口伝21日目:般若経の要
「ここに五蘊は幻のようだと知り
幻を別、蘊を別のものとしない
諸々の想い(識別作用)から離れ、寂滅を行ずる
者は、最高の般若波羅蜜を行ずるのである。」
《般若摂頌より》
口伝前の説明より。
「全てのものごとを幻のよう、
夢のようであると見て
重たい実体のあるものと見るのではない。」
9:21 一万八千頌読了。
10:29 一万頌上巻読了。
10:30 一万頌下巻開始。本日読了。
一万八千頌は2.5巻。
一万頌は1.5巻だ。
一万八千頌を読了された時、
先生から説明があった。
一万八千頌最終巻の後半からは、
一万頌般若経が始まる。
本経は「般若集経」ともいわれ、
大中小の般若経の要約といえるが
特に、一万八千頌の第84章の要約になっている。
以前は一万頌を毎日誦える人もいたけれど
現代では皆が忙しい故に
一万頌全てを読むことは難しい。
それでもこの1偈↑を覚えて
毎日唱えると良い。
般若経全ての要点が入っている。
・・・・・・・・
以前訳した『根本中論』『ブッダパーリタ』『顕句論』『正理の海』は、
空性について書かれた論書だ。
般若(智慧)波羅蜜の中でも、
対象(空性)を考察するテキストにあたる。
龍樹の『根本中論』の解説として
『ブッダパーリタ』
『顕句論』
『正理の海』
の順で書かれたことは前回記したが、
ここに入っていない清弁の『般若灯論』も、
論書の背景を説明する際に大切な論書だ。
『根本中論』での対論者は、
主に当時の部派仏教の宗派である。
パーリ語法統の宗派は
経典至上主義というか、
仏陀の言ったことは完全に正しくて
経典の中に出てくる言葉は
全て実在すると考えていたらしい。
非仏教徒はもちろん
部派仏教のそれぞれの宗派の中でも、
「真実として存在する」と視る実体視、実在視は
揺るがぬものとしてあった。
世界の成り立ちを説明した仏陀の言葉にも
実在を当てはめたのである。
それに対して、
実在の欠如を説いたのが龍樹だった。
『根本中論』は全27章あるが、
それぞれ実在とされているものをお題に挙げ、
「君の見解に沿って考察すると
こういう矛盾があるよ」と、
問答しながら対論者の論理の矛盾をついて
実在するとはいえない
という結論に帰着させる。
実体視の対象になっているのは、
生・住・壊・滅とか、
行・来の行為とか、
原因・結果とか、
輪廻の十ニ縁起とか、
いわゆる仏教哲学で、
世界のあり方を説明する時に使われる概念だ。
「最高に尊い仏陀が説いた言葉なのだから、
きっと真実に違いない」
という強い信仰心が背景にある思い込みなので、
龍樹が論書を著された時も
もしかすると、一部の仏教教団の中で
非難轟轟だったかもしれない。
短い論書だが、
その中には対論者の主張、
自派が指摘する矛盾、
自派の主張等
盛りだくさん。
章分けされているだけで
項目分けされている訳ではないので、
どこからどこまでが相手の言っている事で
どこからどこまでが自派の主張か分かり辛く、
更に、
特定の宗派のマイナーな主張を取り上げて
問答している部分もあるので、
背景が解らないと
何故この言葉を並べているのか
本当に解らない。
そういう意味で、
『根本中論』は非常に難しい論書であると
言われることもある。
それを解説した論書も複数ある。
仏護著『ブッダパーリタ』もその1つ。
『根本中論』を引用しながら前後に解説。
文章は必要なことだけで分かりやすい。
時々対論者をからかうような、辛口の部分もある。
チベット語には
チョク・ロ・ルイ・ゲルツェンという
チョク訳経官が訳しているが、
本論書は旧訳になる。
『根本中論』と月称著『顕句論』は、
同じく月称著『入中論』『入中論自註』と共に
パツァブ・ニマ・ダクが大訳経官に入り
新訳として改訳されている。
平たくいうと、
『根本中論』は
旧訳と新訳で言葉が違う部分がある。
ということは、
『ブッダパーリタ』での引用と、
他論書中の『根本中論』では、
少し違うところがあるのだ。
閑話休題。
『根本中論』に、清弁も解説を書いた。
『般若灯論』である。
これは長い。
その中で、
仏護の論書に対して批判をしているが、
それによって
中観自立論証派と中観帰謬論証派の
違いが明らかになったといわれる。
清弁が仏護の言葉を批判したのは、
「問答の論式がちゃんとできていない」
からだった。
それに対して、月称が
『根本中論』の言葉の解説と呼ばれる『顕句論』で仏護の援護をする。
中観帰謬論証派は、
相手の主張の中にある背理(矛盾)をついて
相手の主張を放棄させるけれど、
本質としての絶対的な論証法を認めるのではない。
対して清弁の自立論証派では、
本質としての絶対的な論証法を承認し
それに沿わなかったら「間違い」になる。
月称が仏護の援護をしたことで、
後の人は自立論証派と帰謬論証派の違いを
はっきり悟ることになる。
他にも大乗の修行道、仏陀の功徳等、
機会を掴んで非常に詳細に説明されていて、
経典からの引用も長いのが
『顕句論』。
ちなみに、
『根本中論』の意味の解説が『入中論』と『入中論自註』であるといわれる。
さて、偉大なるインドの学匠達の論書が
チベット語に訳され
チベットの学匠達によっても
多くの註釈が著された。
そのうちの1つが、
ゲルク派の開祖ツォンカパの
『正理の海』である。
経典は大海のように膨大で
論書はそれを凌駕する。
大切な論書は数々あれど、
対比して主張の違いを見ぬいたり
精髄を得ることは非常に難しい。
『正理の海』は、
それを明らかにしてくれた論書の1つだ。
インドの学匠達が
並列で記していた文章に
目次をつけ、項目分けし、
対論者の主張、それに対する自派からの問答、
それに対する反論、また反論、等、、
後続の我々にも理解できるように
論書の組み立てを示してくれたテキスト。
ツォンカパのことを
ジェ・リンポチェ(尊リンポチェ)と呼ぶが、
「ジェ・リンポチェがいなかったら
わたし達は終わってた。。。」
と筆者はよく言っていた。
4論書同時に訳していたので、
『ブッダパーリタ』と『顕句論』のテキスト本文には、
『正理の海』の項目を小さな文字で添えてある。
他にも、序論で龍樹の紹介や
中観の概要を説かれており、
本文を読まなくとも序論だけ読めば、
中観の思想をある程度理解できるようになっている。
これだけの内容を
よく文章として残してくれたと、
ありがたさは須弥山よりも高く
感動は大海よりも深かったけれど、
久しぶりに書いているので
どれだけ伝えられるか分からない。
それでも少し勉強し直して、
次回からは内容のダイジェストを
紹介したい。
先生は、今日の口伝の最後に
一万頌般若経を読了された。
八千頌を受け取られ、題名だけ読まれて
https://www.instagram.com/reel/DC1T9_DOCUu/?igsh=MWp0czdmcWY0cmN3NA==
「今日少しだけでも、
八千頌を読んでくれと頼まれたんだ。
葬儀の法要に(すぐに)行く人がいるんじゃないかな。
明日八千頌を読むからね。(意訳)」
とおっしゃられた。
笑ってしまった。
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