
論理と直感は両輪
今年の一月の記事。
約一年前の私はこんなことを考えていたのか。
何も変わっていないような気がしてたけど深い部分で変わったのかも。隔世の感がある。
我ながら読み物としても面白いんだけど。( ´艸`)
お暇でしたら読んでみてね。
極端すぎてバランスは悪かったし体調もかなり悪化したけど、一度論理で無限に詰めて頭が爆発しそうな時期を一定経験したからこそ、それを土台に今があるんだと思った。感覚は大事だけど、一回全部を疑い自分を殺したから、私は今の自分を受け入れられる。信じられる。一度論理の限界で死んだから
論理思考の基礎体力がかなりついたと思う。だから、バックグラウンドで動いているセキュリティアプリみたいな感じで、どんなことを考える時でもそれが自動で動いている。直感や動物の勘みたいなものと、論理。私にはこの両方があることが重要で、両方ないと危ういと感じる。相殺ではなく相乗効果
私には目的があったので頭が爆発してもやり遂げたかった。が、最終的に分かったのは、私が本気で目的を達成するのに必要なのは、論理ではなく「必然的な」論理の飛躍。そのジャンプは論理では導き出せないし、「私」が意図して自力でやるのは無理。諦め、委ねること、考えないことが必要だと理解した。
思考では、論理では絶対行きたいところに行けない。それだけはわかった。行き方は考えないこと。諦めること。「私」が死ぬこと。消えること。もし本当にそこに行きたいなら、自力で行こうとするのをやめること。急がないこと。コントロール、執着を手放すこと。理屈が理解できても全部が全部難しかった
それも、自ら冷静に手を離したんじゃない。疲れ切って、もう無理だと思って、ずっとそれのために走り続けてきたのに初めてもういいやと思って、ようやくそれを一度捨てた。その時はからっぽになった気持ちだったよ。もう何もないやん、今まで必死でやってきたこと全部間違いだったの?て思った