の魚を㋑と表記しているのかもだ。
「紅のフエダイ㋑」は「バラフエダイ」しかいないだろう。
バラフエダイの幼魚は「アブラダヒ」の幼魚の記述にかなり合っているので、取り違えている可能性もある。
〈追記〉
バラフエダイの幼魚の捕獲例を参照すると、本州太平洋側は房総半島付近(千葉県大原漁港)があり、暖流による無効分散の例が多数確認される。
バラフエダイの幼魚はスズメダイ類に擬態している。腰に白点を生じさせてスズメダイにソックリだ。
「アブラダヒ幼魚」の記述から、幼魚は「バラフエダイ」であろう。
結論からすると「アブラダヒ」は「フエダイ」で確定であり、幼魚は白点を観察して「バラフエダイ幼魚」をフエダイだと誤認している。
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