地方から女性が居なくなったと今更言う世界に
最近Twitterでよく
#私が退職した本当の理由 、というタグのツイートを見る。そして女性の地方離れについての論争を見る。目を通す度に胸が痛くなる。女性だからという理由で退職せざるを得ない世界に辟易する。
地方出身の私はセクハラ行為までは行かずとも、そういった発言は当たり前のようにありそれが笑いとして消費されていたから、ネットで知るまでそれが普通では無いと知らなかった。そんな狭い薄汚い箱庭に、一体誰が留まるというのだろう。
少なくとも、そうやって長い間虐げられてきた女性が地方に留まるわけが無いのは自然なことだ。
大学に進学してよく感じるようになった。学ぶことの豊かさや大切さ、多様な考えを受け入れ、噛み砕き、理解すること、性別関係なく能力のあるものを尊敬し羨望できる素晴らしさ。そういうものを持った人間が私が思っていたよりもずっと居るということ。世界は思ったよりも少し広かったみたいだ。
地方はずっと誰かのタイムカプセルで、あの時は良かった、あの頃に戻ろうとする懐古厨の巣になっている。1歩踏み出そう、新しい姿にしようという市役所の1部の熱い声はいつも古臭い人間たちに淘汰されている。私たちが何とか出来るかもしれないなんて思った時もあったけれど、やっぱりもう誰かのタイムカプセルのまま土に還るしか無いかもしれないとも思う。
私達は自分を大切にしたい。自分を大切にしてくれる場所で行きたい。当たり前のことだ。なぜ責められなきゃいけないんだ。なぜ散々私たちを虐げたあの土地を愛さなきゃいけないんだ。この怒りを、この叫びを聞いてくれ。それが女性の地方離れだろう。
目を覚ましてくれ権力者たち。目を開けてくれ老人たち。あなたたちの大切にしているものは、その土地や会社を担う次世代にとっては土くれかもしれないと、考えてくれ。私達はお前たちとおなじ同じ人間であると、知ってくれ。
フジテレビの1件から声が大きくなっている気がする。1歩踏み込もう、私たちは声を上げなければならない。立ち上がらなければならない。なぜ私たちが苦労しなきゃ行けないんだとも思うけれど、自由を勝ち取れるならそれでいいだろう。
踏み出せ。歩きだせ。踏み出せる者が、歩き出せる者たちが、前を見て先を歩こう。